新型コロナ感染急拡大により、重傷者、中等症患者が急増し、救急搬送先が
見つからず死亡する複数事例が発生しています。 パルスオキシメーターで
90くらいのひとが病院に行けず自宅療養を強いられている。 まさに医療の
危機的状況にあり、何とか緊急対策が構じられないものでしょうか。
新聞の書籍広告欄に「老いる意味」(森村誠一) があるのに目が留まり、副題
に「うつ、病気、夢」とあり、何となく表題の “老いる”というのに惹かれて、
駅前の書店で買い求めました。中公新書の手軽な本でした。
森村誠一という人の名前は、よく聞いて知っていましたが、この人の本をこれまで
読んだことがなかったのではないか? と思いました。もともと本好きではなかっ
たのかもしれません。子供のころは「ラジオの製作」「無線と実験」などの趣味の
雑誌類ばかりで、それからは学校関連の本、社会人になってからは仕事関連の本ば
かりのような気がしています。
社会人もしばらくして脂が乗ってきた頃から、仕事以外の歴史や人物などに興味が
出てきたようで小説などを少し読み始めた程度でした。司馬遼太郎、五木寛之など
を好んで読んでいました。
この「老いる意味」は、エッセイ風な小文がまとめられた感じで、氏のジャンル
であるミステリーなどでは全くなく、どちらかといえば老いを感じる人たちに向けた、
過ごし方、気の持ち方など、氏の体験や日常心掛けている事柄をアドバイス的に書
かれていて、誰しも老いて行く中で自らをどのように認識し、導いて行くかを平易
な文章で綴られていて、頷ける部分もたくさんありました。
つまり、老いるということはどういうことなのか? 人間はだれしも、その遅速、
程度の違いはあるけれども着実に老化して行く。 体力、視力、聴力、記憶力など
の衰えなど加齢とともに肉体が変化して行くのは自然な現象であり、見えにくい、
聞こえにくい、歩行が困難、根気がなくなったなどなどを悲観し落ち込んで行くの
ではなく、それらにうまく寄り添いながら、いかに「心の若さ」を取り戻してゆく
ことが大事であるかを具体的な事柄から気付かせてくれています。
「老いる」ということと「老ける」との違いを認識させているのです。
『過去と未来をつなぐ最先端が現在である。 メリハリのない時間には最先端がな
い。未来と現在と過去が入り混じったカオスになっている。 最先端にいるという
のは、未来に接続していながら自分が耕した過去にもつながっていることだ。 そ
ういう最先端にいることを意識した時、問われるのは「過去を見るか」、「未来を
見るか」である。』 このことで、『現在の自分が最も若いのか、最も年老いている
のかが分かれる。』
つまりはすべて自らの考え方がその基底にあって、それによって行動や態度に現
れ方が大きく違ってくるということなんですね。
そして老化による肉体的な変化にどのように対応し、改善し、適応して行くか、
運動、睡眠、食事、趣味、友人、健康、死などいろんな事象を捉えて、氏が心がけ
て普段から実行されている具体的な行い、考え方を織り交ぜながら、老いぼれてし
まわないために、いつまでも元気で前向きな気持ちで余生を送るためのアドバイス
が述べられていました。
我が身に当てはめて考えてみましたら、確かに肉体的には明確に劣化、退化して
いることが認識できますが、幸いなことに、気持ちの上で「老けこんでいる」との
認識はないように感じています。社会参加や趣味の領域などに、まだまだ参画して
活動したい気持ちはあるが、それが肉体的はたまた社会的な壁に阻まれていること
を容認しているような状態であるのかもしれません。あまり高じると、出しゃばり、
年寄りのエゴみたいな感じになり、嫌がられかねませんのでおとなしく控えてお
ります。
殆どの方々がそうであるのでしょうが、私の場合もこれまで学校、職場、趣味な
どなどのつながりでそれぞれのグループがあり、これらのグループで構成される人
たちとの交流に刺激をもらい、慰められ明日へのエネルギーさえも受けることがあ
るのです。
新型コロナはこのような活動にも大きな制約を与える形となり、直接的な感染に
よる弊害のほか、このような広い深い分野にまで影響しているのですね。
『老いているけれども、老いぼれずにいつまでも艶やかでありたい。』
マドンナの宝石(ポール・モーリア)