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Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

テッサ

2010年05月10日 17時58分49秒 | Eos5D
EF50mmF1.8II

久々の更新が「テッサ」の写真。今年もそろそろどこへ旅行に行くのかを決める季節になってきました。個人的には、去年も書いたように「中央アジア」を狙っているのだが、かの地は依然として政情が不安定なのが困る。もう一つの候補は中国内陸部である。敦煌の砂漠を見るか、それともカシュガルでカラ=ハン朝を偲ぶ旅にでもするか。いずれにせよ「陸のシルクロード」のルート興味が尽きない。テッサの写真など撮っている場合ではないのである。

とにかくシルクロードの歴史は西暦2,000年以降かなり研究が進んでいて、文化的形質も明らかになりつつある。それに追随するように、私の中で中央アジア史の興味も膨らんできている。中国以外でも、タジキスタンの「ブハラ」「サマルカンド」などの都市には是非行ってみたいものだが・・・・、この辺りに行くには結構勇気がいる。まぁあと2ヶ月くらい時間があるので、今からゆっくり考えようと思う。

嗚呼、麗しのパキスタン

2010年03月06日 01時56分47秒 | Eos5D
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&source=hp&q=%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E6%B0%B7%E6%B2%B3&lr=&oq=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GTPK13/index.html

パキスタンには、バルトロ氷河トレッキングなる旅行がある。これは4000メートル級の氷河を何日もトレッキングして、最終的には世界で二番目に高い山K2を間近にのぞめるコンコルディアとよばれるベースキャンプまで行くというものである。
今年も海外旅行を狙っているのだが、正直ここに行きたいのは山々だが、難点がいくつもある。まず最大の難点が日程である。25日だとぉぉぉ?これは不可能に近い。次に旅費が50万以上するということもあるが、これは正直あまり障害ではない。あとは体力である。なにせ16泊もテントである。一日7~8時間くらい歩く。これはかなりキチガイである。

この旅行の最大の難点は「歳」である。50代になってから、この旅程はさすがに不可能だ。だが今の年齢で25日間の休暇はさすがに取れぬ。嗚呼、麗しのパキスタンよ、「歳」と「休暇」のジレンマが・・・。まぁ去年に続き「山」というのも、多少食傷気味といえようが、このバルトロ氷河は、アルプスの氷河なんて比じゃないほど凄いに違いない。

まぁ、おそらく今年はここへは行けないが、もし行くと仮定して、ちょっと撮影プランを考えてみる事にする。

当然ではあるが、氷河のトレッキングの16日間は、電気などなく、したがって充電は不可能である。ではカメラのバッテリーや、コンパクトフラッシュなどのカメラのメモリはどうするかと言えば、それは買いだめ、充電だめしておかねばならない事になる。
バッテリーが一個4000円くらいと考えると、16個で・・・・64000円!コンパクトフラッシュが16GBを16個。一個5000円だとしたら80000円。えぇぇぇぇ!こりゃまずい。カメラの周辺準備だけでもう14万を超えちまっている。
そんなに沢山持っていかなくても・・・と言う人もいるだろう。それは日常生活ではもっともな事である。しかしバルトロ氷河に再び訪れる事などは、もはや無いに違いない。とすると撮り逃しはご法度である。ならばこのくらいの準備はむしろ当然というレベルである。

計算してみると、意外と厳しい旅になりそうだ。今度は革靴で行くわけにはいかない。防寒対策なども考えると、ここでも10万くらいは飛びそうだ。こりゃダメだ。再考をせねば・・・。

照明

2010年02月23日 01時53分47秒 | Eos5D
EF50mmF1.8II

宿の照明です。これは紙が巻いてあるわけでもなく、蝋燭の炎でもない。プラスチック製で、中には電球が入っている。ネタバレをしてしまうと風情もへったくれも無いが、写真というのは、それを感じさせずに見せることが出来る。本当はこんなに暗くもない。撮影時間は午後4時頃なのだ。さらにレタッチも加えている。印刷してしまうと、そのあたりの修正に気づいてしまうかもしれないが、ブログ上に貼るときには解像度を72まで落とし、27㎝×18㎝まで縮小するので、細かい修正箇所は殆ど気づかれる事はない。カメラがデジタルになって、こういう加工がとても楽に行えるようになった。私がカメラを始めたのも、それが大きな理由である。あとは銀塩に比べてカネがあまりかからない事。まぁ銀塩を愛好する人に言わせれば「加工は邪道」となるかもしれないが、銀塩でもフィルターかけたり、暗室で現像するときにRGBのバランスを調整したり、果てはネガにまで加工を加えたりなど、同じようなことをやっている。そうすると、どこからが邪道で、どこからが正道なのかの線引きが分からなくなる。

まぁ、邪道だろうが正道だろうが、自然に見えて美しければそれでいい。

事実と真実

2010年02月13日 02時33分42秒 | Eos5D


事実と真実。両方ともよく使われる言葉であるが、その言葉の意味を明確に使い分けられる人は、実は少ない。これは辞書を引いても、混同する説明になっていて、誤解を生むのである。

事実(辞書からの抜粋)

(1)現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
(2)〔哲〕 時間空間内に現に存在するものとして我々に経験される出来事や存在。現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。

(1)の説明では、真実と混同しやすい印象を与える。その証拠として、真実の辞書に書かれている意味を調べてみよう。


真実(辞書からの抜粋)

(1)うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また、そのさま。
「—を語る」「—の恋」「私に取つては、あなたが、一番—な友人でゐらつしやるのだから/人形の家(抱月)」
(2)〔仏〕 絶対の真理。


我々は、事実を、ときおり「本当のこと」と捉えている。それは辞書的な定義としては必ずしも間違いとはいえない。ただ「本当のこと」という言葉の捉え方に意見の相違がある。「本当のこと」=「真実」という言葉の変換を、我々は半ば無意識的に行っているが、これこそが誤解の最大の要因であろう。例えば「その一瞬の出来事」であっても、それは事実足りうる。つまり「本当のこと」になりうるわけだ。写真は「その一瞬の出来事」を写し取ったものという事から、それは「本当のこと」であるけれども、同時に「本当のこと」ではない。言い換えれば、現実に起こったことであることは間違いないが、しかしそれは絶対の真相や真理とは必ずしも成り立ち得ない。

つまり我々は辞書の定義の(1)を大きく意識して、言葉の意味を捉えるが、実は言葉の定義の本質により近いのは、(1)ではなくて(2)の方である。


(2)の抜粋:

事実
(2)〔哲〕 時間空間内に現に存在するものとして我々に経験される出来事や存在。現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。

真実
(2)〔仏〕 絶対の真理。

真理
(1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。
「不変の—」
(2)〔哲〕(価値を慮外にして)事態の真相。真。その基準については諸説ある。(1)思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)。(2)ある命題(思想)が他の諸命題と矛盾せず整合性があること(整合説)。

事実はあくまで、我々もしくは「私」が知覚・経験することを背景に持っている。我々に経験される出来事や存在とあるように、経験・知覚されない出来事は存在などはスルーされるのである。例えば、ここに挙げた2枚の写真がある。両方の写真とも、同じくらいの場所で撮影されたものである。この場所は上の写真と下の写真を併せ持った場所である。美しい、美しくないで表現するなら、上は美しくなく、下は美しい、といった異なった知覚が導き出される。実は、この場所を説明するには、この2枚では不十分である。時は刻一刻と流れ、風景や情景は瞬間瞬間に変化していく。その変化の様を全て記録に残す事は不可能である。毎秒1枚ずつ撮影したとしても、またビデオで撮影したとしても、それは記録される範囲が画角内に限定されるし、たとえ肉眼で見たものであったとしても、我々の知覚外の現象については(たとえば、足元に小さな虫が活動していたとして、それに気づかなければ、その人間はその点における事実を取りこぼしている事になる)ついにその事実は知覚・知る事ができないということになる。これが事実というものの正体である。一方真実とは、これも諸説があるが、広義には「普遍的で妥当性のある法則や事実」である。ある命題が諸命題と矛盾せず整合性があること、とあるが、これは「誰が見ても同じと感ずる事」と乱暴ではあるが言い変えても良いだろう。
先ほどの「足元の虫」の件で言えば、その虫に気づくものもいれば、気づかぬものもいる。同じ景色を見ても「美しい」と思う人もいれば、「さほどでもない」と思う人もいる。このように意見の総意が得られない、つまり普遍的でもなければ、知覚の整合性もないものは、真実とはいえないことになる。つまり真実とは、この世のすべてを見通せる目であったり、もしくは完全に統一された意思であったりというように、人間全部が同じ条件を揃えているといったような要素を要求されて、初めて現出する言葉である。

そう考えると、写真といわれるものが、如何に真実など写していないという事が良く分かるのだ。自分の知覚できる、しかも瞬間的出来事という意味における「本当のこと」は映し出すことが出来るとしても、万人に共通した出来事は一切映し出すことなどは出来ない。自分の知覚に対しても、それは一瞬の出来事でしかない。一週間で3000枚の写真を収めたとしても、それは瞬間的な知覚にすぎないし、自分の目や耳で知覚したことであっても、それは主観的な世界観のみが構築されるだけであって、実態・真相はおそらく違っているのである。

こういう性質を巧みに使い分ければ、美しくないものでも美しく見せる事が出来る。実態とはかなりかけ離れた世界観を他人に植え付けることも可能である。写真・映像というものは、そういう効果を作り出しやすい装置なのである。
私のブログには多くの写真や旅行記などがUPされているが、基本的には魅力的に見えるような演出がかなり施されている。今回UPした一番目の写真のようなモノは、基本的には魅力が下がるのでUPしないのだが、これは悪い意味でいえば、印象を意図的に操作していると言える。綺麗に見せよう、行きたいと思わせるようにしよう、と印象を操作しているわけである。
たとえば、肉眼では空はこんなに青く見えない。それがこんなに青く見えるのは、写真機の演出効果のなせる業である。


さて、これを踏まえて報道というもののあり方を考えてみることにする。
彼らは事実と真実を巧みに混同させるような編集・構成を良く行う。しかし、それは学問的真理を追究するという目的に沿って行われている事は極めて稀である。多くは、そういったアカデミックな問題からではなくて、商売上、もしくは思想上の整合の為に行われているのだ。報道も商売も大した違いがない。両者ともども、社会の為に、と本当に心から考えている者は極めて少ない。両者とも基本的には利益を追求する集団に過ぎないのだ。だから、報道の内容を「学問的良心に従った真相」などと鵜呑みにする人がいるとすれば、その人はかなり純真なナイーブな性格の持ち主だといえよう。
↑の写真においても、一番目の写真ばかりを集めて構成すれば、実態とは異なる印象をあたえることが出来るだろう。我々は撮影者・報道者の良心を無条件で信じてはならないのである。それは信頼ではなく「鵜呑み」というのである。その報道を「信じる」のであれば、彼らの良心を鵜呑みにせず、信頼に足る良心を本当に持っているのかを見極めなければならない。つまりその点を研究しなければならない。面白い言葉がある。それはこういうものだ。「歴史の研究とは、歴史家の研究でもある」・・・と。つまり歴史家の良心の研究である・・・と言うのだ。この歴史家が、どの方向性を向いているのか。どこにこだわりを持っており、どこに関心がないのか。真相に一歩、また一歩近づくためには(ここで言う真相とは、全知全能、すべてを知りうる神の視点のことをさす)こういった研究者の研究をして、著書の取捨を選択するということを行っていかなければ、彼らの用意したワナに陥る可能性があるのだ。儲かるから書く。気持ちいいから書く。誘導しようとするから書く。いろいろな場合が考えられる。コマーシャルと同じである。美味そうに見せるのである。必ずある方向にベクトルがかかっているのである。我々は情報の取捨選択を適切に行わなければならない。それをせずに与えられた情報をただただ鵜呑みにするだけでは、我々は彼らのいいように利用されてしまうだけである。

銀河英雄伝説オンライン vol17

2010年02月08日 06時36分54秒 | Eos5D
銀河英雄伝説オンライン vol17


銀河英雄伝説というアニメーションを使ったゲームがある。
これまでの作品は、ボーステックというメーカーによってリリースされて
きたが、今作になってバンダイ・ナムコに製作が変わった。これはPCソフトで、
主に戦術に重きを置いたオンラインゲームである。(オフラインでもプレイ可能
だが、オンライン用に作られているとしか思えないほど、COMのアルゴリズム
は弱い)

最近写真をUPしないと思ったら、こんなゲームの動画編集をチマチマとやって
いたというワケである。

茶菓子

2010年01月27日 21時59分52秒 | Eos5D

朝日新聞
野党追及、攻め手不足 「政治とカネ」漂う手詰まり感2010年1月27日7時30分


参院予算委で自民党・西田昌司氏の質問で紛糾し、委員長席に集まる理事ら=26日午後2時21分、国会内、飯塚悟撮影
 参院予算委員会の初日となった26日、野党側は衆院に続いて鳩山由紀夫首相と小沢一郎民主党幹事長の「政治とカネ」の問題を攻めた。だが、一連の事件について有力な追及材料を示すことはなく、早くも手詰まり感が漂った。

 「秘書の責任追及はどうするのか」。自民党の西田昌司氏は首相に対し、偽装献金事件で起訴された2人の元秘書の処遇をただした。首相は、元公設第1秘書は解雇したが、元政策秘書は「有能な人材なので私設秘書として働いてもらっている」と答弁。西田氏は「反省していない」と迫ったが、首相は「強く反省している」と突っぱねた。

 小沢氏側の事件をめぐっては、さらに困難を極めた。参考人招致を求めても、民主党が応じる気配はない。問いただすべき小沢氏がいない中、土地取引問題の詳細を執拗(しつよう)に追及するあまり、簗瀬進委員長から「答弁者がここにいないので節度を心得て」とクギを刺される場面もあった。

 質問に腐心する野党が繰り出したのが「小沢氏の問題をどう思うか」という質問だ。

 改革クラブの荒井広幸氏は閣僚席に座る歴代の民主党代表に対し、資金管理団体による不動産所有は「国民目線の民主党から見て異常か」と質問。首相は「なかなか他の議員では(同様のことは)難しい」、菅直人副総理と岡田克也外相は「首相と同じ」と答えるにとどめたが、前原誠司国土交通相は「政治資金で不動産を買うべきではない」と厳しい姿勢を示した。

 一方、自民党の舛添要一氏は「政治とカネ」の問題をめぐる今後の対応を首相に質問した。自民党は企業献金に依存しているが、舛添氏は「企業・団体・労組の献金を禁止し(税金による)政党助成金のみで政治を」と迫った。これに対し、首相は「政党助成金を増やすより政治への信頼回復が先という議論があり容易ではないと思うが、各党で議論を」とかわした。


読売新聞
資産追及、首相しどろもどろ…参院予算委
1月27日1時16分配信

 26日に始まった参院予算委員会の論戦は、衆院に続き「政治とカネ」が中心テーマとなった。野党は鳩山首相の偽装献金事件を取り上げつつ、首相の個人資産の内容まで細かく追及。ヤジで騒然とする中、審議中断は十数回に及んだ。

 この日質問に立った野党議員のうち、自民党の舛添要一氏、西田昌司氏、森雅子氏、改革クラブの荒井広幸氏が「政治とカネ」の問題をただした。

 「首相の田園調布の自宅は10年以上登記されていなかった。なぜか」

 西田氏は首相の個人資産を調べあげたうえで、「カネにルーズな首相」を印象づける作戦に出た。不意を突かれた首相は、「よく調べていただいて」「調べてみます」としどろもどろに。

 西田氏はまた、首相が事件で略式起訴された元政策秘書を私設秘書として雇い続けている点を追及。「有能な人材だ」とかばう首相を、「あなた自身が反省していないことを証明している」と突き上げた。

 自民党は、政府参考人として出席した官僚の答弁を巧みに活用。西田氏が「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書をただちに修正するよう求めたのに対し、首相は「すべての資料が検察にある」と拒んだ。しかし、西田氏は、法務省刑事局長から「請求があれば、(資料の)仮還付(仮返還)は可能」との答弁を引き出し、「事実を話す責務を果たせ」とたたみかけた。

 首相は事件について「検察の捜査で解明された」として決着済みだとの立場だが、この日の野党の根掘り葉掘りの追及には、たびたびむっとした表情を浮かべた。保有していた株式の一覧表を開示するよう食い下がった森氏に、「あなただけご覧に入れてもいい」と約束してしまい、周囲を慌てさせる場面もあった。

 改革クラブの荒井氏は、小沢民主党幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件を取り上げ、主要閣僚を次々と指名して資金管理団体が資産購入することの是非を質問。前原国土交通相から「政治資金で不動産を買うべきではないと思う」との答弁を引き出した。 .最終更新:1月27日1時16分

参院予算委で自民・森雅子氏が提出した陸山会が保有する不動産の資料を見る鳩山由紀夫首相=国会内で2010年1月26日午後3時2分、藤井太郎撮影 26日の参院予算委員会で、鳩山由紀夫首相が自らの株売却所得の申告漏れ問題に関連して、自民党の森雅子氏に対し、自ら売却した株式の一覧表を「あなただけに見せてもいい」と答弁し、委員会終了直後にカバンから取り出して同氏に示そうとして平野博文官房長官らに制止される一幕があった。

 森氏が「売却した株の一覧表の提出を求めたが、なぜ出さないのか」と追及したのに答えた。

 簗瀬進委員長(民主)も「(是非を)理事会で協議する」と押しとどめ、首相は森氏に「ごめんよ」と謝罪した。自民党は首相の答弁に反する平野氏らの行動を問題視し、抗議する構えをみせている。【田所柳子】


毎日新聞
鳩山首相:「国民から失笑」今度は自嘲 言葉軽く
2010年1月26日 22時45分 更新:1月26日 23時23分

 鳩山由紀夫首相は26日の参院予算委員会で実母からの資金提供について「知っていたのではないか」と追及され、「国民から今、失笑を買っているし、申し訳ないと思っているが、全く存じ上げなかった」と答弁した。

 鳩山首相はこれまでも発言の撤回や釈明に追われてきた。自らの偽装献金問題に関し「失笑」という自嘲(じちょう)的な言葉を使うことは、同問題での説明の信頼性まで損ないかねず、最高権力者としての「言葉の軽さ」を改めて印象づけた。

 この答弁について、細川内閣で首相秘書官を務め、官房副長官だった鳩山首相と旧知の成田憲彦駿河台大学長(日本政治論)は「私も首相にどんな言葉を言ってもらうかに精力の半分以上を費やした。政治リーダーとして言葉の選択にエネルギーを費やしてほしい」と苦言を呈する。

 追及した西田昌司氏(自民)も同じ趣旨の質問を繰り返す場面があり、川上和久明治学院大副学長(政治学)は「鳩山首相はもう逃げ切ったと思っているのではないか」と自民党側の攻めの甘さを指摘する。【鈴木直、野原大輔】





産経新聞
政治とカネでこころもとない首相答弁 当事者意識も責任感もなく (1/2ページ)
2010.1.27 00:31

このニュースのトピックス:鳩山内閣

参院予算委員会で答える鳩山由紀夫首相=26日、国会(酒巻俊介撮影) 26日の参院予算委員会では、鳩山由紀夫首相の資金管理団体をめぐる偽装献金事件が改めてクローズアップされた。首相は実母から受けた資金提供の総額が12億6千万円であることを即答できないなど、当事者意識の欠如と政治資金に対する責任感の低さをあらわにした。民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の政治資金規正法違反事件でもも、小沢氏を擁護する場面が目立った。

 「平成14年7月から21年6月まで月1500万円、母から贈与があった。トータルは計算していただければと思います」

 自民党の西田昌司氏が実母からの提供資金総額を尋ねたところ、首相は即座には答えられなかった。西田氏が「計算して知らせるのはあなたの責務だ」と問いつめても、指折りして数え始める始末。

 資金提供を知った日にちに関しても「12月26日だったかと理解してます…23日です」と言い直した。首相の元秘書2人が在宅・略式起訴されたのは12月24日。首相は同日に記者会見を行っている。26日に知ったというのはあり得ず、首相自身が「決着した話」と主張している通り、記憶も遠のき始めているかのようだ。

 首相は西田氏がいくら求めても、政治資金収支報告書を直ちに訂正することをかたくなに拒んだ。

首相は昨年7月に資産補充報告書の訂正を衆院事務局に届けたが、その後に判明した虚偽部分を修正していない。首相は「資料が検察にある。正確を期すために公判が終わって、資料が手に入ったときに修正を行う」と、正当化してみせた。もっとも、この日の予算委で法務当局は請求があれば証拠品を還付することができると説明した。

 実母から受けた12億6千万円の使途開示についても「公判後」としており、野党は実態解明の先延ばしだと批判を強めている。

 首相は在宅起訴された元公設第1秘書(会計実務担当)の勝場啓二被告が資金を横領した可能性を問われると、「横領するような人物ではない。そのようなことはないと信じている」と答弁した。25日の衆院予算委で政治資金収支報告書を「十数年見ていなかった」と明かした首相が、「信じる」を連発しても空疎に響くばかり。

 西田氏が略式起訴された芳賀大輔元政策秘書を現在も私設秘書として雇ったことを問題視しても、「有能な人材だ」と擁護した。

 首相は続いて質問にたった自民党の森雅子氏から売却株の一覧表の提出を求められると、「あなたにだけご覧に入れてもよろしいのですが…」と表情をゆるませた。委員会終了後、実際に一覧表をとりにいった森氏に首相は「いいよ」とみせようとしたが、平野博文官房長官から阻止された。

 小沢氏にかかわる政治資金規正法違反事件についても首相は「国会で決めてほしい」と述べるにとどまった。民主党が独自に調査することも拒絶し、自ら信頼回復に向けて指導力を発揮しようという意欲は最後まで感じられなかった。(坂井広志)



いやー、ここまで新聞社によって見解と内容が異なるとは。
一部の新聞社にある方向ベクトルがかかっている傾向があるとは分かっていたが、鳩山がこういう状況に追い込まれても、なおも擁護的な記事が載るとは、改めて偏向報道の執拗さというものを改めて実感した次第ですな。
しかし、こんなヒドイ見解を載せるのなら、「報道は事実を解明する」などとか「監視機能」などというような大義名分など吐く資格はなさそうである。素直に「商売でやってます」「思想でやってます」と言ったほうが、はるかに清々しい。

ハッキリいって自民はクソだが、民主はさらに輪をかけてクソである。碌な経済対策も打てないだけにとどまらず、スキャンダルについてもこの体たらく。一部ノマスコミの必死な擁護があって、ようやく支持率50%をきる程度に留めてくれているのに、ごまかしきれないものが噴出する。この期に及んで、外国人地方参政権法案まで国会に提出する始末。沖縄問題も参院選まで棚上げ。すべては政局のためだけの「政策」である。この内閣にここまでの支持が未だにあるのがサッパリ理解できないが、こういう政府の機関紙のような新聞社があるという事実を見ると、なるほど、その理由も説明がつくかも・・・と少し納得してしまう。

ハードディスク壊れる

2010年01月06日 01時57分51秒 | Eos5D
ついに事件が起こってしまった。
新年早々、いつものようにPCを起動すると、ウィンドウズの「ようこそ画面」が立ち上がるまでにとても時間がかかった。あまりの遅さにPC本体、もしくはOSが壊れたと思ったくらいである。ログインをしても、メイン画面が起動しない。これはやっちまったか?と慌てる事20分。外付けHDDの電源をOFFにして再起動すると・・・、なんと直ったではないか。ホッとしたと同時に、嫌な予感がした。
早速、外付けHDDを接続するが、認識しない・・・・・・。マイコンピュータをダブルクリックすると2分くらいフリーズする。とにかく認識しない。
私の外付けHDDには、Eos5Dで撮影したRawファイルの殆どが保管されている。それ以外にも、ピーな画像や、プーな動画なども収められている。ピーやプーなモノはともかくとしても、この間の旅行写真が飛んでしまうという事態は絶対に避けなければならない。私は去年のクロアチア旅行写真、韓国旅行写真などは、すでにDVDに焼いてバックアップを取っていたので問題はないのだが、恐るべきはスイス旅行記をDVDに焼いて保管した記憶が無い。
血の気が引いた。3,000枚以上にわたる写真が、まさか一瞬にしてパーになったか?と思った。DVDケースを探すも「スイス旅行写真」というタイトルの入ったDVDは、やはり無い。外付けHDDを必死にPCに認識させようとするが、頑張った挙句にでてきたメッセージは「フォーマットしますか?」だけであった。この後かなり慌てる。しばらく記憶をたどる事に時間を使い、思い出したことは、ノートPCを旅行に持って行った事。そしてファイルをノートに落とすということをしたという事であった。急いでノートを起動させるが・・・・・・なぜか写真データがない。私はとても凶暴な気分になってきた。おかしい、そんなハズはない。まさかデスクトップPCの外付けHDDに落としたので、安心してノートから削除してしまったというのか!いいや、そんなハズは・・・まさか・・・、と一時茫然自失状態に陥る。だが、気を取り直して、また考え直してみる。そうすると、ボータブルHDD
を旅行に持っていたことに気づいた。はたしてポータブルHDDは見つかり、恐る恐る起動させてみた・・・すると・・・・・・・・・
あった。スイスの写真は無事であった。すぐさまDVDに焼いてバックアップを取ったことは言うまでも無い。

だが、この事件は、補いようも無い被害をいくつか残した。
それは、まず一昨年の京都の写真が丸ごと失われた事。同じく一昨年の紅葉、銀杏の写真も失われた。そして去年の富士の写真も失われたのである。このHPにもいくつかUPされている国内の写真は、その大半が失われたと言っても良い。これは痛い。痛すぎる。だが聞けばHDDの復旧作業というのは何十万もするそうではないか。そんなことは出来ない。というわけで、泣く泣く失われたデータは諦めるしかないのである。
あぁ・・・せめて富士と京都の写真だけはバックアップしておくんだった・・・。後悔先に立たずである。

写真は、スイスのヴェンゲンの町の写真を、フォトショップを使ってミニチュア風に仕立てたもの。

久々の更新

2009年12月31日 03時42分08秒 | Eos5D
EF135mmF2L

季節外れの銀杏の写真のUPです。今年も残すところ今日だけです。

さて、写真の話しは今日はこれまで。以下は、政治の話し。今年は政治的にも経済的にも酷い年でした。来年は政治的にも経済的にもさらに悪くなるでしょう。民主政権は酷いと思っていたが、やはり思った通りに酷かった。彼らの政策のネライというか方向性を一言であげれば「政局的政策」です。つまり次の参院戦での得票をねらうための政策で埋め尽くされているワケです。「事業仕分けによる削減」「子供手当て」「コンクリートから人へ」。なんのことはない。すべては票を得るためのバラマキです。まず事業仕分けですが、国家の予算仕分けが、家庭の出納長レベルで行われているとしか思えないものになっている。「改革」とは、誤解を恐れずに言えば、人、モノ、金の集中の箇所の見直しである。それは常に費用対効果が付きまとう。「削減」というのは、新たなる「投資への集中」に為に行われるものであって、成長戦略なき削減は、たんなる家計簿レベルの削減と同じである。すなわち、パワー低下を意味する。現在、求められているものは「景気回復」「雇用創出」「消費増加」である。簡単にいえば、職にありつけ、安定した収入を得られ、お金を使う事、なのである。金が循環しないから、市場は縮小し、経済も縮小する。この貨幣経済のシステムの是非はともかくとして、とにかく景気回復を目指すならば、タンス預金などのように、眠った金を動かさねばならない。そこでコンクリートの話である。公共事業、特に道路やダムなどは、金属が動き、建設業が動き、材料、石油、エネルギー関連の企業が動く。つまり、日本の産業に仕事が増えるわけである。当然、雇用も確保され、収入も得られる。コンクリートとは、こういう効果もあるワケである。だが、この正の部分の機能は残念ながらクローズアップされることはない。クローズアップされるのは「無駄な公共投資」というものである。そこで今の政権は公共投資を「無駄なもの」とバッサリ切り捨て、削減を目指した。では、彼らは新たな公共投資にその費用を回したか?といえば、やっていない。ここでの本質はこうである「公共投資という今までの雇用創出機能における投資を削減したのであれば、それに代わる新たな雇用創出機能に金を投資すべきである。ムダを削減し、国庫に入れるのが意味があることではない。それは国のパワーを減らすに過ぎない。ムダを削減し、それよりも効果・機能の高いモノに再投資することが予算の正しい編成である。」しかるに、現政権はこの問題にまったく手をつけていない。科学技術投資を削り、軍事費を削り、公共事業も削る。新たに増えるものはといえば、子供手当てである。こんなものは給付金と変わらない。どういうことかというと、この金は使われずにタンス行きである。貯金するに決まっている。経済政策とすれば、雇用を生むこともなく、収入が安定するわけでもなく、消費増加にも繋がらないのである。前政権が行ったエコカー減税、補助金のほうが遥かに購買力が上がり、ひいては金が循環し、景気回復の施策としては完成度が高い。現政権が、この政策を踏襲するのは当然といえば当然である。暫定税率についても同じこと。結局断念したが、これを仮に行っていたとして、どれだけの景気回復効果があっただろうか?高速道路無料化にしても同じである。バス、フェリー、電車などがどれだけの打撃を受けるのか?翻ってプラス効果で補える損害なのか、否か。さらにこれによって生じる二酸化炭素排出増加による損害は以下ばかりだろうか?鳩山イニシアチブとかいう馬鹿な総理が馬鹿な排出量目標を掲げたのは記憶に新しい。なんでも1990年比で25%も削減するというものらしいが、1990比で25%削減というのは、1971年の状況に戻るということを意味しているワケである。1971年といったら、ニクソンショックで有名なドルショックの時代である。変動為替相場制に移行した時代のお話である。馬鹿な話だとは思いませんか?しかも、無料化で排出量は上がるというのに・・・・。頭がお花畑になってしまったとしか思えない。そしてCOP15における一兆円の拠出。事業仕分けでの削減量が5000億に満たない状況で、その倍額の1兆をポンと出す。もうワケがわかりません。これらの行為が「景気」「雇用」「消費」にどう関連するのか?関連しているとはとても思えない。金の集中のポントが思いつきであって、戦略がまったくないのである。これらの政策に、唯一関連性を見出すとすれば、それは冒頭に述べたように「政局的政策」である。ようするに金で票を買おうというワケである。教員の免許更新制度も廃止になるし、外国人地方参政権の法案も提出するだろう。外国にはバラマキを行い、中国には天皇の政治利用してまでも擦り寄る。すべては票の為・・・という見方をすれば、今の政策の一つ一つに驚くほど辻褄があうではないか。米軍基地の問題にしてもそうである。本質は「票」である。安全保障の問題なんかなーんにも考えていない。沖縄住民のことを考えているフリをした票田政策に他ならない。

あとこの政権が致命的にヤバいのは、「議員立法原則禁止」を唱えた事である。議院内閣制における行政と立法は、ただでさえ癒着構造を生みやすい。それは、総理大臣は、議員の多数による推戴をうけたものが就任するからである。最大政党の総裁が総理に選ばれるというのは、いわばそういう事である。自民党でも民主党でもどっちが最大派閥になっても、結局そこの総裁が総理になり、そして内閣を作る。大統領制のように、元首を国民が直接選びに行く政治体制ではない。そう、議院内閣制は立法府と行政府が「派閥」という名のもとに癒着する構造を秘めているのである。その中でも「議員立法を原則禁止」である。これは内閣から法案の内容を提出し、議員はそれを単に通すという役割にさせられてしまうという事である。これはいったい何が問題なのだろうか?簡単にいえば三権分立の崩壊を意味するのである。行政、立法、司法がそれぞれ独立し、牽制しあう構造であるから独裁を防ぎうる・・・という考えであるのに、行政と立法はもはや合体した。そして司法であるが・・・この最後の権力も、いまや危うい状況にあるといわざるを得ない。献金問題における検察の動きが鈍いのも、小沢の西松がうやむやになっている問題も、総理を訴追できない状況にしても、法務大臣が千葉景子になっており、この者がその流れにストップをかけているのも、すべてヤバイ流れである。行政・立法・司法の権限が内閣に集中し、そして内閣を作りうる最大政党(民主党)を牛耳る小沢一郎は、実質的には総理よりも権力が大きいことになる。この男がキングメーカーなれば、事実上の総理はコイツということになるし、権力はすべてこの男に集中されるからである。

要するに「政策もダメ」「政治体制も崩壊させる」「バラまきで票を得ようとする政策で、国民の支持の目も曇っている」というしょーもない三拍子が揃っている現在は、最悪であり、おそらく来年はさらに最悪になるだろう。こんな政権が、どうして発足当時70%以上の支持があったのかまったくわからないし、現在においてもなお、59%に支持があるのか、まったく理解できない。有権者は馬鹿だとしか思えない。そういう盲目な国民にまともな情報を与えないマスコミは存在の価値すらない。

ハッキリ言って、私はもう国に期待することは諦めた。私は、私と私の周りのわずかな共同体の中で、幸せを築ける体制を構築することに力を注ぐ事にしたのである。同じような考えをもった小さな共同体と連合を組みながら、この輪を大きくしていくことでしか、世の中は変わらないと悟ってしまったのである。

タンカー接岸

2009年11月09日 01時19分38秒 | Eos5D
nikkor28-200mmF3.5-5.6 withマウントアダプター

8月の写真から。接岸中のタンカーを発見、その一部始終を捉えてみた。
船の舳先に立った船員が、オモリのついた細いロープをぐるぐると回転させ、遠心力をためた後に岸に向かって投げ込む。



細いロープをたぐった先にはもっと太い縄があり、これを接岸の時に結び付けるのである。タンカーは重く、大きいので、この時点では岸ギリギリにはつけない。港にいる者達がロープをたぐり寄せ、ゆっくりと接岸作業は続く。



このくらいの距離を保って、すこしずつ接岸していく。手馴れたもので、効率よく作業がすすめられていく。船の方では、喫水線を戻すために、船底にいれてある海水を外に放出する作業が同時に行われている。
港内は基本的には、関係者以外立ち入り禁止である。この場所も本来は入ってはいけないのかもしれない。多分写真撮影もダメなのだろう。港というのは、けっこう禁止・規制事項がある。それは当然といえば当然で、100年くらい前の話なら、港内を撮影するという行為はスパイ行為と見られただろう。今でも、共産圏の国では、港内を撮影すると捕まるところも多い。今日のわが国ではどういう扱いになっているのかは分からないが、まぁ知らないということは恐ろしいことである。どんな犯罪にあたるか分かっていないのに、のほほんと写真を撮っているのだから・・・。

ある日の千葉港

2009年08月19日 00時28分56秒 | Eos5D
Nikkor 28-200mmF3.5-5.6D

千葉港に入る海上保安船です。それにしても28-200mmというのは使い勝手の良いレンズです。EF24-105mmをもっていますが、やはり望遠側で200mmまであるというのは素晴らしい。ニコンのマウントアダプターをつけて撮影しておりますが、このニコンのレンズはかなり良い。
というワケで、スイス旅行に持って行ってしまいました。(この文章を書いているのは8月17日です)EF24-105mmも持っていきました。まぁカブってしまったわけですが、キャノンとニコンのレンズの違いを量る材料にもなりますので、いいでしょう。結局EF100-300mmF5.6Lは家でお留守番となりました。
果たして、帰国後に後悔しているかどうか?

買ってしまったEF135mmF2L

2009年08月18日 00時30分00秒 | Eos5D
EF50mmF1.8II

買ってしまいました。渡航中に使うかどうか分からないレンズなのに、つい買ってしまった。まぁ前々からこのレンズは欲しかった。
http://blogs.yahoo.co.jp/ka_papas ←この方のブログに、たびたびEF135mmF2Lのレンズで撮影したすばらしいシャープさと見事のボケの写真が掲載されており、それを度々見ていた私は、「うーん、このレンズ・・・凄い」と思っていたからです。花や人物の写真は個人的には苦手なのですが、このレンズを持てば必ず花や人物を撮る楽しみができるだろうことは分かっていました。ただ単焦点135mmは、単焦点であるが故、しかも135mmであるが故に、汎用性の低さに今まで躊躇っていたワケです。
まぁ私がこのレンズを買う決心がついた最大の理由は、上記したHPのブログの管理人のせいであると言っても過言ではありません。(なんと罪なブログなのだ)
この人がこんな素晴らしいレンズの写真をブログにUPしなければ、私も10万の大枚をはたいてこのレンズを買うこともなかったでしょう(笑)



早速、購入した日に庭先の花を撮影しました。おお、ボケが美しい。もっと背景のボケが際立つ構図をこれから試して行きたいと思います。
え?渡航先にこのレンズは持っていくのかって?その答えは言うまでもないでしょう。高山植物の写真を楽しみにしていてください。

東京湾のカモメ

2009年08月16日 01時34分09秒 | Eos5D
Eos5D + nikkor 70-200mmF3.5-5.6D

マウントアダプターを使って、5Dにニコンのレンズを着けて撮影したものである。
写真は200mmで撮影したものをトリミングしてあります。動体の撮影は難しい。
殆どの写真がボツになりましたが、この写真が面白かったのでUPしてみました。
カモメの頭の先のほうの水面が凹んで波だっていますが、これはカモメの翼の運動によって生じた風圧が海面に伝わったものだと思われます。いやぁ鳥の筋力って凄いですね。知識では知っていましたが、画像で見て改めて思い知らされました。

17年前の記録

2009年08月14日 21時32分25秒 | Eos5D
機材:Nikomat レンズ:不明。(撮影1992年)
昔の写真を整理していると、懐かしい写真のネガが出てきたのでスキャナーにかけてUPして見ました。ネガ自体が劣化しているのもありますが、このフィルムはドイツのAGFAのメーカーのもので、海外のネガをスキャンして画像に落としてみると、配色のバランスがかなりおかしく腐った色になってしまいます。UPした写真はフォトショップで配色をやや加工して、実際の色(自分の記憶の色)に近づけています。
写真の場所はドイツのシュヴェービッシュ・ハル。北緯49度、東経9度の南ドイツの一地方である。時刻は明け方8時頃。季節は確か冬の12月前後。



当時のネガは殆ど紛失してしまい、残っているネガは僅かしかありません。
いや実に惜しいことをしたものです。この写真を見たら17年前の記憶が鮮明に蘇ってきます。この写真は美的価値はあまりないものの、記憶をたどる記録という意味においては、個人的な価値は極めて高い。
我が青春時代の写真の一コマです。

レンズ選び

2009年08月11日 19時41分01秒 | Eos5D
EF24-105mmF4L
8月18日からスイスに行ってきます。そこで持っていくレンズを検討しているのですが、なかなか踏ん切りがつかない。
EF24-105mmは持っていく。これは決まっている。EF50mmF1.8IIもあると役に立つだろうから持っていく。同時に魚眼レンズも使うかもしれないのでこれももって行く。あとは古いとはいえEF100-300mmF5.6Lも望遠ズームは山を撮るのに必須なので持っていく。これらは持っているレンズなので問題ない。
問題は持っていないレンズ。つまり買いたいレンズがあるのだ。
それはズバリEF135mmF2Lの単焦点レンズである。高山植物を撮影するのには持って来いだし、なによりも開放からのボケの美しさを秀逸のレンズである。だが、ご存知の通りこのレンズは格安ショップでも9万5千円くらいする。EF70-200mmF4Lにも惹かれたが、EF100-300mmをもっているので(絶版の古レンズだが)購買意欲はいまいちそそられないが、この135mmについては別格である。このレンズはヤバイ。
http://kakaku.com/item/10501010014/
↑のホームページの写真や評価を見てもヤバイ。
すごく買おうかどうかを迷っています。
ただ山岳風景の撮影がメインになります。高山植物もピークの6月ではなく、8月です。しかも135mmという、なかなかフレームに収めるのが難しい焦点距離のレンズです。このレンズで山は撮れるのだろうか?どなたか、このレンズの特性を知っている方がいらっしゃいましたら、思いっきり薦めるための論理か、またはた思いっきり止めるための論理を提供してくれると私にとって大変有難いです。
どうしよう・・・このままでは買ってしまいそうだ!