前回の記事で、かつて山奥のみで観察された日本のイワツバメが、近年、大都市の中に住み着くようになったと書いた。しかし、平安時代の京の街にも、住んでいたとも考えられる一節がある。
古くから日本の都市でもイワツバメが住み着いていたらしい事が、平安時代前半の『 竹取物語 』に記されている。
「人の申すやう、大炊寮の飯炊く屋の棟に、束のあるごとに、燕は巣をくひはべる....」
・ 束 ( 梁と、棟の間を支える短い柱. )
中納言の石上 麻呂(いそのかみのまろ)が、かぐや姫に燕の子安貝をねだられた後の場面の一節である。宮中の炊事場の軒の、文字どうり「束の間」の狭いすき間ごとに、燕が集団で巣を掛けているというのだ。
普通の燕は単一でしか巣を掛けない。よってこれは、集団で営巣するイワツバメの巣の描写と考えられないだろうか。当時の京は、国中の富を集める一極集中と、バブル経済の典型であったろうから、周辺の山々の森も伐り払われ、杉、檜や、荒れ山になっていたのではないだろうか。
海の彼方から遥かに飛来し、子孫繁栄と豊穣をもたらすという、この鳥の巣を荒らした祟りだろうか、石上 麻呂はこの後、子安貝と思ってつかんだ鳥のフンの塊を握り締めたまま、軒から転落し、よりにもよって 特大の鼎 の上に仰向けに落ち、苦労のかいなく、かぐや姫にあしらわれ、死んでしまう。
古くから日本の都市でもイワツバメが住み着いていたらしい事が、平安時代前半の『 竹取物語 』に記されている。
「人の申すやう、大炊寮の飯炊く屋の棟に、束のあるごとに、燕は巣をくひはべる....」
・ 束 ( 梁と、棟の間を支える短い柱. )
中納言の石上 麻呂(いそのかみのまろ)が、かぐや姫に燕の子安貝をねだられた後の場面の一節である。宮中の炊事場の軒の、文字どうり「束の間」の狭いすき間ごとに、燕が集団で巣を掛けているというのだ。
普通の燕は単一でしか巣を掛けない。よってこれは、集団で営巣するイワツバメの巣の描写と考えられないだろうか。当時の京は、国中の富を集める一極集中と、バブル経済の典型であったろうから、周辺の山々の森も伐り払われ、杉、檜や、荒れ山になっていたのではないだろうか。
海の彼方から遥かに飛来し、子孫繁栄と豊穣をもたらすという、この鳥の巣を荒らした祟りだろうか、石上 麻呂はこの後、子安貝と思ってつかんだ鳥のフンの塊を握り締めたまま、軒から転落し、よりにもよって 特大の鼎 の上に仰向けに落ち、苦労のかいなく、かぐや姫にあしらわれ、死んでしまう。
年を經て 浪立ちよらぬすみのえの
松かひなしと 聞くはまことか
かぐや姫のモデルとなった女性については、いつか記事にしてみたいと思っている。平安の美女、小野小町ではないだろうか。祖父が小野篁であり、竹冠が付いている処がおち。
-拙ブログ-
・ イワツバメ 東西 (ヨーロッパのイワツバメ
・ 人と共生する小鳥 ムラサキツバメ.Purple Martin
・ 作ってみました. 食用瓢箪=夕顔の巣箱
・ プレィリードッグと共生する鳥 ヤマアジサシ
かぐや姫のモデルは小野小町かもしれませんね。
確かに小野篁の「篁」の竹を取ると「皇」になりますね。
小野小町と言えば、私が住んでいた山口県他日本各所にお墓がありますが、謎の多い女性ですね。
しかし竹取物語はバブリーな物語のように思えますが、深読みしすぎでしょうか。
山口にも小野小町のお墓があるのですか。あちこちにありますね。
原題が『 竹取の翁の物語 』ですから、篁の孫娘を暗示していると思います。
作者は漢籍に詳しく、相当に教養高い人と考えられています。 作者を菅原道真の一族とすると、10世紀はじめの成立と思います。
この時代、中国の経済が超絶過熱状態であったことが知られています。周辺国にも、さぞ、貢の君や成金姫が大勢いたことでしょう。