幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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「夢が実現するノウハウ」についての考察(6)

2006-01-16 | 日記 Ⅰ

前回の続きです。

現在、「夢」「成功」というコトバをキーワードとしたノウハウ・マニュアルが、私たちの周りを取り巻いています。
そしてそれは、正に「玉石混交」といった感があります。

それが「玉」であれば、もちろんノウハウそのものを、
それが「石」であっても、そのアピールやセールスの仕方などの「勧誘技術」を冷静に分析して取り入れる、
等、活用すればいい…。

それよりも一番重要なのは、
「私はどうしたいのか・どうなりたいのか」
ということではないでしょうか。

幸せになりたいとかいうこととは全く別にして、
「どうしても、それがしたい」
「私には、これしかない」
というのであれば、迷わず一途にその道を邁進すればよいと思います。

そうでない人。
「ただ漠然と“いい思い”がしたい」
「金持ちになれば幸せになれそう」
などと、思っている人たち…。

そういう人たちは、「夢」「成功」というコトバをキーワードとしたノウハウ・マニュアルから一度距離をおいて、「夢の実現・成功」という概念と「幸せ」という概念を分けて考えてみる必要があるのではないでしょうか。


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あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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「夢が実現するノウハウ」についての考察(5)

2006-01-15 | 日記 Ⅰ

前回の続きです。

個人的に結論めいたことを言うとするならば、
『「夢を叶えるために必要な概念」という意味でのノウハウ』
は、あると思います。

しかし、それはあくまで
「夢を叶える『ために』必要な概念」であって、
「夢を叶える『ことの』できる概念」ではない…。

厳密に言えばそういうことになるのでしょうが、
それをあえて、「夢が叶う」「成功する」と言い切ってしまう…。
そこが正に「成功するためのノウハウ」なのではなかろうか…。
などと言ってしまっては皮肉でしょうか。

そのようなノウハウは、その内容よりもむしろ、
「どのような経緯で、そのノウハウの存在を知ったのか」
「どんな文言によって、そのノウハウに興味を抱いたのか」
「どんなことがきっかけとなって、そのノウハウを実践するに至ったのか」
といった部分を分析したほうが、よほど成功に近くなる、と思ったりします。


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「夢が実現するノウハウ」についての考察(4)

2006-01-14 | 日記 Ⅰ

前回の続きです。

前回、ボクシングのチャンピオンを目指していた時期があった、と書きました。
もしも、その願いが叶って「世界チャンピオン」になっていたとしたら、どうだったでしょうか。

それは「夢が叶った」状態であり、そして「成功した」状態である、と言えるわけです。
しかし現実には、「夢は叶わず」「失敗」してしまった…。

もしも、そのとき夢が叶っていたら、或いは今頃、より幸せな人生を送っていることになっていたかもしれません。
しかし、もしかしたら「価値観・人生観」が今のものとは異なり、一時的によい生活ができていたものの、今の年齢になった時には或いは不遇な生活を送ることになっていたかもしれません。

全ては想像の世界のことになってしまいますが、少なくとも今は、ボクシングをやっていた頃の経験や備わった能力が、そこそこ幸せな生活を送ることができているプラスの要因にはなっています。


「夢が実現すれば」「成功すれば」幸せな生活を送ることができる、と思いますか?
「夢を断念してしまったら」「失敗してしまったら」不幸な人生になってしまう、と思いますか?

「夢が叶うこと・成功すること」と、「幸せな生活を送ること」は、全く別次元の概念だとは思いませんか?

「幸せになれるかどうかはともかく、この夢を実現したい」
と考えているのならばそれでいいでしょうが、
「この夢が実現すれば幸せになれる」
と考えているとしたならば、ちょっと怖くないですか?


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「夢が実現するノウハウ」についての考察(3)

2006-01-13 | 日記 Ⅰ

前回の続きです。

かなり恥ずかしいのですが、以下、過去における私自身の夢とその結果です。
例:「夢・希望、またはスタート時の状況」
  → その結果

「強くなりたい」
→ 柔道の昇段審査に合格(黒帯取得)

「ボクシングの世界チャンピオンになりたい」
→ プロテストに合格するも、鼻を手術し断念

「TV番組:アメリカ横断ウルトラクイズで優勝したい」
→ 2万人中40人まで勝ち残るも、グアムでの「どろんこクイズ」で敗退

「TV番組:クイズミリオネアで1000万円獲得したい」
→ 最終カメラテストまで進むも、TV出演は叶わず

「20代で持ち家」
→ 20代では叶わなかったが、「20世紀中」に取得

「ダイナースカードを持てるようになりたい」
→ 規定年齢最年少とされる、33歳で取得

「人材派遣会社にアルバイトとして入社」
→ 事業部ごとに独立することになった際、役員に抜擢され新会社設立に携わる

「その他の仕事」
→ バイトも含め、どこでも順調に昇進・昇給
  昨年も不景気な中、月収が10万円増加

「本を出したい」
→ 違う2つの出版社主催の文学賞にて共に最終選考まで残るも、
  あと一歩大賞獲得に及ばず
  書店流通を確約した一部自己負担による出版を勧められるも、
  条件が折り合わず出版に至らず

「産経新聞一面の『朝の詩』に、自作の詩を掲載させたい」
→ 採用・掲載が実現。
掲載された詩はこちら
  
「あのコと仲良くなりたい」
→ 成功もあり、失敗もあり…
  失敗がわずかに多いでしょうか(苦笑…)
 
以上、どのような印象を持たれたでしょうか。
現在、私は有り余るほどのお金は持っておりませんが、生活に不自由することなく、妻子及びネコと、そこそこ幸せに暮らしております。

現状に「満足」はしていません。
あらゆる面における更なる向上や夢の実現を果たし、今以上に「幸せ」になりたいと思っています。
かと言って「不満」というわけでもありません。
この現状で不満などと言ったらバチが当たるでしょう。

私の夢の数々は、実現しているという印象を受けますか?
私は現状において、成功している部類に入ると思いますか?

「夢の実現」や「成功」の線引きって、どこでなされるのでしょうか?
「夢が叶った、叶わない」「成功した、しない」ということは、はっきり二極化できるものなのでしょうか?


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「夢が実現するノウハウ」についての考察(2)

2006-01-12 | 日記 Ⅰ

前回の続きです。

「アメリカ人は、英語を使う。」
これは、概ね「正」としてよいでしょう。
しかし、
「英語を使うのは、アメリカ人だ。」
とした場合には、イギリス人を始め英語を使う国籍の人は他にもいますので、「誤」となるかと思います。

いわゆる「成功すること」や「夢が叶うこと」に共通するノウハウに、
「実現するという強い信念を持つ」
「明確な目標を立てる」
などといったことが挙げられるかと思います。

確かに、いわゆる「成功者」や「夢が叶った人」の大半が、こうした概念を持っていたものと思われます。
また私自身も、「成功」や「夢の実現」のために、これらは必須の概念だと考えています。

そこで、冒頭の話。
「成功者は、このような概念を持っていた。」
これは、概ね「正」としてよいでしょう。

しかし、
「このような概念を持った人は、成功者となる。」
とした場合、はたして「正」と言えるのでしょうか?


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「夢が実現するノウハウ」についての考察(1)

2006-01-11 | 日記 Ⅰ

「禁止薬物を使用してもいいから、オリンピックで金メダルを獲りたい!」
というくらいに金メダルを渇望している同一競技のトップアスリート5名に、いわゆる「夢は実現する」的な事を主張する方のノウハウを施したとします。
そして、皆、真剣にそのノウハウに取り組み続けたとする…。

同一競技ですから、1大会につき金メダルは1個。
全員が夢を叶えるとしたら、16年かかることになります。

それでも全員、金メダルがとれると思いますか?
或いは、「勝者は1人だけ」ということには向かないノウハウなのでしょうか?


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「凶器」を携帯する人へ

2006-01-10 | 日記 Ⅰ

前回、本当の意味での、武器の携帯ということについて書きました。
「キレイゴト」で済まないときのための「武器」があったほうがいい、というような内容でした。

「キレイゴトでは済まないときのための、自分や自分の大切な人を護(まも)る武器」、というと、「凶器」を連想する人もいることでしょう。

私個人は、持ちたいのなら持てばいい、と考えます。
例えば、懐にナイフを忍ばせたり、車内に金属バットを常備したり…。

しかし、そのためには、ある「覚悟」が必要だとは思います。

それは、あなたが携行するその「凶器」が、逆に、あなた自身やあなたの大切な人に向けられるかも知れない、ということ…。
「凶器」をちらつかせて相手がビビってくれればいいですが、相手が「殺さなければ、殺される!」という心理になって、死に物狂いであなたに向かってきたとしたら…。

あなたに残された道は、その「凶器」を相手に行使するか、自分や自分の大切な人に行使されるかしかなくなる…。

あなたが手にするその「凶器」で、自分や自分の大切な人が殺されるかもしれない…。
凶器を携帯するのなら、そんな「覚悟」を持つべきだと考えます。


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本当の意味での、武器の携帯

2006-01-09 | 日記 Ⅰ

今まで、いろいろと「キレイゴト」や「理想論」めいたことを書くことが多かったですが、生きていれば、「キレイゴト」や「理想論」では済まない局面や相手が出てくることもあるでしょう。

そのような場合のために、自分自身と自分にとって大切な人を護(まも)るための「武器」を、常日頃から携えておく必要もあるかと考えます。

と言っても、決して相手を「ブチのめす」という概念ではなく、あくまで自分と自分の大切な人を護るための、

例えば…、
相手を一撃で仕留める、鋭いナイフのようなコトバとか、
危険を事前に察知する、鋭敏なアンテナのような感受性とか、
理論で相手を屈服させる、有能な弁護士のような知識とか、
危機からいち早く逃れる、俊敏な動物のような逃げ足とか、
相手の暴力を制する、屈強な武道家のような格闘術とか、

そういった、自分の得意とする「武器」を携えておく…。

どんなに自分が「理想的な」人間になったとしても、相手や局面も理想的に動いてくれるとは限りません。
不条理な理由によって自分の「幸せ」をメチャクチャにされてしまってから、「アイツのせいだ!」などと叫んでみても、もう遅い…。

そんな「キレイゴト」では済まない時のための、日頃の処世とは違う「何か」をも、携えておくべきではないでしょうか。


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砂の築山(つきやま)

2006-01-08 | 戯言 Ⅱ

経験や年齢を重ね、砂山を積み上げる。
そして、あと僅かで完成、という時に、
なぜか決まって、見えざる手により潰される。
どうせ潰すなら、もっと早く、
作り始めた頃に潰してくれればいいのに…。

しかし、その潰された砂山は、
実は、更に大きな山の裾野と化したのであって、
更に大きな砂山を積み上げるための土台となっている。


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欲求の増大は、苦悩の増大

2006-01-07 | 日記 Ⅰ

「おカネが欲しい」とか、「オトコが欲しい」とか…。
ひと昔前まで口に出すのがはばかられるような欲求が、今では堂々と言われるようになってきました。
それ自体は決して悪いことではないと思います。
人に迷惑さえかけなければ、何でも自分の望みを手に入れればよいと考えます。

しかし、もしかしたらその分、「苦悩」や「ストレス」も増えてしまうかもしれませんが…。

追い求めるものが高ければ高いほど、現状の自分と理想の自分との間にギャップが生じてきます。
例えば自分の望む生活が、「生活に困らない程度の収入があって、健康であれば…」という程度のものであったとしたならば、現状とそれほど大きな隔たりはないでしょう。
しかし、「おカネ持ちになって、いいオンナをモノにして…」という理想であったとしたならば、現状と理想との間を埋めることは、なかなか容易ではありません。
その「隔たり」から生じるエネルギーを、夢の実現へと推進させる力にうまく変えることができればいいのですが、なかなか埋まらない「隔たり」に、ストレスを感じたり悩んだりしてしまうかもしれない…。

高い理想を持つことは素晴らしいのですが、そういったリスクも背負ってしまう可能性もあるかもしれない、という覚悟は少しだけ持っておいたほうがいいのかもしれません。


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「サイテーのヤツ」から学べること

2006-01-06 | 日記 Ⅰ

自分が何かを為し遂げたいとき、夢をつかみたいとき、成功したいとき…。
既にそれを手に入れている人を見つけ、その人を参考にし、その人を見習うとよいとされています。
「こうなりたい」と思う人の真似をする … とても大事なことと思います。

私は、そのように「最高」の人を見習うのと同時に、「サイテー」の人からも学ぶといいんじゃないかな、と考えます。

身近にいませんか? 「こうはなりたくねぇ~」って人。
そういう人に対してムカついてるだけじゃなくって、あえて、その人と逆のことをやってみる…。

例えば、それが、
目上・目下によって態度をコロコロ変えてるイヤな上司だったら、自分は目上・目下分け隔てなく接するとか。
人の陰口ばかりたたく人だったら、自分は本人の目の前で言えないことを陰では言わないようにするとか。
ぜんぜん気のきかないヤツだったら、自分は人に気配りをしてみるとか…。

「仕事ができるようになりたい」と思うのならば、仕事ができる人のマネをするのと同時に、仕事ができない人と逆のこともしてみる…。

「モテたい」と思うのならば、モテる人のマネをするのと同時に、モテない人と逆のこともしてみる…。

そうすれば、自然と自分は「サイテー」なヤツらとは逆の方向に進むことになるわけですから、より「最高」に近づきやすくなるんじゃないかな、などと思います。


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それは、「普通」じゃなくて「理想」?

2006-01-05 | 日記 Ⅰ

「普通、上司であるあの人がもっとこうするべきなんだよ。」
…いろいろなグチが、日々出てきます。

しかし、「こうするべきことをする上司」っていう人に、本当に出会ったことってありますか?
私たちがいう「普通…」って、本当に「普通」のことなんでしょうか。

私たちが他者に対して思う「普通」っていうのは、実は、自分の中にある「理想像」じゃなかったりしないでしょうか。
そして、その普通と思っている「理想像」と比べて、対象物が「それ以下」と感じてしまっていたりしないでしょうか。

欠点だらけの上司も、欠点だらけの他者も、実はそれが「普通」だったりするのかも…?


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「事実」と「想像」の混同

2006-01-04 | 日記 Ⅰ

前回、「想像と事実」「主観と客観」分けて考えてますかということを書きました。
自分の中から発した「思い」に、想像ではなく「事実」により裏付けをし物事を見るべき、というような意味でした。

「事実」といった場合、真っ先に思い浮かぶのが、「自らの体験」ではないでしょうか。
自分で実際に見聞きし、体験した事実…。
確かに、これ以上の「事実」はないように思えます。

しかし、私たちの見聞きできることや体験できることというのは、「この世の全て」の中の、ごく一部にしか過ぎません。

そのような一部の事象は世の中全体の「サンプル」である、といった見方も当然できますが、「私が実際に体験したんだから、他のことも全部そうだ」という「想像」になってしまう危険性もはらんでいるのではないでしょうか。


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「想像と事実」「主観と客観」分けて考えてますか

2006-01-03 | 日記 Ⅰ

前回、「良し悪し」「好き嫌い」分けて考えてますかということを書きました。
「好き嫌い」などの感情的な気持ちから発生した「思い」が、本人の気付かぬうちに「良し悪し」という一般的な価値基準と混同してしまう、というようなことでした。

そしてこのように混同された「思い」に、今度は「想像と事実」「主観と客観」といった事柄がやはり混同して添加され、「思い」がより偏った方向に進んでいってしまうことがあるように思います。

例えば本来であれば、
「良し悪し」などの一般的な価値基準によって発生した「思い」に、「事実として存在する物事」による裏付けをし、そうして加工された「思い」を「客観視」し、行動に移すに如(し)くべきものであることを確認した後、行動を起こす…、
という過程を経るべきものだと考えます。

しかし実際には、
「好き嫌い」などの感情からの「思い」の発生でありながらそれに気付かず、それが事実として裏付けのなされていない「想像」により更に極端に増幅され、客観視することなく「主観的な観点」のみの判断により行動に移す…、
という流れを辿ることも少なからずあるのではないでしょうか。

昨日も触れましたが、「成功」するのも「幸せ」になるのも、「他者が圧倒的多数を占める世の中」においての「自分自身」です。

「好き嫌い」と「善し悪し」
「想像」と「事実」
「主観」と「客観」
自分の「思い」が今、「どこにあるのか」考えてみるのも必要ではないでしょうか。


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「良し悪し」「好き嫌い」分けて考えてますか

2006-01-01 | 日記 Ⅰ

「個人的」な、「好き嫌い」や「これを信じたいという願望」、更に異性であれば「魅力の有無」など…。
そうした感情が基となっている「思い」に、後から合理的に「一般的」な価値基準による「良し悪し」という解釈を付けてしまっていませんか?。
しかも、自分ではそれに気付ぬまま。

「良し悪し」と「好き嫌い」、一緒くたになっていませんか?

あなたが今、「良し悪し」で判断していると思っていることは、実は、「好き嫌い」をその根本としていませんか?
あるいは、「これが本当なら自分にとって都合がいい」とか?

もちろん、機械ではなく人間、ですから、感情に基づく思考もあって当然だと思います。
しかし、こうした意識の有る無しだけでも、「物事の見方」はかなり変わってくるのではないでしょうか。

以前にも書きましたが、「成功」するのも「幸福」になるのも、たくさんの人々が生きている「この世の中」において、です。
よりよい情報・判断を得るためにも、こうした概念は必要であるかと考えます。


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