蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

柳田国男  (bon)

2024-08-09 | 日々雑感、散策、旅行

 時々この人の名が出てきたりして、いつも「すごい人だ!」と思いつつ、この
人のことをしっかりと認識したことが無かったのでした。昨日、8/8は「この
人の命日」だそうです。

 遠くから時々触れていた程度ですから、にわか勉強ではその本質的な部分まで
到達しないことは十分わかっていますが、この機会に少し辿ってみることにしま
した。

 あの、処女作『遠野物語』はあまりに有名であり、彼が求めてやまぬ人々の生活・
文化・社会の成り立ちを顕かにした「民俗学」へのスタートポイントでもあった
のでした。 遠野物語は、また文学的にも認められていて、芥川竜之介他からも
賞賛を博しているのです。

       柳田国男翁(昭和初期)
         (ウイキペディアより)

 柳田国男は、1875年に兵庫県の松岡家(医家)の六男として生まれました。幼少
期から非凡な記憶力をもち膨大な蔵書を読破したそうです。12歳の時、茨城県で
開業医をしている長男に引き取られ、ここでも隣家の蔵書を乱読したとあります。
 16歳で東京に移り、その後東京帝国大学に進み卒業後、1900年に農商務省に入り、
主に東北地方の農村の実態を調査・研究するようになるのです。

 1901年(26歳)に、柳田家に養嗣子となります。官僚の道を進み講演旅行などで
地方の実情に触れるうち次第に民俗的なものへの関心が深まり、岩手県遠野地方に
伝わる逸話・伝承などを記した説話集「遠野物語」を発表するのです。
 1914年には貴族院書記官長を務めますが、18年には官界を去り朝日新聞客員と
して論説を執筆する傍ら全国各地を調査旅行するのです。この頃地方に伝わる風習
などをまとめ刊行するなど既に民俗学の走りのような活動を始めるのです。

 柳田国男は新渡戸稲造にも大きな影響を受け、彼らが結成した郷土会の活躍が,
特にユニークで注目をひくのです。郷土会は、中央文化への偏重や近代科学の表面
的な流れを追うのではなく、郷土の実地調査をもとに生きた土着の価値を掘りあて
ようとする集いで、各地の調査報告を収録した雑誌『郷土研究』を発刊するの
です。

 当時,日本では関心の浅かったヨーロッパ民俗学に注目して、柳田は,日本に
おける常民文化の実態とその意義を解明し,独自の民俗学を大成し、新渡戸は、
古集落や農地の形態分析を通して『地方(じかた)学』としての農学の樹立を企て
ているのです。

       民俗学発祥の地の碑(宮崎県椎葉村)
        (ウイキぺディアより)

 つまり柳田の論点は、「文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが
生まれるのは避けられない」としており、「公文書などに示された一揆や災害と
かかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決して見えて
こない」という認識に立脚しているのですね。 「常民」の生活文化史の解明を
目的とする民俗学にとっては文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴う
としており、「フィールドワークによる民俗資料の収集が重要だ」と論じています。
 また、『日本民俗学』(1942年)では、「民俗学は微細な事実の考証から出発
する」としており、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求めるなどの
計画調査を重要視したとあります。

 文献資料や今日的なAIによる記述編集などに基づく調査内容等は論外で、民衆の
間に根付いた、語り継がれた内容の中から、生活習慣や価値判断、文化や行動を
掘りあげて行くべきだとの信念がそこに見受けられるのです。 人々の歴史的、
伝統的な文化・習慣の本質的な流れを解明しようとしているのですね。

 日本学士院会員となり、「民間伝承の会」を「日本民俗学会」に発展させ、自ら
初代会長となります。1951年には文化勲章受章、1962年に心臓衰弱のため成城の
自宅で87歳にて他界されています。勲一等旭日大綬章を受章。

 記念館は生家のある兵庫県に、柳田国男館は、旧飯田藩士であったことから
長野県飯田市に、また茨城県利根町には「柳田國男記念公苑」があるとあります。

                 

 民俗学とは、ウイキペディアによれば『民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、
歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料を
もとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを
通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。』とあります。
また、『民族学とは、世界の諸民族の文化や社会を研究する学問である。』とあ
ります。

                 

 まだまだ語りつくせないところが多々ありますが、真面目で信念のある学者で
あり、一学問分野を設立された人なんですね。人的交流も幅広く自身の信念を貫か
れた人のように感じました。

 

 

 

100年前の伝承集『遠野物語』がゾッとしまくる|古き妖怪たちのお話ってやっぱり面白いよね

 

 

 

 

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