伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

このブログを開いた理由

2006-02-20 | Weblog
私は本当に小さい頃ですが、とてつもない眠気の中で毎週水曜日の夜になると「夜ヒット」を何とか必死に見ていました。とにかく、画面の華やかさが強烈であったのが印象強く残っています。普通幼稚園児や小学校低学年の子供が夜9時・10時台の番組を見るのが許されるというのは当時あまりないことだったかもしれないのですが、なぜかこの番組を初め、一部の番組だけは見ることを許されていました。

実際、この番組が一時代を築いた歌番組であるという風に理解するようになったのは、番組が終った1990年よりも後のことでした。色々とこの番組に関わる書籍に当たる内に、同番組の凄さを感じ、それから「夜ヒット」フリークとしての自分の一歩が始まりました。

ただ、私ぐらいの年代(現在25歳)になると、「夜ヒット」というと、どうもあまりイメージに残っていない年代で、その下の年齢層になると、正直「ミュージックステーション」の方が馴染みが強く、夜ヒットという番組自体を知らない人も多いのが実情・・・。

若い人にも「夜ヒット」がいかに権威があった音楽番組だったか、それを理解してほしいという意味と、当時の視聴者の方の郷愁に残るプログを、という意味で、このプログを開いた次第です。

なかなか多忙であったり、体調不良などで更新ができない場合も多く出てくるかも分かりませんがどうぞよろしくお願いいたします。


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2 コメント

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お久しぶりです。 (ムスカ)
2006-09-15 00:55:33
ブログ更新ご苦労様です。画箱で夜のヒットスタジオのスレを立てたのですが、書き込みが多く、番組終了から十六年たった今でも、たくさんの皆さんに認知されていることが改めてわかりました。

そこで得たうわさなのですが、芳村さんは夜ヒットを過去のものとして理解しているらしく、復活版の出演もそれが理由で一回限りでやめてしまったとのことです。もしこれが本当だとすれば、芳村さんの気持ちもわからんでもないような気がします。

さて、今後のブログですが、youtubeにアップされている動画を解説するのは、動画の移り変わりが激しいため難しいかと思われます。

そこで、もしも夜ヒットが続いていたら・・・の妄想話や、夜ヒットに寄与したアーチストの当時のエピソードなどの話題を取り上げていただきたいと思います。

大変かと思いますが、がんばってください。
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Unknown (BLUE)
2006-09-18 07:21:09
「夜のヒットスタジオ」でYahoo検索にかけると、終了して16年も経過した現在にあって、未だ100万件以上のヒット数を記録したりします。その数字だけ見ても夜ヒットは別格のテレビ番組であったことは証明されているという気がしますね。



芳村さんは現在は「メディアパーソナリティー」という名目上の肩書きの下、事実上は実業家・森林活動家として芸能界から離れた場所で活躍されているので、芸能界全体が自分にとってはもはや「魅力のない場所」と解釈されているんでしょうね。夜ヒット降板ののころに起きた「久保田VS五木事件」「光ゲンジのちわーす事件」なんかはそういう思いを真理さんが強くさせてしまった象徴的事件だったんでしょうな。

今考えると、こういうトラブルが表に出てしまった時点で番組としても限界だったのかもしれません。なんせ夜ヒットは「アットホームさ」「フレンドリーさ」そして「厳しさ」というのが番組スタート当時からの最大の番組のカラーであったわけで、上記の芳村司会晩期の2つの出来事はそのカラーを真っ向否定する動きに他ならない。そして、それはそのカラーを維持し発展させる過程を司会者として長く支えてきた真理さんの手法そのものをも間接的に否定していることにもつながるわけですしね。今考えてもあの上記の2件は「余計な出来事」だったなああ・・・とちょっと怒りも覚えたりしますけども。
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