蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

後悔しない死に方  (bon)

2024-09-28 | 日々雑感、散策、旅行

      自民党総裁戦が終わりました。党内支持基盤のそれほど強くない2人が決選投票に進み、
     2位であった石破氏が逆転して新総裁に選出されました。どのような人事となるか注目
     したいですが、これまでの殻を破った潮流が生まれることを期待したいですね。

 

 突然急峻なテーマで失礼しました。

 これまでにも理想的な死に方?(最も好ましい死に方)はピンピンコロリだと
いう定説?
があるようですが、実際には多くの人はこのような死に方にはならない
ようです。
 まぁ、このところ、そろそろお迎えの準備が必要なお年頃でもあり、このような
テーマに目が移りますが、先日手元に届いた会報に『後悔しない死に方』(久坂部
 羊氏、小説家、医師)と題した講演録(今年4/10)が掲載されていまして、種々
参考になる指摘に思えましたので拙ブログ記事に取り上げてみました。

 一件深刻な話題ではありますが、久坂部氏の論調は、快活にさらりと述べられて
いて、おそらく講演では会場を沸かしておられたかもしれないと思います。
『たった一度の死を上手に迎えられない人が増えています。そこで今日は本当の
ことをお話します。』のような出だしで始まっています。 要点をかいつまんで
ご紹介しようと思います。

            (ネット画像より)

 「死には三種類ある」 ①生物学的な死 一般に考えている死です。人間の死は
一度に訪れず臓器ごとに死んでゆく。なので、角膜移植や死体腎移植ができる。
②手続きとしての死 死亡診断書に書かれた時刻です。実際に息を引き取られた
時刻ではなく、医師の死亡診断があって初めて死亡と認められる。③法律上の死 
脳死のことです。生命維持を司る脳幹が死亡した状態で、この段階ではまだ心臓は
動いていますが法律的には死と認められる。心臓移植がありますね。『心臓を取ら
れた人は死ぬので殺人になります。この矛盾を解決するために恣意的に作られた
のが脳死です。』

           (ネット画像より)

 「儀式」について。儀式とは、蘇生措置のことで、ガンや老衰などで危篤状態の
患者に心臓マッサージや強心剤の注射を施すことを「儀式」と呼び、付き添いの
家族に、「できる限りの救命措置を行った」と納得してもらうためで、一種のパ
フォーマンスであり、その効果は全くないとあります。
 心臓マッサージは、かなり強く推す作業で高齢者の場合は肋骨と胸骨が折れて
大変なことに・・。死なせたくないという気持ちが結果的に死にゆく人を苦しめる
ことになっている・・と。

 ある高齢患者の例が話されていました。要点だけを拾いますと・・『人工呼吸器
を付けて 心臓マッサージ、強心剤を打ち、20時間ほど延命でき、家族とのお別れ
が出来て良かった。』は、実際には『心臓マッサージで再び心臓が動いたのなら、
本気でやった証拠ですから、肋骨や胸骨は折れたでしょう。人工呼吸器の装着は、
顎をぐっと上げて鉤型のステンレス製の喉頭鏡を喉の奥に突っ込んで声門を開き、
プラスチックのチューブを押し込む。 口もとの弱い高齢者なら前歯が折れたり
歯ぐきから出血したはず。』 『意識が無いのが幸いで、意識があれば激しい苦痛
に襲われるだけです。』

 『酸素マスクと点滴は不要』ともあり、点滴は多少の薬剤とわずかなカロリー
が入っているが、ほぼ水で、脱水症の人には有効でも老衰で死にかけて臓器が弱っ
ている人には、水が入ると血液が薄まり心臓と腎臓に負担をかけ逆効果だとあり
ます。 
 『今日は、おばあちゃんがお粥を二口食べてくれた』と喜ぶのは間違いで、衰弱
した消化器官に負担をかけているだけで、死に行く人はもう体が要求していない
のです。酸素マスクも同様だそうです。昏睡状態でも外そうとするのは、本人は
嫌で、なんの効果もないからですが、家族の自己満足の儀式に過ぎないのだと・・。

           (ネット画像より)

 最近では「延命治療は不要」と記したリビング・ウイル(事前指示書)を作成
する人が多いようですが、これは死期を延ばすだけの延命措置を拒むもので、回復
を目的とする救命措置を拒むものでないので、例えば、90歳の高齢者が誤嚥性
肺炎を起こした、脳梗塞で倒れた‥といってすぐに救急車を呼び病院に運び込むと、
冷たい検査台に載せられ、レントゲン撮影され、CT撮影され、血液検査で注射針を
刺され尿道カテーテルの管を突っ込まれ、虐待に近い終末期医療を受け、悲惨な
死を迎えることになります。

 これを防ぎたければ、病院に行ってはいけません。救急車を呼んではいけない
とあります。救急隊員が見て「このまま死なせた方がいい」といえば大問題となり
ますし、病院側でも「なぜ連れて来たのか?」と言わず「できるだけのことをしま
す」となってしまうのです。
 日頃から、このような事態を想定した対応を心掛け、穏やかな尊厳ある死を選択
したいものだとあります。

 「普段から死を真剣に考えていると、恐怖心はだんだんと薄れ、人生の残り時間
を大切に思うようになります。嫌なことがあっても引きずらず、自分が本当にしたい
ことに時間を費やすようになります。死をリアルに考えることは、今を輝かせる
ことに役立ちます。」と結ばれています。

           (ネット画像より)

 講演録は、まだまだたくさんの事例や症例などが述べられていますが、要点だけ
をほぼコピペの状態で記述しました。

 「死に対して医療は無力です。それどころか、有害です。害されるのは死にゆく人です。」とあるように、今一度心したいと思いました。

 

 

 

 

関連すると思われる動画を2つ選んでみました。

【在宅医療】自然に逝くということ

 

【ナースの語り場】高齢者医療、延命治療を望まないだけではダメな理由

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (samgirly)
2024-09-28 08:33:14
衝撃的な内容でした!
意識が変わりますね。
返信する
そうですね! (bon)
2024-09-30 07:43:21
samgirlyさん、コメントありがとうございます。
その時、誰しも救急車や病院に頼りたくなり慌てるかもしれませんね。
本文のように冷静に行動できるでしょうか?どこか
冷徹のような感じもしたりしますが、死にゆく人にとっては本当は
苦痛なんでしょうね。
返信する

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