何にイライラしている? 北海道知床の観光船の事故です。
それでなくても、新型コロナは3年間も居座り続け人々の心の底にずしりと重り
を埋め込まれているさ中に、ロシアの一方的な武力侵攻が2か月も続いて、連日破
壊された無残な都市や街並み、避難する家族等の映像がのしかかって先が見えな
い・・ そんな状況下で、今度は何と観光船沈没のニュースに大きな驚きと共に
やり場のない憤りを覚えることとなってしまったのです。
こんな荒い天候では出航を取りやめては・・と他会社の元船長だった人の言葉も
空しく、地元漁師も船を出さなかったそんな時に、乗組員は54歳の船長と今年4月に
入社したばかりの27才の甲板員の2人、乗客は子供3人を含む24人。関東や関西方面
からの観光客もいたそうです。コロナで長らく抑えられていたからかもしれないで
すが、今なぜこのような観光だったのか?
(ネット画像より)
12年前の冬に流氷を求めて知床を訪れた折に、ウトロ港を見下ろす高台のホテル
に宿泊したことがあり、朝には、ウトロ港の大きな岩を目指して港内を歩いたこと
がありました。 しっかりと囲まれた湾内は、それこそ静かな港でした。
しかし、この港を出たとたん、今回の観光船は、おそらく木の葉のように揺られ
たに違いなく、とても観光どころではなかったのではないかと思います。 何かに
捕まっていても、じっと留まっていることすらできなかっただろうし、激しい船酔い
にも襲われたに違いない。 みんなふらふらで倒れていたのだろうか?
乗客から、中止の声はなかったのだろうか? 出航後なぜ3時間近くも進んでいた
のだろうか? 疑問ばかり・・。
ウトロ港
(ネット画像より)
帰船予定時間の3時間も進んで、観光船から救助要請の情報が入った。それまで、
船とのやり取りはなかった。運営会社は不安ではなかったのか?
その間、船内では何が起こっていたのだろうか? 乗客が20人もいて何をしてい
たのでしょうか?
通報を受信した会社の対応はどうだったのか? 小樽の海保庁には連絡が入って
いたという。この海保から、現地の捜索活動に入るまでになぜこれほどの時間を要
しているのか? 13時過ぎに一報を受けて、現場の捜索に入ったのは夕方の17時ころ
だったというではないか?
最初の通報から1時間ほど後に、30度ほど傾斜し、もうダメの無線が入ったという。
その後に、乗客の携帯に電話したが誰からの応答もなかったそうです。 が、これ
も、なぜもっと早い時刻に電話しなかったのか?
疑問だらけです。 状況は、そんな感じですが、いろいろと問題があります。
観光船の運営会社の責任体制ですね。この会社の責任者は、どのような意識をして
いるのでしょうか。安全第一、人命第一は掛け声だけだったのでしょう。1年前の
組織再編時のトラブルで大勢の船長らは退職したそうです。
この責任者が出航を中止していたら。 船長が出航中止の判断をしていれば・・。
船長は少し前にも座礁したばかりだそうです。 沈没前に、煙硝を浮かべるとか、
いろいろと目印になるようなものを海に投げるとか・・そのような方法は考えられ
ているでしょうに。 いずれも当事者意識が希薄あるいは欠落しているとしか思え
ない。
さらに、救助体制が脆弱過ぎる。緊急通報を受信したのちの対応が遅すぎる感じ
がします。何かの事情が重なったのかもしれませんが、26人の人命がかかっている
のだし、この観光船の定員は60人という。 これまで、事故がなかったから・・
でも事故はいつ起こるかわからないのですね。もう少し対応が早くできないもので
しょうか?
この事故は、起こるべくして起こった感じもします。
4/23の事故発生から、3日目の昨夜の時点で、3才の女児を含む11名が救助され
ましたが、全員の死亡が確認されたといいます。 船内に閉じ込められている可能性
もあると見られています。
聞けば、これからが観光シーズンに入る直前の事故に関係者は今回の事故と共に
大きなショックを受けているという。
知床は、2005年に世界遺産に登録されています。ヒグマやオオワシ、オジロワシ
などの大型哺乳類が生息し、切り立つ海岸断崖、多様な湿原・湖沼など様々な景観
が凝縮され、優れた自然美を有しているとあります。
26人の命と共に、これからの観光シーズンの楽しみをすべて台無しにしてしまっ
たのです。
2010年に訪れた真冬の羅臼岳
知床旅情 歌 加藤登紀子