蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

土用の丑の日  (bon)

2020-07-20 | 日々雑感、散策、旅行

  昨日7/19は久々に晴れ、真夏のお天気でした。 “土用の入り”で、この日
から18日(または19日)の間が「土用」と呼ばれています。この期間内の“丑の日”
が「土用の丑の日」となるのです。

 そもそも「土用」とは何か? 当ブログ、2012.7.20、2016.7.18にも記事アップ
していまして、そこから部分を抜粋してみますと、

 『土用とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより
スムーズに移行するために設けられた雑節の一つです。雑節は、節分、彼岸、社
日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日の九つあります。 
 で、土用というのは、二十四節気の四立(立夏、立秋、立冬、立春)の直前約18
(又は19)日間ずつの期間を言います。 しかし、普通は夏の土用だけを指して
言っています。』

      (ネット画像より)

 そして、その昔中国で『五行説の中で天地のすべては、木、火、土、金(ごん)
水の5気が支配するものという考えから、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の分
担とし、残りの土は、四季それぞれの終わりに四分の一(18日または19日間)
ずつをとって「土」の分担としたのがその起こりと言われています。』
 ウイキペディアに次のようにあります。

『五行の性質において、木気は植物のような発育伸長する勢いある傾向、火気は
勢いが頂点に達し燃え盛る性質、金気は熱や勢いが衰え凝縮・固化しつつある状
態、水気は凝縮しきってエネルギーを秘めつつ静的に留まった状態であり、これ
らは四季、太陽、植物などの周期変化の観察から象徴化された。 土気は土壌に
おくと種が発芽することの観察から、大きな変化を促し保護する働きと場所の象徴
である。四季にはそれぞれ象徴である木火金水が順当に割り当てられたが、その
ままでは季節が変わる際に性質の異なる気が接しギャップが生じる事になる。現
実のスムーズな移行にはバッファ的に働き現在から次の季節の気へと変容させる
期間があり、ここで土気が活発に働いているとみたのが土用(土の働き)である。』

 そのような考えから、『土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り
等の土を犯す作業や殺生が忌まれた。ただし、土用に入る前に着工して土用中も
作業を続けることは差し支えないとされた。』などもありました。

 一方、物理的にみますと、太陽黄経がそれぞれ45度・135度・225度・315度の
四立(立夏、立秋、立冬、立春)の18度前、つまり、27度・117度・207度・297度
となる日が土用の入りとなります。国立天文台では、歴要項の雑節で、定気法で
の各土用の入りの日時が発表されています。

 地球は楕円軌道であるために、各季節の土用の期間は、±3%程度のばらつきが
あり、その期間は18~19日となり、19日となることが多いとあります。

       

 前準備?が長くなりましたが、ここで「土用の丑の日」についてみますと、この
土用の期間のうちに、「丑の日」が、つまり「土用の丑の日」となるのですが、
丑は、十二支の一つですから、土用の期間に2つの丑の日があることがあります。
 当ブログにアップした、12年、16年はともに、同期間内には「丑の日」は1つで
したが、今年は「丑の日」が、7月21日と8月2日の2回あります。 前を「一の丑」
後を「二の丑」と呼ばれています。(普通二の丑は、特に言われていないことが
多いです。)

 ちょっとくどいかもしれませんが、ウイキペディアから引用しますと、土用の
(期間の)うちにもう一度丑の日が巡ってくる二の丑があるのは、57%の年にある
そうです。

 それで、夏の土用の入りは7月19日 - 20日(今年は19日)なので、最も早い二
の丑は、入りが7月19日で丑の日だった場合の7月31日となり、7月に2回土用の丑
の日が来ることになります。2009年(平成21年)に、明治改暦以来初めて(改暦
前も新暦で計算すれば213年ぶりに)7月の二の丑となったのです。
 ただし、7月の二の丑はこれ以降21世紀の間はそれほど珍しくなく2025年、(令
和7年)・2041年(令和23年)・2057年・2073年・2089年と16年周期で7月31日が二の
丑となり、2096年には7月30日が二の丑になると予想される とあります。
 まぁ、どうでもいいことですけど・・。

 そして、なぜ丑の日なのか・・については、調べることができませんでした。

       (ネット画像より)

 また、土用の丑の日にウナギを食べるのは、まったく根拠はないそうです。 
『江戸中期の頃、太田蜀山人(南畝)が、夏枯れ時で困っている知人の「うなぎ屋」
の愚痴を聞き、独特の機知を働かせて店頭に「土用の丑の日」と大書きした看板
を出させた。 何のことかわからないところが逆に宣伝効果があったと見えて 
知ったかぶりの江戸っ子たちは、わんさとうなぎを求めた・・・という。』説が
あり、その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる
風習が定着したのだそうです。(平賀源内という説もある)
   (本当は、夏のウナギよりも、冬の方が脂が載っていておいしいのですね。)

 もう6年前にもなりますが、ちょうど、青森の酸ヶ湯温泉に泊まりました日が、
土用の丑の日で、ここでは「丑湯祭り」と称したお祭りが行われていました。

 

 

上高地河童橋ライブカメラ KAMIKOCHI KAPPA-BASHI LIVE CAMERA

 

 

 

 


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