むかし、昔のこととなりましたが、
学生時代、遠藤周作さんの本が好きで毎日読んでいました。
その頃私はクリスチャンだったのですが、
遠藤周作さんの捉われない考え方が好きだったのかも知れません。
周作さんの本に「ユング心理学」のことが書かれていたのがきっかけで、
ユング心理学の本を買って読むようになりました。
河合隼雄さんの本もかなり読みました。
その頃また、遠藤周作さんが「愛ある医療」を提唱していました。
そんなことがやはり頭の片隅に残っていたのかも知れません。
息子が亡くなった後すぐ親友が死にそうになったり、
甥っ子が白血病になったりして、
とうとう私の心も耐えられなくなってしまい、
臨床心理士さんのところにカウンセリングを受けに行きました。
でも、悲しい位に表面的なところしか見てもらえず、
あなたこんなに元気なら大丈夫、と言われたのですが、
自分ではとても大丈夫と言える状態ではなかったのです。
HITキャラクトロジー心理学を勉強している今は
http://characterogy.com/
心の中にどんなことが起こっていたのかが理解できます。
息子が亡くなったことが受け入れられず、
スキゾイド、リジット防衛を強力にして、
自分のハートを感じないようにしながら、
何とか日々を送っていたのだなぁと思います。
自分のハートを感じたら怖くて生きていけないと
無意識のうちに思っていたのでしょう。
いっさい感情を感じないで、思考だけで
自分に起こっていることを何でも話せたので、
心理士さんが誤解してしまったのかも知れません。
これは息子がいた時も小児科の先生が勘違いしていた点でした。
それからどうしたらいいのか途方にくれていたのですが、
学生時代に読んだユング関係の本を思い出し、
これは深層心理を扱える心理士さんでないと無理そうだと思いました。
当時、従妹が新大の学生だったので相談したところ、
新潟駅前で臨床心理士の方が箱庭療法をされているということでした。
パニック障害真っ只中で、しかもバスが新大病院の前を通るのが
しんどくてたまらまかったのですが、
ひたすら音楽を聴きながら、何とか通いました。
今から思えば、当時作った箱庭の写真を撮っておけば
面白い記録が作れたのになぁと残念。
その時は通うのに精一杯で、そんなことを思いつく余裕がありませんでした。
箱庭のすごいところは、やはり無意識レベルのことがそこに現れ、
心の趣くままに自由に遊んでいるうちに、時間はかかりますが、
知らず知らずのうちに統合が進むというところだと思います。
私の場合は、最初は殆ど自分の世界がなかったのですが、
進めていくうちに自分の世界も現れて来ました。
当時の箱庭をぼんやりと思い出すと、
もうこちらの世界が殆どなく、あちらの世界ばかりを表現していました。
今から考えると、スキゾイド防衛の最たるものだったと思います。
箱庭の先生はかなり危険な状態と思われたそうです。
同じ臨床心理士さんでも全く見解が違うのですね。
2年通いましたが、徐々に統合が進んで、
何とかまぁ、社会に出られるようになりました。
ですが、その頃もまだまだ近所を歩くと息子の面影を感じて
普通には歩けない状態でした。
なかなか家から出るのもしんどい状態が続いたので、
自分の治療がてら心理の勉強を始めました。
とりあえず通信教育で始めたのですが、
テキストに間違いがかなりありました。
それを学校に報告しつつ、試験を受けるのもばかばかしいなぁ、
なんて思っていました(ごめんなさい)が、一応受けました。
数年前、その資格を持っていると
今の国家資格が取れるということになりましたが、
方向性が違うような気がして、今勉強している方へと進んでいます。
前置きが長くなってしまいましたが、
箱庭療法からは確かな手ごたえを感じました。
でも誰にでも適用できる訳ではなく、
取り組む気持ちがない人には無理ですが。
仕事をしている時にはプレイセラピーにも興味がありましたので、
ぼんやりとですが、子どもが自然の中で、全く自然な形で土や水や
全身で今の自分を表現したらどうなんだろう?
という考えが沸いてきました。
障害のある子どもは水が大好きな子が多いです。
もちろん普通の小さい子どもも大好きですが、
そこには何か治療的なものが働いているのではないかと思います。
ろこはうすを始めてからは、積み木やおもちゃなどで遊びながら
子どものセラピーをやっていました。
そこに自律神経を整える施術も加えてやってきました。
そんな関わりの中から、普通の子どもでも
何かしら心に抱えているものがみんなあるということ、
全く自然な形で、子どもが今自分に必要な遊びをやってみる、
ということが子どもの無意識にあるものを
解放してくれるのではないかと思っていました。
そして、箱庭療法と同じく、
そこに「いる」人がどういう「在り方」でいるか、
それがとても大切なように思います。
箱庭療法の心理士は何もしないで、
ただそこに「いて」見守っているだけなのですが、
それがとても大きな意味を持っています。
自由でいて保護された空間ということがとても重要なのです。
にじの森も実はそのことを一番大切にしています。
にじの森にいる時には、私はそこで
親子と一緒に遊ぶ時間を味わっています。
森では、理解するよりも味わう方が意味があります。
理解に入ると何かうまくいかなくなる感じがあります。
キャラクトロジー心理学を知ってから
「グラウンディングしている」ということが
自分の防衛から抜け出すのにとても重要なことを知りました。
森で遊ぶことは、そのことからも意味があると思います。
実は、にじの森はこんな風に、
私の中にぼんやりと浮かんできたものから
子ども達に有効なのではないかと思い、始めたものです。
むかし、昔に何となく興味を覚えたことが
様々な現実のできごとを経て
今、こんな形として私の人生に現れて来たのは
面白いなぁと、今は思えています。
学生時代、遠藤周作さんの本が好きで毎日読んでいました。
その頃私はクリスチャンだったのですが、
遠藤周作さんの捉われない考え方が好きだったのかも知れません。
周作さんの本に「ユング心理学」のことが書かれていたのがきっかけで、
ユング心理学の本を買って読むようになりました。
河合隼雄さんの本もかなり読みました。
その頃また、遠藤周作さんが「愛ある医療」を提唱していました。
そんなことがやはり頭の片隅に残っていたのかも知れません。
息子が亡くなった後すぐ親友が死にそうになったり、
甥っ子が白血病になったりして、
とうとう私の心も耐えられなくなってしまい、
臨床心理士さんのところにカウンセリングを受けに行きました。
でも、悲しい位に表面的なところしか見てもらえず、
あなたこんなに元気なら大丈夫、と言われたのですが、
自分ではとても大丈夫と言える状態ではなかったのです。
HITキャラクトロジー心理学を勉強している今は
http://characterogy.com/
心の中にどんなことが起こっていたのかが理解できます。
息子が亡くなったことが受け入れられず、
スキゾイド、リジット防衛を強力にして、
自分のハートを感じないようにしながら、
何とか日々を送っていたのだなぁと思います。
自分のハートを感じたら怖くて生きていけないと
無意識のうちに思っていたのでしょう。
いっさい感情を感じないで、思考だけで
自分に起こっていることを何でも話せたので、
心理士さんが誤解してしまったのかも知れません。
これは息子がいた時も小児科の先生が勘違いしていた点でした。
それからどうしたらいいのか途方にくれていたのですが、
学生時代に読んだユング関係の本を思い出し、
これは深層心理を扱える心理士さんでないと無理そうだと思いました。
当時、従妹が新大の学生だったので相談したところ、
新潟駅前で臨床心理士の方が箱庭療法をされているということでした。
パニック障害真っ只中で、しかもバスが新大病院の前を通るのが
しんどくてたまらまかったのですが、
ひたすら音楽を聴きながら、何とか通いました。
今から思えば、当時作った箱庭の写真を撮っておけば
面白い記録が作れたのになぁと残念。
その時は通うのに精一杯で、そんなことを思いつく余裕がありませんでした。
箱庭のすごいところは、やはり無意識レベルのことがそこに現れ、
心の趣くままに自由に遊んでいるうちに、時間はかかりますが、
知らず知らずのうちに統合が進むというところだと思います。
私の場合は、最初は殆ど自分の世界がなかったのですが、
進めていくうちに自分の世界も現れて来ました。
当時の箱庭をぼんやりと思い出すと、
もうこちらの世界が殆どなく、あちらの世界ばかりを表現していました。
今から考えると、スキゾイド防衛の最たるものだったと思います。
箱庭の先生はかなり危険な状態と思われたそうです。
同じ臨床心理士さんでも全く見解が違うのですね。
2年通いましたが、徐々に統合が進んで、
何とかまぁ、社会に出られるようになりました。
ですが、その頃もまだまだ近所を歩くと息子の面影を感じて
普通には歩けない状態でした。
なかなか家から出るのもしんどい状態が続いたので、
自分の治療がてら心理の勉強を始めました。
とりあえず通信教育で始めたのですが、
テキストに間違いがかなりありました。
それを学校に報告しつつ、試験を受けるのもばかばかしいなぁ、
なんて思っていました(ごめんなさい)が、一応受けました。
数年前、その資格を持っていると
今の国家資格が取れるということになりましたが、
方向性が違うような気がして、今勉強している方へと進んでいます。
前置きが長くなってしまいましたが、
箱庭療法からは確かな手ごたえを感じました。
でも誰にでも適用できる訳ではなく、
取り組む気持ちがない人には無理ですが。
仕事をしている時にはプレイセラピーにも興味がありましたので、
ぼんやりとですが、子どもが自然の中で、全く自然な形で土や水や
全身で今の自分を表現したらどうなんだろう?
という考えが沸いてきました。
障害のある子どもは水が大好きな子が多いです。
もちろん普通の小さい子どもも大好きですが、
そこには何か治療的なものが働いているのではないかと思います。
ろこはうすを始めてからは、積み木やおもちゃなどで遊びながら
子どものセラピーをやっていました。
そこに自律神経を整える施術も加えてやってきました。
そんな関わりの中から、普通の子どもでも
何かしら心に抱えているものがみんなあるということ、
全く自然な形で、子どもが今自分に必要な遊びをやってみる、
ということが子どもの無意識にあるものを
解放してくれるのではないかと思っていました。
そして、箱庭療法と同じく、
そこに「いる」人がどういう「在り方」でいるか、
それがとても大切なように思います。
箱庭療法の心理士は何もしないで、
ただそこに「いて」見守っているだけなのですが、
それがとても大きな意味を持っています。
自由でいて保護された空間ということがとても重要なのです。
にじの森も実はそのことを一番大切にしています。
にじの森にいる時には、私はそこで
親子と一緒に遊ぶ時間を味わっています。
森では、理解するよりも味わう方が意味があります。
理解に入ると何かうまくいかなくなる感じがあります。
キャラクトロジー心理学を知ってから
「グラウンディングしている」ということが
自分の防衛から抜け出すのにとても重要なことを知りました。
森で遊ぶことは、そのことからも意味があると思います。
実は、にじの森はこんな風に、
私の中にぼんやりと浮かんできたものから
子ども達に有効なのではないかと思い、始めたものです。
むかし、昔に何となく興味を覚えたことが
様々な現実のできごとを経て
今、こんな形として私の人生に現れて来たのは
面白いなぁと、今は思えています。
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