晴れ、ときどき虹。

yaplog!から移行しました。

BABY BABY BABY!

2007-01-25 21:13:32 | 日常生活
朝からいい天気。
洗濯物を干す。

今日は、義妹が美容院に行くため、姪っ子を預かることになった。
9時半、義妹宅に。

義妹宅に上がると、ちょうどおむつ替えが終わったところだった。
「たぶん、おなかが空くと思うから、ここにミルクがあるんで、頼んでもいいかな?」
「いいですよー」
他にも、お尻拭きや紙おむつ、ガーゼのハンカチを出してもらう。

義妹があわただしく出て行った。
姪っ子は機嫌も良く、私から抱っこされて、ニコニコしていた。
ところが・・・!
すごい勢いで泣き出してしまった。
義妹が出かけて、30分ぐらい経った頃だ。

おしりもきれい。
抱っこしても、寝かせても泣きやまない・・・。

そういえば、授乳から時間が経っているって言ってたな・・・。

台所で、ミルクを作る。
ミルクなんて、ほぼ5年ぶりに作ったよ。
前もって熱いお湯をほ乳瓶に入れていたので、だいぶ冷えていた。(それでもまだ熱い)
粉ミルクの缶に書いてある説明書きを読みながら、付属のスプーンですりきり10杯ほ乳瓶に入れる。
さらにお湯を足し、蓋をしてミルクを溶かす。
腕をめくり、ミルクをほ乳瓶の乳首から、腕に垂らしてみる。
「もう少し冷まそうか・・・」
流水にほ乳瓶を当て、人肌になる程度の温度に調節する。

泣いて寝返りを打っている姪っ子を抱き上げ、ガーゼのハンカチを顎の下に敷き、ミルクを飲ませる。
ものすごい勢いで、吸い始めた!!
やっぱりおなかが空いていたんだ・・・・。
ふと、私の顔をじーっと見つめて、ほ乳瓶を持っている右手の薬指をぎゅうと握りしめている。
思いがけずに力強い。

ああ、なんか懐かしいな・・・。

息子の時、最初の2ヶ月ぐらいは、なかなか母乳が出ずに、ミルクと混合で授乳していた。
産院と友人からもらったサンプルのミルクを、毎晩毎晩、作っていた。
その都度、ほ乳瓶を消毒し、お湯を入れ、人肌に冷まし・・・、
息子はミルクも飲まず、かといって当時は母乳も上手く出せなくて、母乳もしっかり飲んでくれず、ひたすら抱っこ抱っこ抱っこの夜を過ごした。
布団に寝かせつけたら泣き出す。
気がついたら、朝刊を配る新聞屋さんのバイクの音が・・・。
10、11、12月(息子は10月生まれなので)、寒い夜中に乳房丸出し状態、子どもは布団で寝ない、私は寝不足がひたすら続いた。

そんなとき、12月の検診で、母乳相談の助産師さんからこう言われた。
「りあらさん、あなた、ちゃんと母乳が出ますよ」
乳房を触り、乳首ひねると乳汁があふれる。
「大丈夫、大丈夫。ミルク、やめてみて。母乳一本で大丈夫だから」
この日以来、息子にはミルクを作らなくなった。
助産師さんの言うとおり、1年半ほどは、母乳パッドなしでは、ブラジャーはともかく、上着もシミがつくほどに母乳が出るようになった。
その息子、4歳まで母乳を飲んでいた。
その妹である娘は、産院から退院して、1週間ほどですでに母乳のみ。
今でも、まだ飲んでいる・・・。
出るって事も凄いのだが(笑)

おなかいっぱいになったようで、姪っ子も機嫌が良くなり、にこにこ笑っていた。
背中を軽く叩き、ゲップを出させる。
しばらくすると、義妹が帰ってきた。

「ありがとう!!助かった~」

髪が短くなり、義妹はさっぱりした様子だった。

「りあらは子どもを生んでいるし、経験があるから、大きな心配はしなくてもいいし、安心できたよ!」

ああ、よかったなぁ・・・。

私は実家も近いし、母も健在だ。
でも、義妹は、実母も叔母もいない。

近くに住んでいる私が、できる範囲で、サポートしてやりたい。
私も、子どもが小さいとき、義妹に助けてもらったから。

んー、でも、赤ちゃんって、かわいいなぁ。
・・・もう、出産の予定はないけどね(笑)



福津市にて

2007-01-24 23:30:27 | 生協日記
今日は、福津市にて、組合員とワーカーズの交流会があった。
中部ブロックの3支部合同(筑豊・宗像・中遠)だったので、かなり大きな催し物である。

毎回毎回、筑豊支部は遅れてくるから、時間厳守で会場に入るから!!
だから、待ち合わせの場所には、人数が揃い次第出発するから、9時半集合じゃなくて、9時半にはバスが出るよ!!
りあらさん、早めに出てきてね!!

担当事務局から、やかましく言われていたので(笑)、朝も急いで娘を幼稚園まで送り、新飯塚駅近くの立体駐車場に車を停め、待ち合わせ場所のステーションホテル前まで歩いていく。
時間は9時ちょっと過ぎ。
ここにいたのは、バスに同乗する事務局だった。
「あらー、りあらさんおはようございます。早いねー」
「おはようございます。他の人は?」
「りあらさんが、一番早かったよ」
「ええ!!昨日、早く来いって言われたから急いで来たのに」
「バスに乗る人には、そうやって脅していたの(笑)」

そんなことだろうなとは思っていたが、まぁ人を待たせるよりはましなので、とりあえずホテルのテナントに入っているパン屋でパンを買った。

それでも、まだ揃わない。

ようやく人数が揃ったのに、今度はバスが来ない。
事務局が焦ってあちこちに電話をしている。

なんと、バス会社が、時間を間違えていたようで・・・・。
飯塚を出たのが、10時近くになっていた。

福津市まで、1時間近くかかるのに・・・。
しかも、1番始めに発表しなくてはいけないらしい。
間に合わないじゃん、どう考えても。

そんなこんなで、なんとかバスは福津市の会場に。

「りあらさん、走って!!靴脱いで!!」
「はいはい、このメモ持ってあそこ、あそこ!!」

靴を脱ぎ捨てたまま(会場は土足厳禁)、バス組の数人とダッシュ!

昨年、自分が書いた原稿が渡され、自家用車組の委員さんが手を振って、こっちこっち!と呼んでいる。
息つく暇もなく、支部の発表。

本当は、1番はじめの発表だったのを、バス組が揃わないため、どうやら順番を最後にしてくださったらしい。

私も原稿を読み、壇上から降た。
脱ぎ捨てた靴を拾い(情けない・・・)空いた席に座る。

あれよあれよと言う間に、ワーカーズのアピールが始まり、状況を把握するのに精一杯。

その後、ワーカーズの各ブースにて、話を伺う。

そのとき、このブログで知り合った、宗像支部の委員さんと対面!
12月の助成団体報告会で、同じテーブルだったので、顔を覚えていたのだ。
いろいろと話しをすることができて、嬉しかったし、よかった・・・。

私は、あと1年で、今の任期が終わる。
その後の事を、そろそろ考えないといけない。
そんな意味では、意義のある交流会だった。

1年後の私は、なにを考えて、どういう判断を下すのだろう。
ある意味、楽しみではある。




頑張れ!新委員!

2007-01-23 23:02:29 | 生協日記
午前中、事務所で打ち合わせ。
昨日、キャンセルになった分だ。

打ち合わせと言っても、今回は、レシピを会場に貼り出すので、見やすいように模造紙に書く作業がメインだ。

そしてもう一つのメインが・・・。
常任委員を一人、決める。
秋のつどいで、委員さんになってくれた一人を、副委員長と説得してみる。
私は、常任委員で仕事をした経験がないので、常任経験者の副委員長は、そこんところは話がうまい。
常任委員になると、まず、機関会議が一回増える。
参加する立場から、運営する立場になる。
仕事を任される。
と、それなりに責任がでてくるのだが、そこまで大変ではない(と思う)。
副委員長も言ってたしなぁ・・・。
「うん、常任は楽しいよ、常任は」
彼女も、今、大変なんだよな。
それを顔にも態度にも出さない。

嫌なことは、すぐに顔に出る私とは大違いである。

なんとか、常任委員を引き受けていただいた。
つどいでの提案はまだ難しいだろうから、春では雰囲気をつかんでもらって、秋のつどいでは最大限のサポートをしたい。

賑やかに、話しをしながら、貼り出すレシピはなんとか完成。
挿絵は私が描いた。

あとは・・・。
私が、参加者に配付する資料の分のレシピの原稿をパソコンで打って、挿絵を描いて、挨拶文を考えて、表紙を描いて・・・。