アメリカで戦前の農業の改善に功績があり、ピーナッツとサツマイモの普及者としても名高い、ジョージ W カーヴァーは、1864年ころ、ミズーリ州 ダイアモンド グローブに、奴隷として生まれました。時まさに、奴隷制度の是非を賭けての南北戦争の最中でした。
ジョージの生後、程なくして父親が仕事中に事故死し、ジョージと弟のジェイムズ、それに母親も、戦争の混乱から、人さらいに誘拐されてしまいます。彼ら奴隷の所有者だった、農園主のモーゼス カーヴァーは、誘拐されたジョージと弟を見つけ出し、以後、自分の子のように大切に育て、1865年の南北戦争終結後、ジョージ カーヴァーと名づけました。( 残念ながら、母親は見つかりませんでした。ミズーリ州は、南北戦争終結まで奴隷州であり、奴隷に苗字をつけることは出来なかった。)
ドイツ系の移民であったカーヴァー家は、非常に優れた農家で、地域で尊敬されていた。戦争が終わり奴隷の身分から開放されたジョージは病弱だったが、人一倍好奇心が強く、農園主のモーゼスに野菜や牧草について質問し、知識を吸収した。
ミズーリの地は、1820年の「 ミズーリ協定 」により、便宜的に奴隷州とされたが、実際には、奴隷に同情的な土地でもあった。
カーヴァー夫妻は、賢いジョージを村の小学校に入れようとしたが、当時、アフリカ系の子どもは、入る事が出来なかった。
11才の時に、住民の助けにより、隣町のアフリカ系の子供専用の学校に入る事が出来た。( 奴隷解放後も、有色人種は一般の学校に行けなかった。選挙権などの公民権も、最終的には1965年まではなかった。)
以後、ジョージは働きながら学び、北隣のアイオワ州立大学に、唯一のアフリカ系学生として農学を学び、卒業後はその大学の教員となった。( アイオワ州は、自由州であったために、アフリカ系アメリカ人に対して、やや寛容であった。)
l896年、ジョージ W カーヴァーは、より多くのアフリカ系の人々のために生涯を奉げようと、南部のアラバマ州にある アフリカ系アメリカ人の教育機関「 タスキギー 協会 」の研究員として赴任した。
南部の農業条件に、魅せられたジョージは、綿花の連作で荒廃した農地の改良に取り掛かかり、貧しいアフリカ系農民を指導した。
彼は、まず有機質の堆肥で、土壌を改良した。
次に、輪作を奨励して、連作障害を防ぎ、作物の病虫害を防いだ。特に、サツマイモの栽培を奨励して、土壌を深く耕す事で、土壌を改良し、農家の自給食料となし、栄養の改善および所得の向上をはかった。
さらに、ササゲ、ピーナッツ、大豆などのマメ科作物を導入して、安価に土壌の肥沃度を高め、換金作物のピーナッツの栽培を奨励し、合わせて農家の自給蛋白源とした。
さらに、ピーナッツ、サツマイモを工業的に加工して、付加価値を高め、多様な製品を作った。また、大豆からインクも作った。
アフリカ系アメリカ人の所得と、栄養向上に尽力したジョージは、数々の賞を得、内外で高く評価されている。彼の生地、ミズーリ州 ダイアモンド グローブの カーヴァー農場 の跡地は、国立記念公園として整備されている。・>>>・
彼の墓碑には、次のように刻まれています。
画像 Kansas historical society.
".. He found happiness and honor in being helpful to the world." 1943.
上記、ジョージ ワシントン カーバーの略伝は、やや白人よりと思われる、アメリカの小学生向け教材から採りました。(彼の幼少時代は諸説あり、穏当なところを選びました。)
ともあれ筆者には、ジョージ ワシントン カーバーの偉大さの一つは、普通の白っぽいサツマイモではなく、カロチンを比較的多く含んだ品種を、普及した事のようにも思えます。(なお、当時の品種のカロチン量は、現在の品種の数分の一程度であったと思われます。)
-参考-
・ Barry Duellさんの HP ・>>>・
・ George W. Carver のサツマイモ普及の一文 ・>>>・
巻末にサツマイモの調理法あり。
( 数次の改定がなされた.)
1898 -- Bul. 2. Experiments with Sweet Potatoes.
1906 -- Bul. 10. Saving the Sweet Potato Crop.
1910 -- Bul. 17. Possibilities of the Sweet Potato in Macon County, Alabama.
1915 -- Bul. 80. Possibilities of the Sweet Potato in Macon County, (revised and reprinted).
・ 世界保健機関 W H O. Vitamin A >>>
ビタミンAの疾病予防効果とその欠乏症.
・拙ブログ
・ 「 カボチャ、サツマイモと 食育教育で、アフリカを救おう 」 ・>>>・
・ 「 出生率低下に思う
高い出生率を保ったカナダ、プリンスエドワード島の秘密 」 ・>>>・
-付録-
Oh Shenandoah. "Cross the wide Missouri." 歌 PETE SEEGER.
うちの方では、蛍は壊滅状態です。何せヘリコプターで、水田に殺虫剤を散布するため、蛍はおろか、夏場は沈黙の夏状態です。昔の水田や小川、沢には、色々な生き物がいて、おいしい米がとれたものですが、今では米は売れ残り、農薬に耐性があるらしい食用カエルだけが、ガーガーカィカィと不気味な声を上げています
さつま芋の資料及び情報をいただき感謝します。
幼稚さと目立ちがり屋の広島県在住の男です。
今年も、よろしくです(^^)。。
鹿児島は、サツマイモのメッカですね。春になると、サツマイモの苗屋さんがネット上に店開きしますが、多くが鹿児島の業者です。最近は、いろんなお芋がありますね。「安納芋」気になります。
日本の野菜の品種ですが、かつては世界で最も、多種類の品種が栽培されていましたが、市場や、八百屋が難癖をつけては買い叩く為か、見た目の良い種苗会会社の作った画一的品種だけが、お店に並んでいる状態です。
青首大根は、抜くのに楽なので農家にも歓迎されているのでしょう。神奈川の三浦大根なども、とても美味しいのですが、土の中に深くもぐりますので、抜くのに労力が要り、洗うのがたいへん。東京にも世田谷区大蔵の大蔵大根、練馬の練馬大根、などがありましたね。
野菜の品種については、江戸時代の尾張地方の農業書『 百姓伝記 』などにユーモラスな大根の品種が出ていたと思います。http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php?mode=detail&id=01630201&b_no=01_4540790323
(現代語訳付です。^)
サツマイモ、鹿児島滞在中に開眼しました(大袈裟ですが)。かの地では「からいも」と呼びます。品種の多さに驚きです。色は白、オレンジ、紫。お気に入りは「安納芋」(種子島産)。ねっとりとした甘さ!にうっとりです。
なぜ日本では、野菜の品種が少ないのでしょう。大根だって青首しか出回っていないのは疑問です。
ジョージ W カーヴァー、まさに歴史の申し子ですね(^^)。生まれた土地柄も時期も幸運でした。音楽や美術の才能も優れていたという事です。皮相な記事で申し訳ありません。もっと知りたいです。
記事を書いていて、「 ホワイトバンド 」に、疑念がわいてきました。なぜアフリカに「 白 」なのでしょう??
U-2さんがタンザニアのサツマイモ事情をお問い合わせくださった理由もよくわかりました。
あまり、いい情報がなかったことを申し訳なく思います。
アメリカで、アフリカ人がこのような形で活躍したことを、
身内から偉人が出たがごとく、喜んでいる次第です。
そして、奴隷の歴史は悲しい話が多いのですが、
このカーヴァー夫妻のように暖かい心を持った方がいたことを知って、こちらも救われました。