最初に断っておきますが、この写真は現物から彩度や明度やその他をイジクリまくっています。そもそもこの写真の元は「昼」の写真です。千葉の海を撮影しようと出掛けましたが、あまりに被写体が無かったことと、千葉港の工場地帯の建物と煙が凄かったので、一種の地獄絵図に近いものを仕立て上げたく、撮った写真を加工したものです。しかし、これをやりたければ、本当に夕方に撮りに行くべきでしたね。
EF24-105mmF4L
以前の書き込みで、私は今年中央アジアに行く・・・と息巻いていたが、天安門事件20周年の今年である。しかもカラコルムハイウェーは今をときめく危険地帯である新疆ウイグル自治区を通らねばならない。その地は中国による圧政が強く、そして独立機運が高まって住民が蜂起し、そしてそれに対して過剰ともいえるほどの鎮圧攻撃を今もなお、知られざるところで残虐に行われている現状を考えると、いかに私といえども、この地に渡航するのを見合わせざるをえない・・・、という一般的には当たり前の理解に達しまして、渡航先を変更しました。今年も欧州に行ってきます。中央アジアのプランでは、美しい山々を見るということだったので、山への憧憬が捨てられず、ヨーロッパアルプスに行くことになりました。
渡航国はスイス。あのアルプスの少女ハイジの基になった国、スイスです。
スイスの正式名称はドイツ語では「シュヴァイツェァーリッシェ アイトゲノッセンシャフト」。訳すと「スイス人の誓約同盟」です。国民皆兵の国で永世中立国を謳っているが、2002年に国連加盟を果たす。通貨は欧州連合に加盟していないのでスイスフラン(シュヴァイツァーフランケン)を使用している。
出発は今月の半ば以降である。写真は後にブログにUPします。奄美では失敗しましたが、今回の写真は期待していてください。
以前の書き込みで、私は今年中央アジアに行く・・・と息巻いていたが、天安門事件20周年の今年である。しかもカラコルムハイウェーは今をときめく危険地帯である新疆ウイグル自治区を通らねばならない。その地は中国による圧政が強く、そして独立機運が高まって住民が蜂起し、そしてそれに対して過剰ともいえるほどの鎮圧攻撃を今もなお、知られざるところで残虐に行われている現状を考えると、いかに私といえども、この地に渡航するのを見合わせざるをえない・・・、という一般的には当たり前の理解に達しまして、渡航先を変更しました。今年も欧州に行ってきます。中央アジアのプランでは、美しい山々を見るということだったので、山への憧憬が捨てられず、ヨーロッパアルプスに行くことになりました。
渡航国はスイス。あのアルプスの少女ハイジの基になった国、スイスです。
スイスの正式名称はドイツ語では「シュヴァイツェァーリッシェ アイトゲノッセンシャフト」。訳すと「スイス人の誓約同盟」です。国民皆兵の国で永世中立国を謳っているが、2002年に国連加盟を果たす。通貨は欧州連合に加盟していないのでスイスフラン(シュヴァイツァーフランケン)を使用している。
出発は今月の半ば以降である。写真は後にブログにUPします。奄美では失敗しましたが、今回の写真は期待していてください。
EF24-105mmF4L
日本の遥か南に位置する島、奄美大島。
一週間も滞在しながら、風景を撮った写真は30枚にも満たなかった。
最大の理由は私が風邪をこじらせていたからなのだが、次の理由もある。
それは.....「沖縄に比べると、海の色が美しくない!」である。
汚いわけではない。本土の海の方がよほど汚い。だが…「期待はずれ」
であったのだ。故にブログ上にUPする写真はこの二枚しかない。
日本の遥か南に位置する島、奄美大島。
一週間も滞在しながら、風景を撮った写真は30枚にも満たなかった。
最大の理由は私が風邪をこじらせていたからなのだが、次の理由もある。
それは.....「沖縄に比べると、海の色が美しくない!」である。
汚いわけではない。本土の海の方がよほど汚い。だが…「期待はずれ」
であったのだ。故にブログ上にUPする写真はこの二枚しかない。

EF24-105mmF4L
帰ってきました。既にニュースで結果はご存知の事ですが、国内で日食が
見られた場所は、船上を除けば唯一東京都に属する南太平洋の島「硫黄島」
だけでした。しかもこの島は一般人の入島はほぼ不可能。
UPした写真は・・・いやぁひどいですなぁ。よく写ってますね・・・雲が(笑)
写真は部分食90%以上を撮ったものです。雲が厚くてボケまくっています。
こんな写真は雲に隠れた三日月でも撮れるもので、まぁ要するに撮影は
ダメだった・・・ということを言いたいわけです。

こちらの写真は皆既中の空の模様です。これは午前11時直前の空である。
太陽の光量が時間軸に対して劇的に変化するのは、太陽が月に95%以上
隠れた時からです。80%くらいの時などは、殆ど空の明るさは変わりま
せん。95%を越えたあたりからは、一秒一秒毎に光量が減少してくのが
わかります。まるでコンサートホールの照度を少しずつおとしている感覚
に近い。写真はやや曇天の空で、快晴時と比べるとやや光量はあるほうだ
が、午後7時くらいの空と同じような感じである。写真左の光点は、着陸
直前の飛行機のライトです。この飛行機は、部分食~皆既中の時間、丁度
皆既帯を飛行している定期便である。なかなか羨ましい飛行機である。
コックピットからの景色はいかばかりだろうか?
帰ってきました。既にニュースで結果はご存知の事ですが、国内で日食が
見られた場所は、船上を除けば唯一東京都に属する南太平洋の島「硫黄島」
だけでした。しかもこの島は一般人の入島はほぼ不可能。
UPした写真は・・・いやぁひどいですなぁ。よく写ってますね・・・雲が(笑)
写真は部分食90%以上を撮ったものです。雲が厚くてボケまくっています。
こんな写真は雲に隠れた三日月でも撮れるもので、まぁ要するに撮影は
ダメだった・・・ということを言いたいわけです。

こちらの写真は皆既中の空の模様です。これは午前11時直前の空である。
太陽の光量が時間軸に対して劇的に変化するのは、太陽が月に95%以上
隠れた時からです。80%くらいの時などは、殆ど空の明るさは変わりま
せん。95%を越えたあたりからは、一秒一秒毎に光量が減少してくのが
わかります。まるでコンサートホールの照度を少しずつおとしている感覚
に近い。写真はやや曇天の空で、快晴時と比べるとやや光量はあるほうだ
が、午後7時くらいの空と同じような感じである。写真左の光点は、着陸
直前の飛行機のライトです。この飛行機は、部分食~皆既中の時間、丁度
皆既帯を飛行している定期便である。なかなか羨ましい飛行機である。
コックピットからの景色はいかばかりだろうか?
多面体ダイスというものがある。
サイコロの起源はインドとも中東とも言われている。
形も様々で、棒状の物を転がして出すサイコロも
あったらしい。つまりエンピツ転がしのような形の
ものである。いやー、エンピツ転がしは実は偉大だった
のだ。
さて、私は18日から奄美大島に出かけてきます。
奄美の近くには喜界島という島がありますが、この辺り
は鎌倉・室町までは大和の権力が及ばないギリギリの
場所であったらしく、文書にある「鬼界ヶ島」(いわ
ゆる化外の地)の有力候補とされております。
鬼の世界の島。外界の事だったようです。硫黄島という
説もありますが、いずれにせよ、この奄美のあたりが境
だったということには変わりありません。名前の響き的
には「喜界(きかい)」なので、喜界島のほうがロマン
を掻き立てられますな。
奄美の写真は後日UPします。
サイコロの起源はインドとも中東とも言われている。
形も様々で、棒状の物を転がして出すサイコロも
あったらしい。つまりエンピツ転がしのような形の
ものである。いやー、エンピツ転がしは実は偉大だった
のだ。
さて、私は18日から奄美大島に出かけてきます。
奄美の近くには喜界島という島がありますが、この辺り
は鎌倉・室町までは大和の権力が及ばないギリギリの
場所であったらしく、文書にある「鬼界ヶ島」(いわ
ゆる化外の地)の有力候補とされております。
鬼の世界の島。外界の事だったようです。硫黄島という
説もありますが、いずれにせよ、この奄美のあたりが境
だったということには変わりありません。名前の響き的
には「喜界(きかい)」なので、喜界島のほうがロマン
を掻き立てられますな。
奄美の写真は後日UPします。
カラコルムハイウェーという道路があるという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC
これによると、このハイウェーは海抜4000メートル級の場所に通っているそうで、ご存知のことながらこの標高は富士山の頂上よりも高い。しかもこの付近には7000メートル級の山がゴロゴロあり、さぞ景色も美しいに違いない。
バックパッカーと呼ばれている安価な料金で世界中を個人旅行する人々にとって、この道は昔から特に注目されており、その美しさについてはネットなどで広く喧伝されているという。
インターネットで調べて見ると、大手ではないものの旅行会社のツアーが組まれているものがある。
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/GPPK11/index.html
実は今年の旅行は、ここに行くことを密かに計画しているのだが、難点がいくつもある。それは、いわずもがな治安の面がほとんどだ。ただでさえ現在のパキスタンは政情的に不安定である。しかもここはカシミール地方の真っ只中でもある。そしてこのハイウェーは、あの恐怖のアフガニスタンの国境線に、一番近い距離で約50キロのところを通っているのだ。そして最終地はウイグル自治区のカシュガル、ウルムチであり、いま暴動というか独立運動に発展して死傷騒ぎが起こっている場所である。
別に危険な場所に行きたいわけではない。危険な地域を見てみたいというのが目的でもない。そんな気はまったくない。それにこの地域はインフラが整備されておらず、快適な旅行になるとは言い難い。なら、なぜそこに行きたいのか?と問われれば、ひとえに風景の美しさの為である。
他人から見たら、この考えはまったくの馬鹿にしかみえないかもしれない。なぜ、そんな危なっかしい地域に、しかも今年にそこに行こうと考えているのか?美しい風景があるといっても、なにも今年でなくても良いだろう・・・と。
それはある意味正論ではあるが、ある意味ではまったく分かっていないとも言える。あえて自分の考えを正当化するならば、「今がここにいける一番のチャンスであり、今が一番安全な時」といえなくもないからだ。理由は以下を読んでほしい。
イラクという地がある。この地には恐らく今後少なくとも10年、いや15年は旅行に行くことはできないだろう。治安回復にはそれだけの時間がかかる。ユーゴ紛争の時よりもさらに時間がかかるという予想は、この地域の歴史的経緯をみれば、おそらく当たっているだろう。ということは、私がイラクに行くことができる可能性は、40代の後半、あるいは50代になってからという事になる。それも運がよければそのあたりというだけであって、存命中に行けないという可能性は十分にある。とすると、イラクのジッグラトで有名なウル遺跡を、生涯肉眼で見ることはできないかもしれないのだ。アフガニスタンについてはもっと深刻で、おそらくこの地には存命中に足を踏み入れることは叶わないかもしれない。つまり、いまさらになるが、イラクに行けた時期というのは、1988年以降、1990年以前の2年間か、あるいは前述したように今から10~15年以降である。だが、10年ならまだしも、15年以降ともなると、もはや体力的にこの地に足を運ぶことが難しくなる。年をとってからインフラの弱い地域に行くのは堪える。つまり年齢的なリミットも考慮にいれると、KKHは今が最も狙い目なのかもしれない。いつカシミール紛争が再発するか?中パ国境問題が勃発しないか?パキスタンの政情がこれ以上混乱して、プチイラク状態にならないか?ウイグルの独立運動がもっと再燃して、中国軍との全面的な武力紛争に発展しないか? こうなったらKKHはオシマイである。戦略的に極めて重要な道路なので、こうなったらここは完全に危険区域になるだろう。ウルムチの暴動は完全に予定外だったが、それを除けば、今がチャンスであったのだが・・・・。
まぁ正当化はここまでとして、一応今年の9月にと考えてはいる。難易度としては、去年のコソボよりも上であることは間違いない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC
これによると、このハイウェーは海抜4000メートル級の場所に通っているそうで、ご存知のことながらこの標高は富士山の頂上よりも高い。しかもこの付近には7000メートル級の山がゴロゴロあり、さぞ景色も美しいに違いない。
バックパッカーと呼ばれている安価な料金で世界中を個人旅行する人々にとって、この道は昔から特に注目されており、その美しさについてはネットなどで広く喧伝されているという。
インターネットで調べて見ると、大手ではないものの旅行会社のツアーが組まれているものがある。
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/GPPK11/index.html
実は今年の旅行は、ここに行くことを密かに計画しているのだが、難点がいくつもある。それは、いわずもがな治安の面がほとんどだ。ただでさえ現在のパキスタンは政情的に不安定である。しかもここはカシミール地方の真っ只中でもある。そしてこのハイウェーは、あの恐怖のアフガニスタンの国境線に、一番近い距離で約50キロのところを通っているのだ。そして最終地はウイグル自治区のカシュガル、ウルムチであり、いま暴動というか独立運動に発展して死傷騒ぎが起こっている場所である。
別に危険な場所に行きたいわけではない。危険な地域を見てみたいというのが目的でもない。そんな気はまったくない。それにこの地域はインフラが整備されておらず、快適な旅行になるとは言い難い。なら、なぜそこに行きたいのか?と問われれば、ひとえに風景の美しさの為である。
他人から見たら、この考えはまったくの馬鹿にしかみえないかもしれない。なぜ、そんな危なっかしい地域に、しかも今年にそこに行こうと考えているのか?美しい風景があるといっても、なにも今年でなくても良いだろう・・・と。
それはある意味正論ではあるが、ある意味ではまったく分かっていないとも言える。あえて自分の考えを正当化するならば、「今がここにいける一番のチャンスであり、今が一番安全な時」といえなくもないからだ。理由は以下を読んでほしい。
イラクという地がある。この地には恐らく今後少なくとも10年、いや15年は旅行に行くことはできないだろう。治安回復にはそれだけの時間がかかる。ユーゴ紛争の時よりもさらに時間がかかるという予想は、この地域の歴史的経緯をみれば、おそらく当たっているだろう。ということは、私がイラクに行くことができる可能性は、40代の後半、あるいは50代になってからという事になる。それも運がよければそのあたりというだけであって、存命中に行けないという可能性は十分にある。とすると、イラクのジッグラトで有名なウル遺跡を、生涯肉眼で見ることはできないかもしれないのだ。アフガニスタンについてはもっと深刻で、おそらくこの地には存命中に足を踏み入れることは叶わないかもしれない。つまり、いまさらになるが、イラクに行けた時期というのは、1988年以降、1990年以前の2年間か、あるいは前述したように今から10~15年以降である。だが、10年ならまだしも、15年以降ともなると、もはや体力的にこの地に足を運ぶことが難しくなる。年をとってからインフラの弱い地域に行くのは堪える。つまり年齢的なリミットも考慮にいれると、KKHは今が最も狙い目なのかもしれない。いつカシミール紛争が再発するか?中パ国境問題が勃発しないか?パキスタンの政情がこれ以上混乱して、プチイラク状態にならないか?ウイグルの独立運動がもっと再燃して、中国軍との全面的な武力紛争に発展しないか? こうなったらKKHはオシマイである。戦略的に極めて重要な道路なので、こうなったらここは完全に危険区域になるだろう。ウルムチの暴動は完全に予定外だったが、それを除けば、今がチャンスであったのだが・・・・。
まぁ正当化はここまでとして、一応今年の9月にと考えてはいる。難易度としては、去年のコソボよりも上であることは間違いない。
EF50mmF1.8II
車にカメラを据え付けて、夜の公道を4~5秒ほどシャッターを開けて撮影したらどんな写真が取れるんだろう?という疑問があって、前々からぜひ一回試してみたかった。
写真は残念なことに、車の振動によって(道路のデコボコが大きい)ブレブレのものになっている。これをもっと精度を上げてやるのならば、やはり高速道路それも段差がほとんどない田舎の高速道路を使うしか、もはや方法がないかもしれない。撮影中に雨が降ってきたので、フロントに水滴が反射してしまった。今後のやりようによっては、面白い映像が撮れるかもしれない。
車にカメラを据え付けて、夜の公道を4~5秒ほどシャッターを開けて撮影したらどんな写真が取れるんだろう?という疑問があって、前々からぜひ一回試してみたかった。
写真は残念なことに、車の振動によって(道路のデコボコが大きい)ブレブレのものになっている。これをもっと精度を上げてやるのならば、やはり高速道路それも段差がほとんどない田舎の高速道路を使うしか、もはや方法がないかもしれない。撮影中に雨が降ってきたので、フロントに水滴が反射してしまった。今後のやりようによっては、面白い映像が撮れるかもしれない。
銅版画というものがある。この本は昔古本屋で購入したもので、1960年代に刊行された。内容は以下の写真のような銅版画が数十点おさめられている。タイトルはドイツ語で「最高に美しき城郭、城、庭園(達)」という意味だ。

中世~近代ヨーロッパの時代の城郭が描かれている。
城郭にかかる跳ね橋、城の四方を支える四つの塔、城下町の様子などが描かれているが、こういう風景は現在でも残っいたりするから驚きである。特に4枚目の写真のような城下町の風景は、現在のヨーロッパの旧市街ではいたる所で見つけることが出来るほどである。


以前にUPしたドブロブニクの旧市街と同じような情景だ。

四方を山に囲まれた街。現在でもアルプス山脈付近にはこんな街がある。インスブルックなどがそうである。

中世~近代ヨーロッパの時代の城郭が描かれている。
城郭にかかる跳ね橋、城の四方を支える四つの塔、城下町の様子などが描かれているが、こういう風景は現在でも残っいたりするから驚きである。特に4枚目の写真のような城下町の風景は、現在のヨーロッパの旧市街ではいたる所で見つけることが出来るほどである。


以前にUPしたドブロブニクの旧市街と同じような情景だ。

四方を山に囲まれた街。現在でもアルプス山脈付近にはこんな街がある。インスブルックなどがそうである。
EF50mmF1.8II
Canonの大砲、単焦点EF300mmF2.8Lである。
このレンズは私もモノではないのだが、勝手に借りて
持ち出すこともできる。しかし重い。そしてこのレンズ
を有効に使うための被写体にもなかなかめぐり合えない。
バードウォッチングなどをやらない私としては、何に使えば
よいのだろう?間違っても「盗○」に使ってはいけない。
2.8なので明るいレンズである。遠くまで見える。うーん
どこまでいっても動物系か。風景でいくなら、遠くにある
山などだろう。
いつかこのレンズで撮った写真をブログに載せるときが
くるでしょうが、しばし待たれよ。
Canonの大砲、単焦点EF300mmF2.8Lである。
このレンズは私もモノではないのだが、勝手に借りて
持ち出すこともできる。しかし重い。そしてこのレンズ
を有効に使うための被写体にもなかなかめぐり合えない。
バードウォッチングなどをやらない私としては、何に使えば
よいのだろう?間違っても「盗○」に使ってはいけない。
2.8なので明るいレンズである。遠くまで見える。うーん
どこまでいっても動物系か。風景でいくなら、遠くにある
山などだろう。
いつかこのレンズで撮った写真をブログに載せるときが
くるでしょうが、しばし待たれよ。
昨年の写真から。
ヨーロッパの至る所にある旧市街の情景は、古き昔の状態が今日まで保たれていることにただ驚かされる。赤茶色の屋根瓦、電柱・電線も無く、付近に高層ビルもなければ、景観を損ねる派手なネオンなども一切ない。建物も壁の色も白またはベージュ色で統一されており、たとえ旧市街内の商業地域であっても、全体の美観を損なわないような配慮が異常なくらい施されている。大都市にあるようなガラスのショーウィンドウなどの店は、旧市街の中では存在しない。自分達の文化に対する美意識の拘りの強さが伺えるのである。
勿論旧市街の中に自動車を乗り入れることは出来ない。観光地化されてしまっているといえばそれまでだが、しかし利便性を著しく抑制してまで、美観を保とうするその強烈な美意識は、ただただ「すごい」としかいいようがない。
ちなみに、街を眼下に見下ろすことが出来るこの山の頂上にも、誤って落下しないように配慮された「柵」がないという、徹底ぶりである。西洋人恐るべし。
ヨーロッパの至る所にある旧市街の情景は、古き昔の状態が今日まで保たれていることにただ驚かされる。赤茶色の屋根瓦、電柱・電線も無く、付近に高層ビルもなければ、景観を損ねる派手なネオンなども一切ない。建物も壁の色も白またはベージュ色で統一されており、たとえ旧市街内の商業地域であっても、全体の美観を損なわないような配慮が異常なくらい施されている。大都市にあるようなガラスのショーウィンドウなどの店は、旧市街の中では存在しない。自分達の文化に対する美意識の拘りの強さが伺えるのである。
勿論旧市街の中に自動車を乗り入れることは出来ない。観光地化されてしまっているといえばそれまでだが、しかし利便性を著しく抑制してまで、美観を保とうするその強烈な美意識は、ただただ「すごい」としかいいようがない。
ちなみに、街を眼下に見下ろすことが出来るこの山の頂上にも、誤って落下しないように配慮された「柵」がないという、徹底ぶりである。西洋人恐るべし。
EF24-105mmF4L
単線小湊鉄道で、養老渓谷駅の手前に上総大久保駅がある。
小湊鉄道はかつての上総国を走る鉄道なので、駅に「上総○○」という名前が多くついている。私のHNが上総国主大納言というのも、住んでいる場所が上総国に由来する。
小湊鉄道の駅はほぼ無人駅であり、ここ上総大久保駅も例外ではない。
小湊鉄道も小湊バスと同じで、上がクリーム色、下が赤のツートンカラーになっている。
単線小湊鉄道で、養老渓谷駅の手前に上総大久保駅がある。
小湊鉄道はかつての上総国を走る鉄道なので、駅に「上総○○」という名前が多くついている。私のHNが上総国主大納言というのも、住んでいる場所が上総国に由来する。
小湊鉄道の駅はほぼ無人駅であり、ここ上総大久保駅も例外ではない。
小湊鉄道も小湊バスと同じで、上がクリーム色、下が赤のツートンカラーになっている。
EF50mmF1.8II
写真はDPPソフトで加工してあります。夕方の太陽が沈む直前の空を写したものです。雲を透過した夕日の光は、赤くそして金色に輝いています。
夕日を見ていつも思うのは、あのはるか先の夕日の方向には、未だに昼である地域があるのだという事実です。
写真はDPPソフトで加工してあります。夕方の太陽が沈む直前の空を写したものです。雲を透過した夕日の光は、赤くそして金色に輝いています。
夕日を見ていつも思うのは、あのはるか先の夕日の方向には、未だに昼である地域があるのだという事実です。
EF24-105mmF4L
京に北山杉の台杉仕立てというものがある。これは京都独自の育林である。
それが写真の杉で、一本の太い幹から、数本の細い幹を出している異様な
姿である。これを垂木などに使うわけだ。いわゆる本物の「北山杉」とは
三角形の樹冠を持った槍のような姿をした、あの杉のことを指すのでは
なくて、台杉仕立てになったこの写真の杉のことを指す言葉なのだと言う。
京に北山杉の台杉仕立てというものがある。これは京都独自の育林である。
それが写真の杉で、一本の太い幹から、数本の細い幹を出している異様な
姿である。これを垂木などに使うわけだ。いわゆる本物の「北山杉」とは
三角形の樹冠を持った槍のような姿をした、あの杉のことを指すのでは
なくて、台杉仕立てになったこの写真の杉のことを指す言葉なのだと言う。
EF24-105mmF4L
一年の空の雲の形を観察していると面白い。冬、春の雲は薄っすらと伸びた形をしているが、5月の終わり頃になると、とたんにモクモクとした入道雲のような形に変化する。これは写真をやることによって気づいた微妙な変化である。なにげなくいつも空の変化を目で追っていたワケだ。あぁ、そろそろ夏が来たんだな...と。
一年の空の雲の形を観察していると面白い。冬、春の雲は薄っすらと伸びた形をしているが、5月の終わり頃になると、とたんにモクモクとした入道雲のような形に変化する。これは写真をやることによって気づいた微妙な変化である。なにげなくいつも空の変化を目で追っていたワケだ。あぁ、そろそろ夏が来たんだな...と。