このシリーズ、今までブラック企業だの職場のハラスメントについて書いて来ましたが
新学期も始まったという事で、子供の自殺が年間でもっとも多くなるこの時期、
ここでは、学生の「いじめ」について書こうと思います。
過去に、「ブラック」という言葉が無かったよと書きましたが
もっと過去、江戸時代には「いじめ」が無かったのかといえばそうでもないようで…
あの有名な「忠臣蔵」ってそもそもいじめの話じゃないかしら。
日本のサムライって、「いじめ」なんてかっこ悪い事すんの?って思っちゃうけど
人ってそうそう変わるモノでもない。
根性悪い奴はどこまでいっても悪いし、集団(だから余計に)で
もてあぞぶ人間の性根は旗本のエリートだろうが村人だろうが、変わらずに存在する。
例えば…
羽織の紋を墨で塗りつぶす。
刀のさやに火箸で穴をあける。
弁当を盗み馬糞に詰め替える。
…考えただけでも吐き気がする「いじめ」っぷり。
そもそも日本には「世間」という暗黙のルールが存在していて
ちょっとルールをはみ出すモノや一部の力のある者たちが気に入らないヤツが現れると
集団で一斉に圧力をかける。所謂、「同調圧力」っていうものです。
日本は特に、この「同調圧力」が強い国だといえます。
この「同調圧力」は良い方向に動くと災害の復興に役立ったりする一方で
酷い集団いじめの助長にもなる訳で。
勿論、そういう「世間」に守られて生活している間は安全ではあるのだが、窮屈でもある。
そういう日本の歴史的背景にも「いじめ」を増やす理由があったりもする。
私自身が生きてきた中で見た「いじめ」の中でも特に酷かったのが、
男の嫉妬がらみの「いじめ」だったように思う。
そもそも日本は男社会。男尊女卑自体壮絶な「同調圧力」だし。
「世間」に参加しないで、「孤独」と向き合う事もひとつの「いじめ」の対策手段でもある。
「孤独」と言っても悪い事ばかりではない。
学生時代という早い段階で「孤独」と向き合うことで、自分の才能を開花させる事も可能だ。
「孤独」を感じないくらいに何かにとことん夢中になっていると、
同じ何かに夢中になっている誰かと繋がる事もある。
繋がらなくたっていい。
夢中になった何かが人生を助けてくれる。