【千葉ラーメン父子鷹】【祝、「麺や福一@成田」創業20周年】2代目が中華の技を駆使して作り上げた「赤むつ(ノドグロ)のスペシャルラーメン」
【成田市場応援限定ラーメン第3弾】
2001年8月29日に創業した成田の「麺や福一」。
初代、石曽根知宏さんは、元フレンチシェフ。
ラーメン好きが高じて、日本全国のラーメンを食べ歩き、創業時から、フレンチの技も駆使して、当時、限定ラーメンというジャンルがまだ千葉県に普及していなかった頃から、創作限定の美味しいラーメンを国際都市成田で提供して下さっていました。
成田に居ながらにして、日本全国の美味しいラーメンを味わえる、そんな夢のようなラーメン店が「麺や 福一」でした。
ロッキーも創業して間もない頃から、足繁く、京成八幡から特急に乗って、成田に通いました。
今では人気ツアーとなった、「千葉ミステリーラーメンツアー」も、ここ、「麺や福一」がスタートライン。
ロッキーにとって、原点のラーメン店の一つが、「福一」でした。
石曽根さんのご長男の禎宏さんとの出会いは、2005年4月に行われたロッキー主催の「ストロベリーツアー」から。
当時小学校の5年生だった禎宏さん。ご家族で参加されて、下総中山のいちご園で、いちご狩りを楽しんで、締めは、
本八幡に移動して、「魂麺」で山西店主が考案した「ストロベリーラーメン」を参加された皆さんで食べました。
タッキーは当時5歳。
参加者の中で、禎宏さんだけが、替え玉をしまして、「これはこの子は将来有望だ!」
ロッキーは16年前にそう確信しておりました。
中学生の時には中山競馬場で、石曽根親子で、ラーメンイベントの厨房に立ちました。
もうこの頃にはお父さんよりも背が大きくなっていて、びっくり。
そんな禎宏さんが、学校を卒業して、お父さんと同じ、飲食の世界へ。
中華の世界で修行されまして、その後、独立、福一の隣でお店をオープンさせました。
しかし、今から一年前の9月に「福一」が店舗火災で、店舗全焼の悲劇。創業20周年を前に、大丈夫だろうか?
そんな周りからの心配をよそに、長男禎宏さんは「クラウドファンディング」という新手法で、福一復活の資金を集めて、見事にその年の12月に福一復活営業を果たしました。
またそれはご自分のお店との引き換えでもありました。
【父のラーメンをもっと多くの方々に食べて欲しい】
父親がずっと守り抜いてきた福一の「暖簾」と家族の「絆」。
仏教の世界では「因果応報」という言葉がありますが、良い行いをすれば、良い結果が待っている。
「災い転じて、福となす」
福一は今、20周年の記念イベントの真っ最中。
第一弾は、すっぽん、第二弾は、牛骨ラーメン、そして第3弾、第四弾まで続きます。
その一方で、金曜日の夜は、コロナ禍で疲弊している成田市場の応援限定ラーメン第3弾、2代目のスペシャル限定のラーメンが登場。
その名も、「三重県産天然赤むつ(のどぐろ)の炙り香港風ドゥンタン塩ラーメン」
「ドゥンタン」とは広東系の中国料理店で提供されるスープで、茶碗蒸しのように、具材を蒸すことで、旨みを閉じ込めた、クリアな美味しいスープが取れるそうです。
また隠し味に、旨味調味料の代わりに、発酵調味料、自家製の発酵トマトの醬を加えているそうです。
平成の父のフレンチの技に、対して、令和の中華の技。
福一というお店で、初代と2代目のそれぞれの美味しいラーメンが味わえる「幸せ(HAPPINESS)」をしみじみ味わいました。
締めのミニ雑炊セットと、絶品デザート(和栗の甘露煮とヴァローナの芳醇ババロア)。
贅沢な時間をありがとうございました。
厨房で2代目が楽しそうにラーメンを作っている姿がまた堪らなく素敵でした。
ごちそうさま!