【千葉県でラーメン作りを生業とする職人達のストーリーP3】「横浜ラーメン壱鉄家@市川」店主飯塚さん=あと2年、10周年でラーメン店を引退表明された真意とは?
横浜家系ラーメン 「壱鉄家(いちてつや)」の創業は2010年5月1日。
お店は、JR市川駅の北口ロータリーを左側に歩いて、バス停を過ぎて、ヤマザキプラザのビルを正面に左側に曲がり、商店街の左手になりたけ系の「亥龍」を通り過ぎて、十字路を過ぎて、少し寂れた感じの界隈の左手にお店が見えてきます。
昼間でも日が当たらない、地味な一角。
ここはかつて、ロッキーも通った「ホープ軒」があり、そのホープ軒の店主は突然店名を「左武(さぶ)」に変更。なんでもカップ麺を出した本家ホープ軒に反旗を掲げたのだとか。その後店主は引退。
ここには「tonton(トントン)」というラーメン店が開業。ラーメン店経営を志す若い方々が、オープンさせましたが、オーナーさんが実家の中華料理店を継がないといけなくなり、開業から1年も経たずに物件を手放すことに。
そこに入ったのが、飯塚さんの壱鉄家。
飯塚さんは、横浜家系の磯子に本店がある「壱六家」で修業。
海浜幕張の居酒屋さんを経営して、そこでラーメンを提供、そのラーメンが常連さんに好評で、市川にラーメン店出店を決意。
店名の壱は修業先から、鉄はご自分のお名前からそれぞれ1字ずつ。
飯塚さんは元高校球児、その1球入魂の芯の通った性格から、「(閉店の経緯はご存知で)前のtontonの方が、大変綺麗に券売機を使われていたので、その思いを大切にして営業していきたい」とロッキーにスタート時に語ってくれました。
ロッキーは本当に良い方に、お店が引き継がれたとその時に、深く感銘した記憶があります。
壱鉄家のラーメンの特徴は、
修業先の壱六家の「長多屋製麺」の麺を使用。
スープの濃度がとっても濃厚で、ホワイトクリーミー。
通常家系は、営業中でもどんどん豚骨や水を足して、ガンガンにスープを炊き続けますが、壱鉄家は一定の濃度でストップ。なのでブレがありません。
卓上の調味料も、居酒屋の経験を生かして、すべて手作り。業務用は使用していません。
オープン当初からのこだわりは他にも。
お客さんに美味しいお米を食べて欲しい、その思いから栃木県の知り合いの農家さんから、毎年、新米を直買い。とっても美味しいライスを安価で食べることができます。ランチタイムは半ライスが無料。
今は無くなりましたが、オープンから暫くは紀州の梅干し(+30円)をトッピング出来ました。
塩ラーメンのスープに入れても美味しいし、半ライスに梅干しもオツでした。
オープンしてからずっと壱鉄家に通ってきましたが、まず2011年1月、店主の飯塚さんが病気になり、入院。暫く臨時休業が続きました。
この時は常連の皆さんがとっても心配されました。またtontonみたいに閉店してしまうのではないか?でもその後、壱鉄家は元気に復活。
復活した壱鉄家は、その後、パワーアップ、2012年5月の2周年では、サイドメニューが充実。軟骨トロトロ丼、カレーチャーハン、タヌキ飯、ランチタイムにチャーハンラーメンセットも登場。味変に、おろし生姜やマー油も登場しました。
2014年9月に市川駅南口にチェーン店の横浜家系のラーメン店がオープン、しかし、壱鉄家には全く影響なし。
2015年になり年初から、仕入れ価格の高騰で、麺類の価格を50円ずつアップ。
2015年5月の5周年の時には、ピリ辛の味噌ラーメンをリリース。味噌ダレは赤味噌と白味噌のブレンド、スープに豚骨の他に魚介スープを別どりで準備、どんぶりで合わせるダブルスープ仕立てに。
そして今日2018年2月4日、飯塚さんは、2年後の2020年の4月末で、壱鉄家を閉めることを表明されました。
2010年に、tontonから飯塚さんがお店を「引き継いだ思い」、その思いをまた次の世代にバトンを渡したいそうです。
このお店が無くなるのは、市川のラーメン好きにとって寂しいことですが、飯塚さんには「感謝」しかありません。
本当に美味しいラーメンをありがとうございましたと言いたいですし、まだまだ通いたいと思います。
つづく。。。
*過去のブログ記事