蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ナイチンゲール  (bon)

2018-05-13 | 日々雑感、散策、旅行

 子どもの頃、学校で習いました。
  看護の天使・・ナイチンゲールは、よくご存知のことと思います。 フローレンス・
ナイチンゲールは、1820年5月12日に生まれました。誕生日の5月12日は「国際看護師の
日」に指定されています。 1860年に、ナイチンゲール看護学校を設立しました。

 ナイチンゲールは、ウイキペディアに『イギリスの看護師、社会起業家、統計学者、
看護教育学者。近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争
での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。』とあります。

 裕福な家庭で、両親の2年とも3年とも言われる新婚旅行の途中、フィレンツェで生ま
れ、名前をフローレンス(フィレンツェの英語読み)といい、高い教育を受けるのです。    

     フローレンス・ナイチンゲール (34~5歳頃)
       (ウイキペディアより)

 1854年にクリミア戦争が勃発すると、前線における負傷兵の扱いが悲惨な状況であ
ることを知り、彼女自ら看護婦として従軍する決意を固めるのでした。
 ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いて病院に向
かったのです。現地の兵舎病院は極めて不衛生であり、必要な物資も供給されておらず、
さらに看護婦団の従軍を拒否したのですが、ナイチンゲールらは、病院の便所掃除が
どの部署の管轄にもなっていないことに目をつけ、まず便所掃除を始めることによって
病院内へ入りこんでいったのだそうです。

 当時、誰もしなかったこれらの仕事を進めるうち、兵舎病院内の衛生環境が改善され、
兵士死亡率は激減したそうです。 死因の大半がこれら非衛生が原因だったのでした。 
彼女の献身的な活動とその成果は、人々から高く評価され次第に名声が広がって行く
のです。

      クリミア野戦病院での様子
       (ウイキペディアより)

 看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは、ナイチンゲールに由来するとありました。
しかし、本人は、「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために
戦う者である」と述べるとともに、「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉
を残しているように、「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」
という考えがその基本にあったのですね。献身的で優しい奉仕活動の基には強い信念と
活発な行動があったのです。

 看護師として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時の2年間だけだそうで、
もちろん、その献身の象徴的イメージとともに、統計学に基づく医療衛生改革で名声を
得ているのです。 たとえば、クリミア戦争における兵士たちの死亡の原因究明と衛生
環境の改善を、数学と統計学によって立証したこと、および病院統計という考え方を
確立しています。

 クリミア戦争従軍から帰った37歳(1857年)の時に、心臓発作で倒れ ずっとベッド
での暮らしとなり、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった、とあります。
 1910年、90歳の生涯を閉じたのです。 生涯独身を通したそうです。

 なるほど、改めてナイチンゲールという人が当時(まだ江戸時代に)活躍され、近代
看護・医療の基本を樹立されたことが分かりました。 すごい人だったのですね。


 

 

 

 

 


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