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矢澤宰(やざわおさむ)の詩

2021-03-23 10:56:10 | 国語的随想
彼岸は夕日のむこう



今月は、末弟の命日月であるが、あ、、矢澤宰もそうだったはずでは?と、1冊だけ塾の書棚に彼の詩集があるので確かめてみた。
1966年3月11日他界。
見附市で育った天才詩人は21歳でその命を終えた。


新潟日報 生命の詩人 生き続ける矢澤宰より

以下は、上記の記事の冒頭文コピペ
くわしくはリンクしているので、プチッとして記事をお読み下さい。

新潟県見附市出身で21歳の若さでこの世を去った詩人、矢沢宰(おさむ)は、重い結核と闘いながら、みずみずしい感性で500編以上の詩を残した。死と向き合いながら、生への強い意志を表し続けた生きざまから「生命の詩人」と呼ばれ、今日でも読み継がれている。

 矢沢は1944年5月、父の勤務先だった中国・江蘇省で生まれた。翌年、旧上北谷村(現見附市河野町)に引き揚げた。52年、8歳の時に外で用を足すと、雪を血尿が赤く染め、病院にかかった。腎結核だった。右の腎臓を摘出したが、左の腎臓で再発。上北谷小を卒業後、県立三条結核病院に入院した。当時の泌尿器科医学では、手の施しようがなかったという。

 「第一に、そこに死があり、死と戦わなければならなかった。そこには死と自分だけしかなかった。そこから個人的な真実、祈りが生まれ、それが詩となって表わされた」(「第一に死が」)と矢沢は自らの詩作の原点を記している。


    早春
 雀の声の変わったような

 青い空がかすむような

 ああ土のにおいがかぎたい

 その春にほおずりしたい

 何を求めていいのやら

 きっとしまっているような

 ああ土の上を転げまわりたい

 淡い眠りの中の夢のような

 生きなければいけないけれど

 何だか死んでもいいような

 去年の春 女がくれた山桜

 まぶたの中に浮かぶような



「ような」という言葉の遣い方は、雪国の春を迎えたよろこび、形容しがたいよろこびの表現を助けている。(と思う)
そうして、死の不安がそれを裏打ちして陰影をつけているような。(←と、わたしもつかってみた)
死と向かい合いながらも、未来を夢見て、若者として悩む・・・そんな命の記録が詩になっている。

神様に愛されている人(魂)は、早くに「あちら」に帰るというけど、そういう人の1人だったんだ、と思う。
早世した弟たちも、姉の私が言うのもナニですが、善き人たちでしたけど・・・やっぱり神様はエラくはやく呼び戻されました。
長生きって,もしかして罰ゲーム??と思ったりしている昨今。
しかし、矢澤宰さんは、もっともっと生きたかったと思う、それは確信する。

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本年(2021年4月より)の募集に関わる記事

2021年度募集要項

新年度の入塾希望者(話を聞きたい方も含めて)の面談日程(3/4月)と休止期間について

もへじは少し変わります、そして今後は?


リンクしておりますので、プチッとな、してご覧下さい。







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