数日話題にしている、息子の話。
結構ヒドい状況でも、いつも能天気で何を考えているかわからないから、話をすると結構おもしろい。毎週金曜日の夜は息子と一緒にピアノレッスンに通っているので、その帰りに二人でファミレスで夕食を食べるのが習慣になっている。ご飯食べながら、受験のこと、体調のこと、まあいろいろ話をしたし、説教もしたけど、結局人の話を聞かず、いつも話が噛み合ない。
「自分は他の子と感性が全く違うということや、合わせられないことはもう知ってる。母ちゃんは変人だって言うけど、だから、何?」と最近はすっかり開きなおっている。
昨晩のピアノレッスンの帰りにいつものファミレスでいきなり言い出した。
息子「もう、”ボク”って言うのはやめようかな。環境も変わるし、キャラチェンジしてみようかな。」
・・・?
私「まあ、それもいいけど、もう小学生低学年じゃないんだから、男が友達のことを”君付け”で呼ぶのは気色悪いから、止めた方がいいよ。」
息子「よーし!今日から、自分のことは”オレ”と言ってみようかな。友達も呼び捨てにするぞー。」
と、「オレは」とか、友達の名前を呼び捨てする練習をしだした・・
さらに、唐突に、
息子「今、すごく小説を書きたい気分。ストーリーがどんどん湧いてくるんだ~。よーしSFを書くぞ!」
と今日からいきなりパソコンでパチパチ文章を打ち始めた。
まあ、いいけどねえ。。
小学生低学年までは、他の子供たちとはちょっと違った感性や雰囲気を持っていて、折り紙やレゴに熱中し何時間もやってたり、すごい完成度の高いものを作っていた。話は何だかよく分からないけど、秀才肌に見えたらしく、先生からは「将来楽しみねえ」なんて言われていた。
一方、お友達のお母さんからは、「宇宙人みたいで、何考えているかわからないから、面白い。」という評価だった。親戚からも「変わってるけど、呆れるほどいいヤツ。」だった。
そんな息子は、小学校中学年になると、結構ヒドいイジメを受けた。他人と話が噛み合ない、いわゆるKY、嫌な事言われても反撃しない。他の子達が社会性を身につけて行く中で、それを身につけられなかった子供の宿命だった。担任、校長、お母さんたちを巻き込んで、結構大変な時期もあったけど、学校も休む事なく、回りの人たちの助けを借りて乗り越え、小学校高学年はクラス中仲良くなって、卒業した。
中学校時代のことは、結構書いて来たけど、渡米直前に体調を崩し、アメリカのテキトーで楽しい非日常な生活の中で「他の子と変わっていることは良い事だ」と教えられ、元気を取り戻した。日本ではまたどん底に落ちたけど、這い上がってきた。まだまだ途中ではあるけれど。
日本のように同質性や協調性を強要される社会では、明らかに異彩を放つ者ははじかれる。それを良しとするか、イヤだと思うかで、心へのインパクトは異なる。私も昔から変わり者とか(わざと)ルールを守らないとかよく言われたけど、犯罪を起こすようなレベルでなければ、それも個性の一種でウェルカムだと思っている。
キャラチェンジ、まあ表現は変だけど、自分の個性を行かしつつ、多少は生きやすくなるための変化なら、やってみれば。
結構ヒドい状況でも、いつも能天気で何を考えているかわからないから、話をすると結構おもしろい。毎週金曜日の夜は息子と一緒にピアノレッスンに通っているので、その帰りに二人でファミレスで夕食を食べるのが習慣になっている。ご飯食べながら、受験のこと、体調のこと、まあいろいろ話をしたし、説教もしたけど、結局人の話を聞かず、いつも話が噛み合ない。
「自分は他の子と感性が全く違うということや、合わせられないことはもう知ってる。母ちゃんは変人だって言うけど、だから、何?」と最近はすっかり開きなおっている。
昨晩のピアノレッスンの帰りにいつものファミレスでいきなり言い出した。
息子「もう、”ボク”って言うのはやめようかな。環境も変わるし、キャラチェンジしてみようかな。」
・・・?
私「まあ、それもいいけど、もう小学生低学年じゃないんだから、男が友達のことを”君付け”で呼ぶのは気色悪いから、止めた方がいいよ。」
息子「よーし!今日から、自分のことは”オレ”と言ってみようかな。友達も呼び捨てにするぞー。」
と、「オレは」とか、友達の名前を呼び捨てする練習をしだした・・
さらに、唐突に、
息子「今、すごく小説を書きたい気分。ストーリーがどんどん湧いてくるんだ~。よーしSFを書くぞ!」
と今日からいきなりパソコンでパチパチ文章を打ち始めた。
まあ、いいけどねえ。。
小学生低学年までは、他の子供たちとはちょっと違った感性や雰囲気を持っていて、折り紙やレゴに熱中し何時間もやってたり、すごい完成度の高いものを作っていた。話は何だかよく分からないけど、秀才肌に見えたらしく、先生からは「将来楽しみねえ」なんて言われていた。
一方、お友達のお母さんからは、「宇宙人みたいで、何考えているかわからないから、面白い。」という評価だった。親戚からも「変わってるけど、呆れるほどいいヤツ。」だった。
そんな息子は、小学校中学年になると、結構ヒドいイジメを受けた。他人と話が噛み合ない、いわゆるKY、嫌な事言われても反撃しない。他の子達が社会性を身につけて行く中で、それを身につけられなかった子供の宿命だった。担任、校長、お母さんたちを巻き込んで、結構大変な時期もあったけど、学校も休む事なく、回りの人たちの助けを借りて乗り越え、小学校高学年はクラス中仲良くなって、卒業した。
中学校時代のことは、結構書いて来たけど、渡米直前に体調を崩し、アメリカのテキトーで楽しい非日常な生活の中で「他の子と変わっていることは良い事だ」と教えられ、元気を取り戻した。日本ではまたどん底に落ちたけど、這い上がってきた。まだまだ途中ではあるけれど。
日本のように同質性や協調性を強要される社会では、明らかに異彩を放つ者ははじかれる。それを良しとするか、イヤだと思うかで、心へのインパクトは異なる。私も昔から変わり者とか(わざと)ルールを守らないとかよく言われたけど、犯罪を起こすようなレベルでなければ、それも個性の一種でウェルカムだと思っている。
キャラチェンジ、まあ表現は変だけど、自分の個性を行かしつつ、多少は生きやすくなるための変化なら、やってみれば。
息子の小説熱がいつまで続くか??ですが、しばらく何書いてるか楽しみにしてみます。何しろ独りよがりなんで、おそらく面白くないと思いますが。。