2~3号前の会報に出ていた記事を思い出して、ちょっと調べてみました。
帯津良一氏(帯津病院名誉院長、医博)の連載的な記事で、ホステリック医学を目指して既に30年経つが
まだ道半ば・・・で、昨年、第67回国際ホメオパシー医学会が日本(奈良)で初めて開催されたことに関連しての記事であった。
「体に対しては西洋医学を、心に対しては各種心理療法を、いのちには各種代替療法を当て、
そのなかからその患者さんに相応しい戦略を組み立て、なんとか理想のホステリック医学に
迫ろうとしているのが現状である。 ある時、代替療法の一つにすぎないと思っていたホメオパシーが、
じつにホステリックな医学であることに気付いたのである。ホステリック医学を目指す者としてこれを避けては通れない。」
「健康とは単に病気でないということではなく、幸せでエネルギーに満ちた日々を手にすることをいう。
そして、幸せ(HAPPY)とエネルギー(ENERGY)を組み合わせるとダイナミズム(DYNAMISM)
ではないか。 ダイナミズムとは躍動する活力。
そうか! 躍動する活力に満ちた日々、これが健康なのだ。」
「健康とは身体的精神的社会的かつ霊的に完全な一つの幸福のダイナミカルな状態を意味し、
決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」
「つまり、定期検診や人間ドックの検査でデータが良くても、それだけでは健康を手にしたとは
言えないのである。まして、その上での無為徒食の日々となればなおさらである。
反対に、たとえ病の床に伏していようと、躍動する活力に満ちた生き方をしている人は、
じつは健康なのではないだろうか。
ここで思い浮かぶのは正岡子規の“仰臥漫録”である。 これは死の直前一年間の、
東京は根岸の里における日々の赤裸々な記録である。」
「例えば、9月17日・・朝、粥3椀、佃煮、奈良漬、梅干、包帯取り替えおよび便通、牛乳七勺ココア入り、
アンパン一つ、菓子パン大一つ 昼、粥3椀、鰹のさしみ、ぬかご、奈良漬、梨一つ、飴湯、ゆで栗
夕、ライスカレー3椀 ぬかご、佃煮、奈良漬、体温37.3度」
「それにしても、この食欲は凄い。しかも、ときに腹痛や背痛に号泣しながらのこれである。
よほどの食いしん坊ではある。
それに献立を一瞥しただけで、彼が洗練された食通であることが分かる。只者ではない。
短い生涯ではあっても、質で十分カバーしたのではないだろうか。」
「10月17日 雨 朝鼠骨来る 午後碧梧桐来る 夜紅録来る と、一日に3人も現れるのだから
とても病床にある人には思えない。」
(注)年下のお弟子さんに、河東碧梧桐、高浜虚子、あゝ玉杯に花受けての佐藤紅録、看護の天才寒川鼠骨。
「虚子を待つ松茸ずしや酒二合」
「漱石が来て虚子が来て大晦日」
ホメオパシーとは、体の自然治癒力を引き出すという思想に基づいて、病気の治癒をめざす行為で、
同種療法、同毒療法、同病療法と呼ばれる場合もある。
その効果は科学的、医学的に証明されておらず社会的に問題視する向きもある。
ホリスティック医学とは、ひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえる。
健康や癒しとは本来、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた人間の全体性と深く関係しており、
これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の中の“生老病死”というステージを考え、
病を癒 していくなかに関連する、あらゆる分野の「癒し」も大切に考えるということ。
したがって、ホリスティックな健康とは、「病気でない状態が健康である」という否定的な 定義や
「血液や尿や細胞組織の検査結果が正常値の範囲以内であれば 健康である」という消極的な定義ではなく、
『 精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・
オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な状態のこと。
・・・だそうです。
帯津良一氏(帯津病院名誉院長、医博)の連載的な記事で、ホステリック医学を目指して既に30年経つが
まだ道半ば・・・で、昨年、第67回国際ホメオパシー医学会が日本(奈良)で初めて開催されたことに関連しての記事であった。
「体に対しては西洋医学を、心に対しては各種心理療法を、いのちには各種代替療法を当て、
そのなかからその患者さんに相応しい戦略を組み立て、なんとか理想のホステリック医学に
迫ろうとしているのが現状である。 ある時、代替療法の一つにすぎないと思っていたホメオパシーが、
じつにホステリックな医学であることに気付いたのである。ホステリック医学を目指す者としてこれを避けては通れない。」
「健康とは単に病気でないということではなく、幸せでエネルギーに満ちた日々を手にすることをいう。
そして、幸せ(HAPPY)とエネルギー(ENERGY)を組み合わせるとダイナミズム(DYNAMISM)
ではないか。 ダイナミズムとは躍動する活力。
そうか! 躍動する活力に満ちた日々、これが健康なのだ。」
「健康とは身体的精神的社会的かつ霊的に完全な一つの幸福のダイナミカルな状態を意味し、
決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」
「つまり、定期検診や人間ドックの検査でデータが良くても、それだけでは健康を手にしたとは
言えないのである。まして、その上での無為徒食の日々となればなおさらである。
反対に、たとえ病の床に伏していようと、躍動する活力に満ちた生き方をしている人は、
じつは健康なのではないだろうか。
ここで思い浮かぶのは正岡子規の“仰臥漫録”である。 これは死の直前一年間の、
東京は根岸の里における日々の赤裸々な記録である。」
「例えば、9月17日・・朝、粥3椀、佃煮、奈良漬、梅干、包帯取り替えおよび便通、牛乳七勺ココア入り、
アンパン一つ、菓子パン大一つ 昼、粥3椀、鰹のさしみ、ぬかご、奈良漬、梨一つ、飴湯、ゆで栗
夕、ライスカレー3椀 ぬかご、佃煮、奈良漬、体温37.3度」
「それにしても、この食欲は凄い。しかも、ときに腹痛や背痛に号泣しながらのこれである。
よほどの食いしん坊ではある。
それに献立を一瞥しただけで、彼が洗練された食通であることが分かる。只者ではない。
短い生涯ではあっても、質で十分カバーしたのではないだろうか。」
「10月17日 雨 朝鼠骨来る 午後碧梧桐来る 夜紅録来る と、一日に3人も現れるのだから
とても病床にある人には思えない。」
(注)年下のお弟子さんに、河東碧梧桐、高浜虚子、あゝ玉杯に花受けての佐藤紅録、看護の天才寒川鼠骨。
「虚子を待つ松茸ずしや酒二合」
「漱石が来て虚子が来て大晦日」
ホメオパシーとは、体の自然治癒力を引き出すという思想に基づいて、病気の治癒をめざす行為で、
同種療法、同毒療法、同病療法と呼ばれる場合もある。
その効果は科学的、医学的に証明されておらず社会的に問題視する向きもある。
ホリスティック医学とは、ひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえる。
健康や癒しとは本来、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた人間の全体性と深く関係しており、
これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の中の“生老病死”というステージを考え、
病を癒 していくなかに関連する、あらゆる分野の「癒し」も大切に考えるということ。
したがって、ホリスティックな健康とは、「病気でない状態が健康である」という否定的な 定義や
「血液や尿や細胞組織の検査結果が正常値の範囲以内であれば 健康である」という消極的な定義ではなく、
『 精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・
オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な状態のこと。
・・・だそうです。