蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

古事記から(5)  (bon)

2015-06-10 | 読書

 (オオクニヌシノミコトつづき)

スクナビコナノカミと三輪山

 さて、オオクニヌシが、出雲の美保(島根県美保関町)の岬に行かれたときに、波の上にガガイモの
形をした船に乗って、絹の着物を着て近づいてくる神があった。名前を聞いてみたが、その神は
答えなかった。また、お伴の神たちに聞いてみたが、みんな知らないといいました。すると、一匹の
ヒキガエルが言いました。「きっと、この神さまの名前は、クエビコが知っているでしょう。」 
そこで、クエビコを呼んで尋ねてみたところ、「はあ、これはカムムスヒノカミの子で、名をスクナビコナノカミという神です。」

オオクニヌシは、カムムスヒに尋ねたところ、「これは本当に私の子どもです。子どもの中でも、
わたしの指の間からこぼれ落ちた子どもです。そして、お前は、アシハラシコヲノ命(=オオクニヌシ)と
兄弟となって、この葦原の中つ国(日本の国)を作り固めなさい。」といいました。
 そういうわけで、オオクニヌシとスクナビコナの二柱の神は、共々協力しながら、この国を作り
固められました。しかし、それが終わるとスクナビコナは、海原の彼方の常世国に帰ってしまいました。

 さて、スクナビコナの神の名前を言い当てたクエビコというのは、実は「山田のソホドという案山子」
です。この神は、足で歩くことはできないけれども、ことごとく天下のことを知っている神なのです。

 そこで、オクニニヌシは、嘆きながら、言うには、「ああ、私は一人で、どうしてこの国を作り固める
ことができようか。どの神と協力してこの国を共に創るのだろうか。」

 すると、海上を照らして近寄ってくる神があった。その神は、言うには、「私の御霊を丁重に祭った
ならば、わたしは、あなたに協力して、共に国つくりを完成させよう。もし、そうしなければ、
この国を立派に作ることはできないだろう。」

 そこで、オオクニヌシは、その神に「それでは、どのように、御霊をお祭りすればよいのですか。」と
尋ねると、その神はこう答えました。「わたしの御霊を、大和の青々とした山々の、その東の山の上に
斎み清めて祭りなさい。」

 これが、御諸山(奈良桜井市の三輪山)の上に鎮座している神である。
 

葦原中国平定(オオクニヌシの国譲り)

アメノホヒノとアメノワカヒコ
 さて、アマテラスは、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(千五百年も長く続いている日本の国)は、
わが子のアメノオシホミミノミコト(天忍穂耳命)が統治すべき国です。」といって、統治を委任して
御子を高天原から降ろしました。しかし、アメノオシホミミは、降りる途中で、天の浮橋に立って、
下界を見下ろし、「この国は、ずいぶんと騒がしいようだ。」といって、高天原に帰り上ってアマテラスに
指図を求めました。

 そこで、タカミムスビノカミとアマテラスの命令で、天の安の河原に八百万の神々を招集して、
オモイカネノカミ(思金神)に対策を考えさせました。アマテラスは、「この葦原中国は、わが子
アメノオシホミミが統治する国として、すでに委任した国です。しかし、この国には、乱暴な国つ神ども
が大勢いると思います。どの神を遣わして、これを平定すればよかろうか。」と聞きました。 
オモイカネノカミは、八百万の神たちに相談して、「アメノホヒノを遣わすのがよいでしょう。」と
答えました。

しかし、このアメノホヒノを下界に遣わせましたが、この神は裏切って、オオクニヌシの味方となって
しまい、三年が過ぎても何の報告もしなかったのでした。

 そこで、タカミムスビとアマテラスは、再び八百万の神たちに尋ねて、「葦原中国に遣わした
アメノホヒノが、久しい間、復命しない。今度は、どの神を遣わせるのがよいでしょうか。」と尋ねると、
オモイカネが答えて、「天津国玉神の子のアメノワカヒコ(天若日子)がいいでしょう。」 
 そこで、天の真鹿児弓(鹿を殺すほどの威力のある弓)と天の羽羽矢(大きな羽のついた矢)を
アメノワカヒコに授けて、下界に遣わせました。

ところが、このアメノワカヒコもオオクニヌシの娘のシタテルヒメを妻にして、またこの国を我がものに
しようとして、八年経っても何の復命もしなかったのです。

 アマテラスとタカミムスビは、再び八百万の神たちに尋ねました。「アメノワカヒコも長い間復命を
しない。 今度は、どの神を遣わせて、アメノワカヒコが、長く下界にとどまっている訳を問い
ただそうか。」  大勢の神々とオモイカネは、「鳴女(なきめ)という名前のキジを遣わせるのが
よいでしょう。」と答えました。 そこで、アマテラスは、そのキジに向かって、「お前が、下界に
行ってアメノワカヒコに尋ねる内容は、『あなたを葦原の水穂の国に派遣した理由は、その国の荒れ狂う
神たちを服従させ帰順させよということなのに、それがどうして八年になるまで何の復命もないのか。』
と」いいました。

 こうして、鳴女のキジは下界へと降り着いて、アメノワカヒコの家の門前の桂の木の枝にとまり、
詳しく天つ神の言葉を伝えました。 そのとき、アメノサグメという女が、この鳥の声を聞き、
アメノワカヒコに言いました。「この鳥の鳴く声はたいへん不吉です。だから矢で射殺しなさい。」
と勧めました。すると、アメノワカヒコは、天つ神から授かった弓で矢を放ち、そのキジを射殺して
しまった。 ところが、その矢は、キジの胸を貫いて、逆に射上げられて、天の安河の河原にいた
アマテラスとタカミムスビのところまで届いたのでした。タカミムスビが、その矢を手に取って見て
みると、矢の羽に血が着いていた。 「この矢は、アメノワカヒコに与えたものだ。」といって、
他の大勢の神たちにその矢を見せながら、「もし、アメノワカヒコが、命令に背かず悪い神を射た矢が
ここに飛んで来たのなら、アメノワカヒコにはあたるな。しかし、もしそうではなく、邪神を抱いている
のだったら、アメノワカヒコはこの矢にあたって死んでしまえ。」といって、その矢を飛んで来た穴から
下に向けて衝き返したところ、朝の床に寝ていたアメワカヒコの胸に命中して死んでしまいました。

 また、そのキジはついに還ってこなかった。 それで、今でも「キジのひた使い(行ったきり帰らない
使い)」ということわざは、この話が元になっているのです。

アジシキタカヒコネ

 こうしてアメノワカヒコは死んでしまい、妻のシタテルヒメの泣く声は、風とともに高天原まで届き、
そこに住んでいるアメノワカヒコの父、天津国玉(アマツクニダマ)の神や、その妻子がこれを聞き、
下界に降りて来て、嘆き悲しみ、アメノワカヒコの亡骸らを喪屋を作って安置し、川贋を食物を運ぶ係に、
鷺を掃除係の箒持ちに、カワセミを食事を作る係に、雀を米つき女とし、雉を泣き女として、
八日間にわたって、連日連夜歌舞して死者を弔った。

 この時、オオクニヌシの息子でシタテルヒメの兄のアジシキタカヒコネという神がやってきて、
アメノワカヒコの喪を弔問する時、アメノワカヒコの父や妻子は、みな泣いて、「わが子は死なずに
生きていたのだ。」 「わが夫は死なずに生きていたのだ。」と言って、アジシキタカヒコネを
アメノワカヒコと勘違いして、その手足に取りすがって泣き悲しんだのでした。なぜなら、この二柱の
神の顔や姿がとてもよく似ていたために間違えたのでした。 そこで、アジシキタカヒコネは、
ひどく怒っていうには、「私は、親しい友達だから葬式にやって来た。なのに、そのわたしをなぜ、
けがらわしい死人に見立てるのか。」と言って、身に着けていた十拳剣で、その喪屋を切り倒し、
足で蹴とばしてしまった。これが、美濃の国の長良川の川上にある喪山(もやま)という山のことです。
そのとき手にして喪屋を切った太刀の名は、「大量(おおはかり)」とか「神度の剣(かむどのつるぎ)」
という。

 さて、アジシキタカヒコネの神が、怒って飛び去って行くときに、その同母妹のタカヒメノミコトは、
兄神の名を明かそうと思い歌を詠みました。

天なるや 弟棚機(おとたなばた)の うながせる
玉の御統(みすまる) 御統に あな玉はや
み谷 二(ふた)渡らす アジシキタカヒコネの神ぞ 

 天にいる 若い織姫(おりひめ)が 首にかけている
 玉の首飾り ああ、あの首飾りの きれいな玉のような人よ
 あの谷を 二つの谷を飛んで行く アジシキタカヒコネの神さまです

これは、夷振(ひなぶり)と呼ばれている歌です。 

タケミカヅチ

 そこで、アマテラスは、いいました。「今度は、どの神を遣わせるのがよかろうか。」 オモカネと
八百万の神たちが言うには、「天の安河の川上の天の岩屋に住んでいるアメノオハバリ(昔イザナギが、
ホノカグツチを斬った剣の神)がよいでしょう。しかし、またこの神がだめなら、その子のタケミカヅチ
(建御雷の男の神)を遣わせるとよいでしょう。 ただ、このアメノオハバリという神は、天の安河の
水をせき止めて、道を塞いで居座っているので、他の神が先へ行くことができません。だから特に
アメノカクという神を遣わせて、アメノオハバリを説得するのがよいでしょう。」

 そういうことで、アメノカクを遣わせて、アメノオハバリに尋ねたところ、「恐れ多いことです。
アマテラスにお仕えいたします。 しかし、この使いは、わたしの子のタケミカヅチを遣わせたほうが
よろしいでしょう。」といいました。

 それで、アマテラスは、アメノトリフネ(イザナミが生んだ神)と一緒にタカミカヅチを下界
(葦原中国)へ派遣しました。

 そういうわけで、この二柱の神は、出雲の国の伊耶佐という小浜に降り立って、十拳剣を抜き、
波頭に逆さまに刺し立て、その剣の鋒にあぐらをかいて座り、オオクニヌシに向かってこう言いました。

「アマテラスオオミカミ、タカギノカミの命令で、使者として来た者だ。アマラテラスオオミカミは、
こうおっしゃった。『そなたが領有するこの葦原中国は、わが御子の統治する国として委任したものです。
あなたは、これについてどう考えているのか。』」

 オオクニヌシは、「わたしは、お答えできません。わたしの子のコトシロヌシノカミ(言代主神。
言霊=ことだま)が代わってお答えしますが、彼は今、鳥狩りや、漁をして美保の岬へ行ったまま、
まだ帰って来ません。」と言ったので、アメノトリフネを遣わせて、コトシロヌシを連れて来て、
問いただしたところ、彼は父のオオクニヌシに言いました。「恐れ多いことです。この国は、天つ神の
御子に奉りましょう。」といって、ただちに、乗って来た船を踏み傾け、天の逆手を打って舟を青葉の
柴垣に変化させ、その中に隠れてしまいました。

 そこで、タカミカヅチは、オオクニヌシにたずねました。「今あなたの子のコトシロヌシは、
このように答えましたが、まだ他に意見を言うような子はいるか。」 オオクニヌシは、「もう一人、
わが子のタケミナカタがいます。この子以外にはおりません。」
と答えていると、そのタケミナカタが、
千人引きの大岩を手の上に差し上げてやって来て、大声で、「だれだ! わが国にやって来てそのように
ヒソヒソ話をするのは。 それでは、力くらべをしようじゃないか。では、私がまずあなたの手を
つかんでみよう。」といって、タケミカヅチの手をむんずとつかんだところ、その手はたちどころに
氷柱(つらら)に変化させ、また剣の刃に変化させてしまいました。タケミナカタは、恐ろしくなって
引き下がりました。

 今度はタケミカヅチが、「あなたの手をつかみましょう。」と言って、つかんでみると、、葦の若葉を
掴むように握りつぶして放り投げたので、タケミナカタは、逃げ去ってしまった。タケミカヅチは
後を追って、信濃の国の諏訪湖まで追いつめ、殺そうとしたときに、タケミナカタが、「恐れいりました。
どうぞわたしを殺さないでください。わたしは、この諏訪を離れてはどこにも行きません。そして、
これからは、父のオオクニヌシと兄のコトシロヌシの言うことに背きません。この葦原中国は、
天つ神の御子の言葉に従って献りましょう。」と泣いて謝りました。
(このようにして、タケミナカタノカミは、現在まで長野県の諏訪大社に祭られているのです。)

         オオクニヌシの銅像
             (ウイキペディアより)


オオクニヌシの国譲り

 タケミカヅチは、再び出雲のオオクニヌシのところへ戻って来て言いました。
「あなたの子どものコトシロヌシとタケミナカタは、アマテラスの命令には逆らわないと答えたが、
あなたの心はどうだ。」 これに対して、オオクニヌシは、こう答えました。「わたしの子どもの
二柱の神がお答えしたとおり、わたしも背きません。この葦原中国は、ご命令どおりに、すべて
献上します。ただし、わたしの住む所をアマテラスの御子が、天つ神の「あとつぎ」となって住まわれる
御殿のように、地底盤石に宮柱を太く立て、高天原にとどくほどに高く千木を上げた神殿を造って
いただければ、わたしは、遠い遠い幽界に隠退していましょう。また、わたしの子どもの百八十神たちは、
コトシロヌシが神々の前に立ち、後に立ってお仕えしますので、背く神はないでしょう。」と。

 そこで、タケミカヅチたちは、オオクニヌシのために、出雲の国の多芸志の小浜に、神聖な神殿
(出雲大社)を造り、ミナトノカミの孫のクシヤタマノカミが料理人となって、神饌を献るとき、
このクシヤタマノカミは、鵜に変身し、海にもぐり、海底の土を採って来て、たくさんの土器のお皿を
作り、海藻の茎で臼を作り、こもの茎で杵を作って、神聖な火をおこして、言祝ぎの詞を唱えていうには、
「わたしがおこしたこの火は、高天原のカミムスビの新しい宮殿に長々と煤の跡が着くまで焚き上げ、
地の下は地底の盤石に届くまで焚き固めるのです。そして、楮(こうぞ)で作った縄を延ばして、
釣りをする漁師が、口も尾びれも大きなスズキをざわざわと賑やかに引き寄せ上げて、載せる台も
たわむほどにたくさん盛り上げて、魚の料理を献ります。」と。

 こうして、オオクニヌシは、出雲大社の中に隠れました。(出雲大社は、アマテラスとの戦いに敗れた
オオクニヌシを祭る神社です。)

 タケミカヅチは、アマテラスの元へ帰って、葦原中国を平定し帰順させ状況を復命しました。

(火鑽臼、火鑽杵を用いて発火する古式の火鑽りは、伊勢神宮をはじめ諸社に伝わっているが、
中でも出雲国造家(くにのみやつこ)では、神火相続の儀として重んじられているという。)


                邇邇芸命(ニニギノミコト)に  つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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