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黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

鹿島鉄道線 #01 田舎の思ひ出(前編)

2007-08-11 00:06:54 | 鉄道遺産
仕事で出かけた水戸の帰りに、
かねてから行きたかった鹿島鉄道線(旧関東鉄道鉾田線)の廃線跡を訪れた。
特に鉄道に興味があるわけではないが、
この私鉄線だけは特別な思い入れがある。
東京で育った両親が、戦時中疎開していた先が鹿島鉄道線の沿線だったため、
子供の頃両親に連れられて、よくこの電車に乗った。
電車・・・いや、ディーゼルで走るから、電車とは言わないのだろう。

鹿島鉄道線は自分にとっては鉾田線としての記憶しかないので、
これからは鉾田線と書く事にしよう。
鉾田線は、常磐線の石岡駅から出発して約30キロ。
終点の鉾田駅までの単線の私鉄だった。
上野から1時間とは思えない程長閑な田園地帯を、
1輛編成(混雑時は2輛)のディーゼルカーがいなたく走る様子は、
子供心に強烈に刷り込まれたのか、
今でもはっきりと思い出す事ができる。
▼現役時代の様子
鉄の匂い / 鹿島鉄道 平成15年5月19日
父親の故郷は石岡から約15分の常陸小川という駅から、
バスで30分位のところだった。
また母親の故郷は終点鉾田駅から、
やはり同じくバスで30分くらいのところだった。
なので、この2つの駅は思い出深いが、
特に鉾田駅は、別の路線にアクセスする駅ではなく、
地図で見ても線路がそこでプツッリ終わっている終着駅だったので、
線路が必ずどこかへ繋がっている東京の駅しかしらない自分には、
地の果てへ来てしまったような気がして、それだけで物珍しかった。

昨日アップした船のレストラン アリューシャンに失望しつつ、
国道51号を南下して鉾田駅を目指す。
鉾田町へ入ると、記憶の片隅に残る景色が断片的に現れる様になり、
まぶたに残る鉾田駅の駅舎が徐々に近づいているのに、
すこし興奮している自分がいた。



しかしいざ鉾田駅に着いてみると、
もうそこに駅舎はなく、
駅舎の跡地に真新しい砂利が敷き詰められているだけだった。
いくらいなたい田園風景が広がる土地でも、
やはり東京の近郊だということを痛切に感じる。

鉾田駅は降車用と乗車用のホームが単線の両側にある駅だったが、
かろうじてこのホームと線路は残っていて、
そして構内には3輛だけ車輛も残っている。
また当時から駅前にあった、売店と食堂と休憩所をかねた建物も残っていた。



鉄道廃止後、路線に沿ってバスが運行しているので、
バスが発着する駅前のロータリーはそのままの雰囲気だった。
ほぼ記憶の通りの鉾田駅だったが、やはり駅舎がないのはとても寂しい。
とりあえず残っているホームを見ておこうと線路伝いに近づくと、
石造りのホームに挟まれた線路の丁度真ん中あたりが、
油ですごく真っ黒く湿っていた。



ディーゼルカーの構造はわからないが、
駅に停車している間に車輛から垂れた油の跡だと思う。
鼻をつく強烈な油の臭をかいだとたんに、
幼少の頃の記憶が一気に吹き出してきた。


> 鹿島鉄道線 #02 田舎の思ひ出(後編)

 
★ 廃線跡の記録 2 ★

  

KLO@廃墟徒然草による鹿島鉄道線のリポート掲載。
その他、鉄道ファンとはひと味違う、
ワンダーJAPANならではの廃線跡の記録が満載。

安比奈線

2006-05-16 07:28:48 | 鉄道遺産


画像は埼玉県に残る安比奈(あいな)線跡です。
全長約2kmの短い区間の廃線ですが、
特にこの林に囲まれた区間は、
映画やドラマのロケにもよく使われるところです。

今週末参加するお台場デザインフェスタで、
今回展示販売させてもらう
鉄道廃墟の新作『トワイライト』(パイロット版)に収録した、
廃線(ではなくて休止線)です。
この他『トワイライト』には、
昨日アップした豊後森機関庫や、
先週アップした奥多摩湖ロープウエイ
そして既に解体されてしまった新金谷駅の廃車両群などを収録しました。
 


豊後森機関庫

2006-05-15 10:37:43 | 鉄道遺産
今週末の土曜(20日)、日曜(21日)の二日間、
お台場のビッグサイトで開催されるデザインフェスタに参加します。
オープロジェクト結成以来、
毎回かかさず参加させてもらっていましたが、
前回はメンバーが忙しく参加できませんでした。

ずっと軍艦島中心の発表でしたが、今回は軍艦島を離れて、
以前発売した『萌の季節』と、
鉄道廃墟だけをまとめた新作『トワイライト』のパイロット版、
そして大西監督の個人作品『プライベート・パラダイス』を
上映販売の予定です。
このblogをご覧になって、お時間のある方は是非お越し下さい。

パノラマ画像は、新作『トワイライト』でとりあげている、
大分県にある豊後森機関庫です。



外を走る緑の列車は、
車内の家具調なラウンジ感が心地いいゆふいんの森号です。
最初に豊後森機関庫へ行った時は、
このゆふいんの森に乗って行きました。

 

本当はゆふいんの森弁当を食べたかったのですが、
既に売り切れ。
残っていたのはゆふ味弁当だけでしたが、
ショウガご飯がちょっと不思議な味の、
ヘルシーな車内弁当でした。
 


鶴見線国道駅

2005-12-31 04:14:18 | 鉄道遺産
JR鶴見線の鶴見駅から一つ目の駅<国道>駅。
昨日に引き続きアップしようと思います。
これまた安善駅や石油駅と同じように奇妙な駅名ですが、
国道15号(第一京浜)の道沿いにあることから命名されたそうです。
かつては構内に「臨港デパート」があり、
東洋一と言われた遊園地「花月園」の隣接駅ということもあって、
かなりの賑わいがあったそうですが、
いまでは全くその面影はありません



鶴見線はもともと高架で作られていて、
鶴見駅から国道駅までの高架下区間を住宅および商業スペースとして作り込み、
開通当時から賃貸物件として出していたそうです。
いまでも国道駅の高架下には、
同潤会アパートばりの大正~昭和初期建築風のアパートが、
所狭しとひしめいています。

開駅当時の写真をみると、
高架下露地のアーチ型天井や柱も凄く綺麗で、
恐らくモダーンな印象の駅だったと思いますが、
作りは同じながら、現在ではその雰囲気を感じることはできません。



電車が来る音が聞こえたので、
切符を買わずにそのまま階段を駆け上がり、
帰途につきました。
 
なお年明けに鶴見臨港鉄道へ赴き、
私鉄時代の資料を見せて頂こうと思っています。
『鶴見線物語』でも殆ど触れられていない<石油支線>に関して、
またこの<国道駅>に関して、
新しい情報がわかりましたら、
このblogでお伝えして行ければと思っています。
 


鶴見線国道駅

2005-12-30 05:43:20 | 鉄道遺産
JR鶴見線の石油支線の見学の帰りに、
鶴見駅から一つ目の駅、国道駅で降りてみました。
「今なお昭和の面影が色濃く残るガード下」
と話には聞いていたので、期待に胸が膨らみます。

しかし人気のないホームから無人改札を出ると、
そこには懐かしい昭和の風景もなければ、
チェーン展開する24時間営業の店が並ぶ、
平成のガード下の光景もなく、
ただ妙に静かな仕舞屋が並ぶ、暗い路地でした。



唯一やっていると聞いた「やきとり国道下」も、
この日は閉まっていたので、
それから考えると日曜日だったのかと思いますが、
記憶が定かじゃありません。

天井灯も暗く、露地を照らすのは不要に多い自動販売機の灯りだけです。



ガードを出ると国道1号線が走っていて、
往来も結構ありますが、
ひとたびガード下に入ると突然時間軸が狂って、
この蒲鉾型の蛇行するガード露地が、
まるでタイムトンネルの様に思えて来ます。

向こうから乳母車を押して来る老婆が、
凄くスローモーションで動いているようで、
後ろから通り過ぎる自転車も、
なんとなく静止画像で作った動画のように、
切れ切れに進んでいくような感じがしてきました。
だんだん頭がくらくしてきたと思い、
その原因を考えると、

クレゾールの臭いです。

地下道のクレゾール。
忘れもしない新宿の東口と西口を繋ぐ小さな地下道。
いまでこそ綺麗になりましたが、
かつてこの地下道にはいつも目が痛くなるほどのクレゾール臭が、
充満していました。
そして道の両脇には、
白い服を身にまとい、カーキ色の帽子を被った人が何人も、
自分のものじゃない膝の前に缶を置いて座っていました。

地下道のクレゾールの臭いが、
ずっと忘れていた記憶を、呼び覚ましました。
 


廃線:鶴見線石油支線 #12

2005-12-29 01:45:39 | 鉄道遺産


京浜工業地帯を走るJR鶴見線の支線<石油支線>の特集。
最終回です。

分岐駅の安善から終点の浜安善まで、
いろいろ撮影見学しながら歩いていたので3時間位かかりましたが、
わずか1km足らずの廃線。
まっすぐ歩けば15分程でもとの安善駅へ戻れます。
往きに通った最初の踏切に着く頃にはだいぶ陽も傾き、
工場の影に隠れた西日が、線路だけを照らし出していました。



変わった名前だというだけで興味を惹かれ、
工場好きも手伝って見学に出かけた今回の廃線は、
こうしてまとめてみると、様々な発見がありましたが、
思えば明治から昭和にかけての近代産業の歩んだ道のりの縮図が、
ここ京浜工業地帯でも同じ様に起こっていたということだと思います。
初期の熱き人達が総ての発端を造り、
飛躍的に拡大し始めた頃に第二次大戦が勃発し、
総ての体系が変化し、戦後多くの人が集まり、
そして産業の衰退と共に廃墟化していくという流れは、
質の違いこそあれ、殆ど総ての産業発展地域に共通する現象だと思います。
ただこの埋立地には、
そういった一般的な時間の流れとは違う側面もありました。
こうしてblogの記事を書いていられる平和な日々も、
いうなればこの埋立地がその一端を担ってくれていることは、
すでにアップしてきた通りです。

今、京浜工業地帯は、巨大な廃墟へと向かって
ゆっくりとした時間を積み重ねています。
横浜の新都市計画には再生の様々な能書きが並んでいますが、
果たしてそれで再生するのかは疑問が残ります。
計画書にはお金と遊びの匂いがあまり感じられません。
浅野総一郎氏が思い描いた絵は、
「稼げる工場をいっぱい造って人を集め、
 そのお金を自分の所の娯楽で使ってもらおう」
という単純なものだったと思います。つまり

人は稼げて遊べる所に集まる

ということだと思います。
福祉センターをつくる、高層住宅をつくる・・・
それはそれで大変だとは思いますが誰にでも出来ます。
<稼げて遊べる場所>を作れた時に、
工場出勤用路線とは別の意味を持った鶴見線が走っているのではないかと、
この特集をアップしながら思いました。

踏切をわたる途中、
ホームに人が数人居るのを見て、
現実の世界へ戻ってきた様な錯覚を感じました。
往きに見た廃線を覆っていた猫じゃらしが、
西陽を浴びて、黄金色に輝いていました。



>この特集を最初から読む

■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
 


廃線:鶴見線石油支線 #11

2005-12-28 07:11:46 | 鉄道遺産


神奈川県の京浜工業地帯に残る変わった名前の廃線<石油支線>。
その見学も終点まできました。
といっても1km足らずの支線、
更に車止めからは500mにも満たない極めて短い路線ですが。

浜安善駅の先に続く線路は、
橋本産業の敷地内へ吸い込まれるように入っていき、
敷地内の小さな車止めのところで終わっていますが、
やはりレールとは釣り合いのとれない、
綺麗な転轍機がきになります。



上画像近辺から後ろを振り返ると、
浜安善駅と今来た石油支線の軌道が一望できます。
広角気味のレンズで撮影しているので、
小さくはなってしまっていますが、
一直線に伸びる石油支線は、
この一枚の画像の中にほぼ全線写りこんでいます。



横浜市の都市計画マスタープランというのを見ると、
空洞化した工場跡地にはゲノム総合開発研究所など、
生産工場から研究開発工場への変換に力を入れているらしく、
「横浜サイエンスフロンティア地区」としての再生を夢みているようです。
同時に住民に開かれた土地にしようと、
さまざまなレクリエーション施設の建設や計画も進んでいるようです。

鶴見線はというと、
浜川崎駅から東に延びるJR東海道線支線(貨物線)
#02の路線図 参照)
を再利用した環首都圏旅客線の計画などが進んでいるそうです。
この貨物線は、川崎の工業地帯を通過し、
羽田近辺の海底を経由して
大井埠頭の東京貨物ターミナルへ通じる路線ですが、
これが完成すると、
京葉工業地帯とお台場そして京浜工業地帯が1本で繋がることになります。

工場地帯に砂浜を造り、
産業とレジャーを一体化させようとした浅野総一郎氏の野望が、
約1世紀経った今やっと、
行政などを中心に実現にむけて動き出したということでしょうが、
京葉線+りんかい線の全線開通が、
京葉貨物線構想から実に30年以上経ってのことのように、
この京浜臨海線の開通も、
気の遠くなる先の話なのかもしれませんね。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #10

2005-12-27 01:09:31 | 鉄道遺産


京浜工業地帯の一角に残存するJR鶴見線の支線だった<石油支線>の特集。
動かない巨大タンカーのような埋立地を、
廃線に沿って林立する石油タンクや米軍の貯油場などを見ながらすすむと、
やがて白い小さな建物が目に入ってきます。
石油支線の終点<浜安善駅>の駅舎跡です。
手前にはコンクリで作られたホーム状の構造物が確認出来ますが、
上面は画像の様に殆ど植物で埋まっています。
植物の成長度合いやコンクリの劣化具合から考えて、
もしかしたら一時期旅客輸送も行っていた時代のホームの名残かとも思いますが、
現時点ではその詳細はわかりません。



上画像のほぼ中央、茂みのなかに立つ1本の小さな柱をよく見ると、
ON / OFF のボタンが隠れていました。
この駅にかつて発車ベルの音が鳴っていた時があったのだと思います。



駅舎だったと思われる建物は、それ程痛んではいませんが、
かなり年期は入っている様子です。
屋根の一部や壁面はところどころ崩落しているものの、
室内のブラインド等はまだ綺麗に残存しています。
一見木造モルタルに見えますが、
壁の崩落部分からは鉄筋が露出しています。
壁に残る駅名パネルには
「東京南鉄道管理局 浜安善駅 HAMAANZEN」
と書いてありました。



石油支線は昭和61年 (1986) に廃止されますが、
それはちょうどJRが誕生する前年のことでした。
「東京南鉄道管理局」とは国鉄時代の名称なので、
移管後、この駅舎がJRによって管理されていないことを、
パネルは物語っています。

ところで鶴見線の支線はこの石油支線以外、
総てその支線の終着駅の名前が着けられています。
(このシリーズの #02 の路線図参照)
ではこの支線はなぜ<浜安善支線>ではないのかというと、
鶴見線がまだ私鉄だった時代、浜安善駅はなんと<石油>という駅名でした。
ありえないネーミングだとも思いますが、
解りやすいといえばわかりやすいですね(^^;)
昭和18年 (1943) 国鉄移管の際に石油駅から浜安善駅に変更されます。

朝鮮戦争の特需景気によって急激な発展を遂げ、
昭和中期には日本最大の工業地帯に発展した京浜工業地帯ですが、
やがて公害問題の深刻化にともない、
住民および工場の分散化が始まり、
徐々に衰退の影が忍び寄るようになりす。
昭和46年 (1971) の全線無人化もそのあおりをくらったもので、
その頃から国鉄は鶴見線の私鉄払い下げを持ち出すようになりますが、
結局斜陽路線に手を上げる企業はひとつもなかったようです。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #09

2005-12-26 03:19:32 | 鉄道遺産


京葉工業地帯の真ん中を走る鶴見線から分かれる廃線支線の特集。
昨日に引き続きほんの狭い区間のヤード跡近辺の話です。

ヤードの道沿いには画像のような表示柱が立っていますが、
この特集で何度か触れてきた米軍の油槽基地用の
石油タンク車用の専用線という意味だと思います。



またこの表示柱のすぐ先から、
埋立地海寄りの米軍油槽所に向かって、
道路を斜めに横断した引込線が現存しています。



とここまで記事を書き進めて、
この先はあまり詳しく記述しない方がいいのではと思いました。
遠回しにいうならば、
横須賀とこの埋立地と厚木の関係、
ベトナム戦争の時にこの埋立地の果たした役割、
4年前の9月以降、この埋立地の警備が厳重になったことなどと、
#06で触れたように、
鶴見線の営業所もJR貨物もこの支線に関しては現在全く関与していなことが、
1本の線で繋がるような気がするといったところでしょうか。

変わった名前の廃貨物線の見学は、
この小さな埋立地の思わぬ役割を知ることになりました。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #08

2005-12-25 04:21:01 | 鉄道遺産


京葉工業地帯の貨物輸送線だった鶴見線にある、
<石油支線>という変わった名前の路線の特集です。

なかなか一般にはおめにかかれない踏切をみながら、
線路を進むとやがて極小さな規模のヤードに出ます。



鉄路は完全に錆び付いていますが、
点々と残存する転轍機はどれも塗装がはっきり残り、
最後に塗られたのはそう遠くない時だと思われるのが不思議です。
ヤードの左側には、昭和シェル石油の巨大な石油タンクが幾つも並んでいます。



前々日の記事でアップした道を挟んでの貯油タンクの光景は、
地図で確認するとエクソン・モービル社の貯油タンクのようです。
安善町の埋立地の全体をみてみると、
その殆どが石油関係の施設に使用されています。



昭和10年頃のこの場所の鳥瞰図をみると、
今と同じように「~石油」という名前のついた会社が並んでいますが、
どれもこれも現在の会社とは違う、
耳慣れない名称の工場ばかりです。
上の現在の地図と照らし合わせると、
東京ガスは昭和10年の時に既にここにあったようですが、
道をはさんで反対側、現在は米軍の油槽基地になっているところは、
この特集の#04 で触れたように<臨港大野球場>でした。
橋を渡って現在のEsso、昭和シェル、橋本の位置には<ライジングサン>、
現在のエクソン・モービルの位置には<スタンダード>、
海よりの米軍油槽所の位置には<日本石油>
とそれぞれ記されていますが、
後で調べてみると、ライジングサンとスタンダードは、
それぞれ現在の会社の前身の名称だということがわかりました。
また鳥瞰図には記載されていないエッソですが、
エッソはエクソンの販売ブランドです。
また臨港大野球場は、戦時下にアメリカのスポーツということで粛正され、
跡地はガソリンタンク用地として使われるようになります。
安善町の埋立地にある二つの米軍油槽所は、
もともと貯油場として使われていたものを、
戦後の接収でそのまま転用していることがわかります。

初期の鶴見線が運搬していたものは、
その殆どが石炭と石油でした。
まさに国を動かすエネルギーの出荷元だったわけですね。

★。.:*:・'゜Merry Christmas ☆。.:*:・'゜

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #07

2005-12-24 14:12:52 | 鉄道遺産


セメント王と言われた浅野財閥の創始者、浅野総一郎によって造られた鶴見線。
京浜工業地帯を走るこの路線の中でも、
この路線の特色を端的に現していた廃線<石油支線>の特集です。

昨日の記事でアップした手動式踏切用の、
錆び付いた機械のあたりを見回すと、
画像のような遮断機(遮断ロープ)が残存していました。



手動操作機の傷み具合から考えて、
この遮断ロープも相当期間使われていないものと思います。
この踏切で不思議なのは、
画像のように道側には遮断ロープがありますが、
踏切の反対側には遮断ロープがありません。

ちょっと踏切の話になったので、変わった踏切をもう一つ。
基本的に道路と廃線は緑色の金網フェンスによって区切られてますが、
この場所だけは金網がなく画像のような踏切が現存しています。



金網の分断されたところからは、
道を斜めに横断する線路が延びていて、
埋立地にある2つめの米軍油槽所の敷地へと繋がっていますが、
このロープが巻き付けられた踏切器は、
貨物車の通過の際に、手で引っ張り出して使うものでしょうか。
みたことがない踏切です。

鶴見臨港鉄道は第二次大戦中の昭和18年(1943)に、
国鉄に移管されます。
乗務員などはそのまま国鉄の職員になり、
事務系の職員は、やがて戦争が終わり、
再び私鉄に戻ることを想定し、
細々と会社を存続させましたが、
しかし敗戦後決して私鉄の鶴見臨港鉄道が復活することはありませんでした。
これには、朝鮮戦争の勃発など、
摂取後の日本の極東基地としての重要性を感じたGHQからの
暗黙の圧力があったそうです。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #06

2005-12-23 02:28:08 | 鉄道遺産


京葉工業地帯に残る<石油>と名のついた廃貨物線のリポートです。

安田財閥の創始者、安田善次郎の名がついた埋立地-安善町-
その中央を貫通するように走る石油支線。
ほぼ真ん中にある安善橋を渡ると、
軌道は複線になり、車止めが立っていました。



という事はここまでは現在も使われているのかとも思い、
一応JRの鶴見線営業所とJR貨物に問い合わせてみると、
両者ともこの支線に関しては既に管轄外なので、
なにもわからないという回答が帰ってきました。
現在でも軌道が残っている事すら知らない様子でした。
それにしては綺麗な車止めです。

車止めの付近を見回すと、
左の金網越しになにやらガジェットがあるのに気がつきました。
近くに行ってみると、踏切の手動遮断機でした。



車止めの新しさに反して、
こちらはもう使用不可能な状態です。

この特集へのコメントを頂いたmn89masaさんから、
『鶴見線物語』の話を伺い、早速読んでみました。
一私鉄路線の発展史やエッセイと言うよりは、
京浜工業地帯の近代史的な内容で、
とても面白い本だと思いますが、
その中に昭和10年にまだ私鉄時代だった時の沿線案内が掲載されています。
かなり面白いので、何カ所かを抜粋してみました。

「鶴見臨港電車は~鶴見工業港の各地点に便利に早く安く連絡する皆様の電車であります。」

「鶴見工業港は浅野翁晩年の偉業であり近代日本工業の代表的創作であります。」

「凡そ港灣は軍港、商港、漁港、避難港に區別されて居ましたが、
 最近に至り、工業港と言ふ物が、世界各方面に姿を見せる様になりました。
 浅野翁の独創になる鶴見埋立地は常に工業港の先驅であります。」

「鶴見港には産業合理化、大量生産の理想を遺憾なく實現している模範的工場が集まり~
 日々の活動の有様は、近代工業のパノラマであり、
 工場のスカイラインと機械のジャズとは、
 近代人をもって任ずる人々の見逃してはならぬ場所でもあります。」

ははぁーm(_ _)m 恐れいりました。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #05

2005-12-22 16:47:49 | 鉄道遺産


京葉工業地帯の真ん中を貫通する鶴見線から分岐する、
多くの支線のなかのひとつ<廃線・石油支線>の特集です。

米軍の貯油場を過ぎてまもなくすると線路は単線になり、
以降暫くは単線が続きます。
ひとけのない埋立地を線路づたいに進むと、
やがて安善町の埋立地を真ん中で分断する運河を渡る安善橋へでます。



昭和7年(1932)には、この付近に安善橋駅が造られますが
昭和18年(1943)の鶴見線国鉄化の時に廃止されています。
あたりには駅だったと思われる遺構は、もはやなにも残っていません。

ところでこの特集の当初から登場する<安善>という言葉ですが、
なんとも変な表記のこの駅名は、
浅野総一郎氏の事業を資金的バックアップで支えた、
安田財閥の創始者<安田善次郎>氏の名に因んで付けられたものです。
鶴見線の駅名には、浅野駅や安善駅の他にも、
日本鋼管社長白石元治郎氏の名に因んだ<武蔵白石>や、
王子製紙社長大川平三郎氏の名に因んだ<大川>と、
京浜埋立地の功労者の名前を付けた駅があり、
また株主会社の名前を付けた<昭和>、
浅野家の家紋から名付けられた<扇町>と、
まさに「浅野とその仲間達」を全面にアピールした路線です。

安善橋付近であたりを見回すと、
右にも左にも海方向にも、沢山の石油貯油タンクが見えます。



まさに石油支線の名の通り、
この埋立地は全て貯油場として使われる、
いわば動かない巨大タンカーの様な島です。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #04

2005-12-21 06:55:33 | 鉄道遺産


京浜工業地帯を貫通するように走るJR鶴見線。
その途中の駅<安善駅>から分岐した廃線<石油支線>の特集です。

安善駅の踏切を渡りると暫くは、
右に工場の塀、左に幾つかの民家や自営系事務所などが並び、
やがてカーブしながら道に合流する石油支線が現れます。
あとは埋立地のほぼ中央を一直線に貫通する道路と平行に、
支線の線路も真っ直ぐに延びています。

線路が合流したあたりでまっさきに目に入るのは、
線路越しに見える米軍の貯油基地です。



GATE RR No.1 と書かれた看板のかかる鉄柵扉は頑丈に閉じられ、
その先には幾台ものタンク車が停車しているところを見ると、
どうやらこの線路は現役線の様です。
かなり錆び付いているので、相当使用されていないと思いますが、
草に覆われたりしているわけではなく、
結構新しめのバラストも敷かれています。

昭和10年の安善埋立地一帯の俯瞰図をみると、
この安善駅前の米軍貯油場には「臨港大野球場」が書いてあります。
工業地帯の企業対抗試合が行われる他、
一般への貸し出しもしていたそうです。

しばらく一直線の軌道を線路伝いに歩きますが、
左側にはおそらく終わっているなんらかの工場らしき建物や、
完全に終わっている元造船所と思われる建物などが続き、
米軍基地内で見かけた以外人の気配すら感じません。
ごくたまに、隣の道を乗用車が通過するくらいですが、
車が通りすぎるとまた風の音しか聞こえなくなり、
周囲で動く気配を感じるのは、
徐々に傾く太陽の影くらいです。



やがてこの安善町の埋立地を真ん中で分断する運河をわたる、
<安善橋>が見えてきます。
そのずっと先には、京浜運河を越えた扇島埋立地にある、
昭和シェル石油の赤白市松のタンクも見えます。

ちなみにこの石油支線は、
鶴見線が最初に開通した翌月に開通し、
その後昭和5年の全線電化開通によって、
鶴見線本線と同時に一般乗客も利用できるようになりました。
ふつう貨物運搬線は専用線なことが多いですが、
JRになった今も鶴見線が一般乗客を扱っているのは、
<鶴見臨港鉄道>時代の名残なのかもしれません。
鶴見線は今でも旅客輸送をしていますが、
石油支線は昭和13年(1938)に、旅客営業は停止されています。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #03

2005-12-20 06:22:42 | 鉄道遺産


京葉工業地帯のど真ん中を走る鶴見線の中の、
廃線<石油支線>の特集。
今回は支線への分岐駅<安善駅>周辺の話です。

改札を出ると目の前に数件の店がありましたが、
殆ど人気がなく、また見渡す限り全く人がいません。
廃墟のような、時間が完全に止まった感じはしませんが、
かといって進んでいる感じもしません。

安善駅の改札口は、方向的には路線の北側なので、
駅から南へ延びる石油支線へ行くには、
まず今来た線路を横断しなくてはなりません。
横断歩道の途中で、鶴見方面をみると、
画像のような光景です。



右寄りに写る線路が、今乗ってきた線路ですが、
電車が去った後はしんと静まりかえり、
草の間を渡る風の音だけが聞こえます。

中央の線路の左側の草むらは、
実はただの草むらではなく、
ひとつ手前の浅野駅近辺からずっと寄り添うように走っていた、
錆び付いた線路が敷かれているスペースです。

横断歩道を少し進むと、
鬱蒼と茂った草むらの中から線路が延びてきています。



この様子からして相当の間使われていないものだと思いますが、
後ろを振り返ると、プラットホームから見えた
タンク車の停車するヤードへと繋がっています。

ところで、この昼間は殆ど利用客のいない鶴見線とは、
どういった路線なのでしょう。
川崎の埋立地が浅野財閥で知られる浅野総一郎氏によって造られたことは、
すでにこのblogの記事川崎・千鳥の光景 #03で書きましたが、
その埋立地の輸送機関の確保のために、
同じく浅野総一郎氏が造った貨物鉄道が<鶴見臨港鐵道>でした。
大正15年(1926)のことで、当初は現在の路線の中央部分である、
弁天橋駅から浜川崎駅の区間と、
大川支線(武蔵白川←→大川)でスタートしました。
前述の一つ前の駅<浅野駅>とは、
この浅野総一郎氏の苗字からつけられました。

埋立地の先端に砂浜をつくり、
工場街の煙突の見える海水浴場をつくろうとした、
京浜工業地帯の生の親は、
現在も自分の造った埋立地の中にその名前を残しています。

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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回