アメリカの音楽業界の重鎮プロデューサー「トミー・リピューマ」(Tommy LiPuma)が亡くなりました。
1936年7月5日生 - 2017年3月13日没享年80歳
トミー・リピューマはオークランド生まれです。
幼少の頃は病弱でベッドサイドのラジオが慰めてくれました。リズム&ブルースや当時のジャズミュージシャンがお気に入りでした。特にリトル・ジミー・スコット 、 ルース・ブラウン 、 ビッグ・メイベル 、 チャールズ・ブラウン 、 ナット・コール を良く聴いていました。
少年時代には聴いていた音楽に触発されサックスを習い地元のビッグバンドで演奏を楽しんでいました。しかしまた父親のあとを継ぐため理髪師の学校にも通っていました。
ところがバンドとのツアーが盛んになり音楽で生きていく事に決めました。
最初は地元のプロモーターや地元のレーベルで仕事をしていました。
1961年リバティーレコード( Liberty Records )のポロモーション担当として働きインペリアルレコード(Imperial Records)に移籍しました。
1964年クリーブランドのThe O'Jaysとのリリースのための彼の最初のレコーディングを制作し、トップ40のR&Bヒット "Lipstick Traces"を生み出しました
1968年には60年代のポップカルチャーに影響を受けBob Krasnowとブルーサム(Blue Thumb)レーベルを立ち上げました。
そして、ベン・シドラン(Ben Sidran)、クルセーダーズ(The Crusaders)、アイク&ティナ・。ターナ (Ike&Tina Turner) 、ポインター・シスターズ(Pointer Sisters)、デイヴ・メイソン(Dave Mason)ジャズ・クルセーダーズ(The Jazz Crusaders)、ニック・デカロ(Nick Decaro)、 ダン・ヒックス(Dan Hicks)など音楽的な才能を盛り込みました。
1974年にはワーナーブラザーズ(Warner Bros. Records)に入社します。
そして1976年ジョージ・ベンソン(George Benson)のアルバム「 ブリージン」(Breezin')との初のマルチ・プラチナの成功を収め、最初のグラミー賞を「このマスカレード」(This Masquerade)で獲得しました 。
更にマイケル・フランクス(Michael Franks),アル・ジャロウ(Al Jarreau),スタッフ(Stuff),デオダート(Eumir Deodato),ビル・エヴァンス(Bill Evans),アントニオ・かるろす・ジョビン(Antônio Carlos Jobim),ジョアン・ジルベルト(João Gilberto) と立て続けにヒットアルバムをプロデュースしました。
1970年代後期にはA&Mの仕事でブレンダ・ラッセル(Brenda Russell),イエロウ・マジック・オーケストラ(the Yellow Magic Orchestra),シーウィンド(Seawind)ドクター・ジョン(Dr. John)等をプロデュースしました。
そして1990年までに、ランディー・クロフォード(Randy Crawford),
ブレンダ・ラッセル(Brenda Russell),ピーボ・ブライソン(Peabo Bryson),ぱパティー・オースティン(Patti Austin),イエロージャケッツ(the Yellowjackets),マイケル・ブレッカー(Michael Brecker),デヴィッド・サンボーン(David Sanborn),ボブ・ジェームス(Bob James),マイルス・デイヴィス(Miles Davis),アール・クルー(Earl Klugh), ランディー・ニューマン(Randy Newman),アズテック・カメラ(Aztec Camera)、エブリシング・バット・ガール( Everything But The Girl)をプロデュースしてヒットアルバムを世に送り出しました。
1990年にはエレクトラレコードの役員に就任しました。ここではナタリー・コールの 「 忘れられない...愛と一緒に」 Natalie Cole's Unforgettable... with Love を製作し話題になりました。
1994年から2011年まではGRPとVerve Recordsで製作に当たりました。
そしてシンガーでピアニストのダイアナ・クラール(Diana Krall)に会って、最終的には十数枚のアルバムに及ぶ長い成功を収めました。
2004年から2011年にはVerve Recordsの名誉会長となりましたが、ウイリー・ネルソン (Willie Nelson),バーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand9,ジョー・サンプルとランディー・クロフォード(Joe Sample & Randy Crawford )そしてポール・マッカートニー(Paul McCartney)をプロデュースしました。
ダイアナ・クラールの”TURN UP THE QUIET ”が遺作となってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。
1936年7月5日生 - 2017年3月13日没享年80歳
トミー・リピューマはオークランド生まれです。
幼少の頃は病弱でベッドサイドのラジオが慰めてくれました。リズム&ブルースや当時のジャズミュージシャンがお気に入りでした。特にリトル・ジミー・スコット 、 ルース・ブラウン 、 ビッグ・メイベル 、 チャールズ・ブラウン 、 ナット・コール を良く聴いていました。
少年時代には聴いていた音楽に触発されサックスを習い地元のビッグバンドで演奏を楽しんでいました。しかしまた父親のあとを継ぐため理髪師の学校にも通っていました。
ところがバンドとのツアーが盛んになり音楽で生きていく事に決めました。
最初は地元のプロモーターや地元のレーベルで仕事をしていました。
1961年リバティーレコード( Liberty Records )のポロモーション担当として働きインペリアルレコード(Imperial Records)に移籍しました。
1964年クリーブランドのThe O'Jaysとのリリースのための彼の最初のレコーディングを制作し、トップ40のR&Bヒット "Lipstick Traces"を生み出しました
1968年には60年代のポップカルチャーに影響を受けBob Krasnowとブルーサム(Blue Thumb)レーベルを立ち上げました。
そして、ベン・シドラン(Ben Sidran)、クルセーダーズ(The Crusaders)、アイク&ティナ・。ターナ (Ike&Tina Turner) 、ポインター・シスターズ(Pointer Sisters)、デイヴ・メイソン(Dave Mason)ジャズ・クルセーダーズ(The Jazz Crusaders)、ニック・デカロ(Nick Decaro)、 ダン・ヒックス(Dan Hicks)など音楽的な才能を盛り込みました。
1974年にはワーナーブラザーズ(Warner Bros. Records)に入社します。
そして1976年ジョージ・ベンソン(George Benson)のアルバム「 ブリージン」(Breezin')との初のマルチ・プラチナの成功を収め、最初のグラミー賞を「このマスカレード」(This Masquerade)で獲得しました 。
Breezin' | |
Warner Bros / Wea | |
Warner Bros / Wea |
更にマイケル・フランクス(Michael Franks),アル・ジャロウ(Al Jarreau),スタッフ(Stuff),デオダート(Eumir Deodato),ビル・エヴァンス(Bill Evans),アントニオ・かるろす・ジョビン(Antônio Carlos Jobim),ジョアン・ジルベルト(João Gilberto) と立て続けにヒットアルバムをプロデュースしました。
1970年代後期にはA&Mの仕事でブレンダ・ラッセル(Brenda Russell),イエロウ・マジック・オーケストラ(the Yellow Magic Orchestra),シーウィンド(Seawind)ドクター・ジョン(Dr. John)等をプロデュースしました。
そして1990年までに、ランディー・クロフォード(Randy Crawford),
ブレンダ・ラッセル(Brenda Russell),ピーボ・ブライソン(Peabo Bryson),ぱパティー・オースティン(Patti Austin),イエロージャケッツ(the Yellowjackets),マイケル・ブレッカー(Michael Brecker),デヴィッド・サンボーン(David Sanborn),ボブ・ジェームス(Bob James),マイルス・デイヴィス(Miles Davis),アール・クルー(Earl Klugh), ランディー・ニューマン(Randy Newman),アズテック・カメラ(Aztec Camera)、エブリシング・バット・ガール( Everything But The Girl)をプロデュースしてヒットアルバムを世に送り出しました。
1990年にはエレクトラレコードの役員に就任しました。ここではナタリー・コールの 「 忘れられない...愛と一緒に」 Natalie Cole's Unforgettable... with Love を製作し話題になりました。
1994年から2011年まではGRPとVerve Recordsで製作に当たりました。
そしてシンガーでピアニストのダイアナ・クラール(Diana Krall)に会って、最終的には十数枚のアルバムに及ぶ長い成功を収めました。
2004年から2011年にはVerve Recordsの名誉会長となりましたが、ウイリー・ネルソン (Willie Nelson),バーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand9,ジョー・サンプルとランディー・クロフォード(Joe Sample & Randy Crawford )そしてポール・マッカートニー(Paul McCartney)をプロデュースしました。
Kisses on the Bottom | |
Hear Music | |
Hear Music |
ダイアナ・クラールの”TURN UP THE QUIET ”が遺作となってしまいました。
TURN UP THE QUIET | |
VERVE | |
VERVE |
ご冥福をお祈りいたします。
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