大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

原発 3号炉(プルトニウム)の問題

2011-03-30 19:44:18 | Weblog
(「知識」が自分の身や家族を救うこと、原子力の知識は見かけが難しそうに見えるだけで内容的にはそれほど難しくないので、できるだけわかりやすく書きますので、理解を深めてください。また専門的な知識の必要な方もおられますので、ブログの後半にはやや専門的な内容を盛り込むことにしました。)

今までの原子炉は、ウラン235を核分裂させるのがほとんどでしたが、最近ではプルトニウムを核分裂させるものも出てきました。

それが福島原発の3号機です。3号機が水蒸気爆発等をしますと、プルトニウムが空気中に放出されます。これについてすでに1度、このブログで説明をしましたが、追加して説明をします。

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簡単な説明

3号機が爆発して燃料として使っていたプルトニウムが空気中に飛散しますと、小さい微粒子になって風に乗って飛んできます。

それが、野菜等について食品と一緒に口の中に入る場合には、そのまますぐ排泄されてしまいますので、あまり害はないということを書きました。

しかし、プルトニウムの微粒子が風に乗って飛んできた場合、呼吸とともに口から入り、75%ぐらいは消化器系の壁について胃のほうに行きますから良いのですが、25%、つまり4分の1ぐらいは肺に行きます。

肺に行くと肺の奥の方に詰まってそのまま出てこなくなります。そうなると、プルトニウムは周辺の細胞をいためますので、それが心配されています。

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防御方法

空気中を飛んでくるプルトニウムの粒子は、0.3ミクロン程度の非常に小さな微粒子です。

しかしインフルエンザウイルス(0.1ミクロン程度)よりも大きいので、インフルエンザウイルス用のマスク(N95と言う少し高めの)を用意しておけば、おそらく95%ぐらいは被曝を防ぐことができると思ます。

機会のある内に、インフルエンザ用のマスクを買って置いておきましょう。

放射性物質の量が多い福島県の人等は比較的頻繁にマスクを変えた方がいいと思ますが、東京や仙台などでは今のところ洗って繰り返し使えると思ます。

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(やや専門的)

わたくしがウラン濃縮の仕事をしているときに勉強したプルトニウムの知識は少し古いので、今回、西暦2000年までの事故例などを調べてみました。

やはり最も注目すべき事故例は、1965年のアメリカで起こった事故で、その時には25名の人が酸化プルトニウムの微粒子を吸い込んでいます。

吸い込んだ量は、放射線の作業をする人として認められている許容値のさらに10倍程度であり、かなりの量を被曝しています。

この時の酸化プルトニウムの粒径は0.21ミクロンから0.37ミクロンです。0.21ミクロンとは210ナノメートルですから、所謂“ナノ粒子”の領域です。微粒子としてもかなり小さい方に属します。

当時、プルトニウムは非常に毒性が強いと言われていたので、この25人は直ちに肺癌になると予想されていました。しかし、事故後20年たった1985年の健康診断でも健康上の被害は認められていません。

このほかに事故例は10ぐらいありますが、いずれも軽度の被曝で重篤な症状は見られていません。

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原理的に言えば、酸化プルトニウムの微粒子が呼気とともに肺に入ると、沈着しα線をだして周囲の細胞を痛めると考えられます.また半減期が長く、水に溶解しないので、一旦、肺に入った酸化プルトニウムは除去ができないと考えられます。

しかし、それは机上の考えであり、事故例を見ますと、酸化プルトニウムの化学的、生理学的なダメージは小さく、α線による放射線障害が主でしょう

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一方、インフルエンザウイルスの大きさは、0.1ミクロン程度ですので、幸いインフルエンザ用マスクでかなりの部分は、防ぐことができると思います。

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プルトニウムの毒性が極めて強いのではないかという危惧があるのはわかりますが、あくまでも、わたくしたちは「正しい科学的な知識」によって行動を決めなければいけません。

その点では、根拠なくプルトニウムの毒性について述べてもいけませんし、また逆に3号炉はプルトニウムを燃料としているのですから、東京電力や国はもう少し誠意を持って3号炉の状態や、プルトニウムが飛散した時の防御を発表するべきだと思ます。

(平成23年3月28日 午前9時 執筆)


武田邦彦

交通事故、結果の検証。

2011-03-24 21:39:50 | Weblog
交通事故、自分なりの結果の検証。

2009年12月の交通事故についてやっと和解が成立した。
ほとんど保険会社の言うがままの結末。色々やりとりしている内に保険会社もちょっとだけ譲歩したのでそれでおしまい。

肋骨の骨折はほとんど完全に治癒したが、指の槌指は手術したものの結局曲がってしまった。後遺障害についても検討したが、後遺障害の診断は費用を自己負担しなければならないという事で、行政書士に認められるかどうか確認すると、難しいだろうという事で断念した。医師も後遺障害のことは一言も言っていなかった。見かけは多少悪いが特に不自由は無い。

結論から言えば、素人が自分で何とかしようとするより「日弁連交通事故相談センター」「交通事故紛争処理センター」に斡旋を依頼した方が良い。
以下の書類を用意する事。
交通事故証明書は540円、診断書は3000円~10000円程(コピーでも可)

相談に必要な主な資料等
1.交通事故証明書

事故の発生を確認するために必要な書類です。事故発生時に警察に事故届けをして、交付申請書により「自動車安全運転センター」に申請(郵送可)して入手します。
2.事故状況について

道路の状況、信号・一時停止標示などの位置、それぞれの進行方向とぶつかった位置などを、簡単で結構ですので書いてお持ち下さい。
3.相手方(加害車両の運転者、車の使用者など)を確認する資料
(1) 相手方の住所、氏名、連絡先、会社の車であれば会社名など
(2) 相手方の加入している自動車保険(任意保険)・自動車共済の契約会社名・共済組合名、すでに保険会社等または代理人弁護士から接触があれば、その担当者または弁護士の氏名・連絡先など
(3) 相手方から送付されてきた書面・計算書など
4.けがの場合

上記1~3の他、次の資料を準備して下さい。
(1) 治療を受けた病院の診断書(入・通院期間、負傷箇所の記載があるもの)および診療報酬明細書
⇒ 新たに病院で取り直さなくて結構です。どこの病院にいつ入院・通院したか分かればメモしてきて下さい。
後遺障害が発生して、自賠責保険の後遺障害等級の認定を受けている場合は、後遺障害診断書、後遺障害等級の認定結果および理由が書かれている書面
(2) 支払った治療費、証明書費用、通院交通費、家政婦、介護者などの支出に関する明細書・領収書
(3) 仕事を休み収入減となった場合の休業損害証明書
ア. 給与所得者の場合
休業損害証明書(事業主から事故前3ヶ月の給与支払い額、事故による欠勤日数およびその間の給与の不払いを記入してもらったもの)、事故前年の源泉徴収票、確定申告書控えなど
イ. 事業所得者(商工業、農林水産業、自営業、自由業など)の場合
事故の年度とその前後の確定申告書控え、あるいはその他に所得を証明できるもの(納税証明など)
5.死亡の場合

上記1~3の他、次の資料を準備して下さい。
(1) 死亡診断書または死体検案書
(2) 戸籍謄本(除籍謄本)-死亡した者と遺族との関係を知るために、省略のない戸籍謄本(すでに保険会社等に提出してあれば必要ありません。)
(3) 領収書・明細書など-病院費用、葬儀関係の費用など
6.物損事故の場合

上記1~3の他、次の資料を準備して下さい。
(1) 修理費の請求書、または修理工場の見積書(損傷箇所の写真など)
(2) 車両仮修理、引揚げ、けん引、運搬費の請求書または見積書
(3) 代車を利用の場合は、使用車の請求書など
(4) 事故車両が全損となり、代替車両を購入した場合の代金および登録費用などの請求書、領収書
(5) 車両の評価損を裏付ける資料






福島第1原発、首相視察が混乱拡大との見方も

2011-03-13 08:21:57 | Weblog
福島第1原発、首相視察が混乱拡大との見方も
2011.3.12 23:21

 菅直人首相は12日夜、福島第1原発について「一人の住民も健康被害にならないよう全力で取り組む」と強調した。ただ、原発で爆発が起きたことで、政府の危機管理能力が問われることになった。「最悪の事態を想定」(枝野幸男官房長官)してきたはずなのに、退避指示の範囲を徐々に広げた。爆発の事実を発表したのも発生から2時間以上たってからで、官邸の混乱ぶりがうかがえた。

 しかも首相が12日朝現地を訪れ、1時間近く視察したことは現場の作業を遅らせる一因になったとの指摘もあり、責任を問われかねない。

 12日朝、首相は原発視察に先立ち、記者団に「現地で責任者ときっちりと話をして、状況を把握したい。必要な判断は場合によっては現地で行うかもしれない」と意気込みを語った。
 政府関係者によると視察は首相が突然言いだした。枝野氏も12日未明の会見で「陣頭指揮を執らねばならないという強い思いが首相にあった」と説明した。

 しかし、現場はすでに放射性物質の一部放出をしなければならない事態に陥っていた。そこに首相がヘリコプターから降り立ったため、現場担当者も首相の対応に追われた。

反日議員土肥 隆一、やはり朝鮮人だった。

2011-03-10 08:24:51 | Weblog
土肥 隆一(どい りゅういち)は、日本の牧師、政治家、名誉韓国人。日本統治時代の朝鮮京城出身。日本社会党出身の民主党所属の衆議院議員(7期)。民主党倫理委員長。国のかたち研究会(通称:菅グループ)代表

民主党の土肥隆一衆院議員が2月下旬に韓国を訪れ、日本と韓国の双方が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)に関して「日本側は竹島の領有権の主張を直ちに撤回すべきだ」とする共同宣言文に署名。



反日、売国、民主党、土肥隆一衆院議員「竹島領有権、日本は主張中止を」

2011-03-09 22:25:44 | Weblog
民主党、土肥隆一衆院議員
「竹島領有権、日本は主張中止を」韓国議員と共同宣言 会見まで

 わが国固有の領土にもかかわらず韓国が不法占拠を続けている竹島について、衆院政治倫理審査会会長で菅直人首相が主宰する政策グループ代表の土肥隆一衆院議員(兵庫3区)が「日韓キリスト教議員連盟」の日本側会長として、日本政府に竹島の領有権主張中止などを求める同議連の日韓共同宣言に名を連ね、韓国の国会で共同記者会見していたことが9日、分かった。土肥氏は産経新聞の取材に「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」と話している。

 共同宣言文のタイトルは、「和解と平和を成す韓日両国の未来を開いていこう」。日本に対し「歴史教科書の歪曲(わいきょく)と独島(韓国が主張する竹島の名)領有権主張を直ちに中止する」などの3項目を要求。議連の日本側会長の土肥氏ら3人の連名としている。

 土肥氏によると、共同宣言は先月27日、韓国の植民地支配下の独立運動を記念した「3.1節」の関連行事の一つとして開催された、同議連の共同記者会見で発表された。

 土肥氏は日本側会長の立場で、日本から唯一出席。韓国には当日入り、式典の前に「この共同宣言を発表したい」と日本語訳が添付された宣言文案を渡され、内容を確認して了承、共同会見に臨んだという。

 土肥氏は産経新聞の取材に「共同宣言は外交交渉上有効になるようなものではない」と説明。「この議連は本来、キリスト教的精神で日韓問題を考えようという趣旨のもの。どちらか一方だけが悪いということにはならないはずだが、韓国では竹島、慰安婦、教科書、靖国に対する自国の主張を述べないと、日本と向き合ったことにならない」とも述べ、韓国側が作成した宣言文に理解を示した。

 共同宣言は、韓国内では主要各紙が報道。会見した土肥氏らの写真も掲載された。土肥氏によると、同議連はキリスト教信者の両国の国会議員によって約11年前に発足。日本側は7人程度だが、韓国は国会議員の3分の2にあたる約150人が所属しているという。

 土肥氏は通称「菅グループ」と呼ばれる菅首相主宰の「国のかたち研究会」代表を務め、昨年9月の民主党代表選では菅首相の推薦人だった。

「軽率すぎる行動」

 拓殖大の下條正男教授は「政権与党幹部の一人が韓国側の主張に沿う共同宣言を公の場で共同発表したことは、韓国側には『日本政府が韓国の領有権主張を認めた』と解釈される。軽率すぎる行動で、領土問題の根幹をまったく理解していない」と指摘している。

【用語解説】竹島問題

 竹島は隠岐の北西157キロの日本海に位置する2つの島と多くの岩礁からなる。もともとは無人島だったが、韓国が昭和27年、一方的に海洋主権宣言をして領有を主張。29年から警備隊を常駐させ、不法占拠を続けている。平成11年の新日韓漁業協定で、周辺は両国共同管理の暫定水域とされたが、韓国船が主に操業。17年3月には、島根県議会が「竹島の日」条例を可決している。

民族までニセモノ、漢民族。

2011-03-06 13:07:13 | Weblog
 漢字を発明した古代漢族と現在の漢族は、遺伝的なつながりがほとんどないとみられています。
漢王朝が崩壊後、北方の異民族が流入して人口は3分の1~6分の1に減少したと推定されています。
しかも、流入した北方民族を含めて人口が3分の1~6分の1に減少したのですから、古代漢民族の減少はそれ以上だった推定されます。

その後、鮮卑族と呼ばれる北方民族が統一王朝を建設し、隋、唐と長い間支配が続く。
対して、現在の漢民族は唐時代に民族の基礎が形成されており、
現在のイタリア人と古代ローマ民族以上に別物といわれています。

古代漢族は、現在の中国と違った文化をもつ謎の多い民族です。
そんな漢民族ですが、最近の近代的な考古学的手法の発達により、
遺骨やミイラのDNA分析の結果が断片的に報告されるようになってきました。
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、
及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表しました。

その結果は、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子に近く、約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近いという結果になり、現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらなというものでした。

一方、3000年前~1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定説になりつつあるようです。
新疆ウイグル自治区の楼蘭の美女と呼ばれるミイラは、白人のミイラとして知られています。
中国西部では600体もの白人のミイラが見つかっています。
北京から400、500km南東に位置している山西省の大原市からも白人が埋葬された墳墓が見つかっています。
1500年前にはすでに白人がかなり移住していたと考えられます。
これらの白人はコーカソイドと呼ばれる人達で、いわゆるトルコ系民族と言われる人たちです。
トルコ系民族は、少なくとも5世紀ごろにはシベリア地域にも移住していたとみられています。
そう考えてみると、中国にもトルコ系民族が移住していても何の不思議もありません。

東京大学の植田教授らは山東半島周辺に白人の居住地があったことを指摘しています。
現時点では、白人が中国のどの程度の位置を占めていたのか不明ですが、
今後DNAの研究が進むにつれ、これまでの歴史の常識が大きく覆されるかもしれません。
漢字は白人が発明したとまではいえませんが、山東半島出身の孔子は白人だった可能性があるといえそうです。

◆孔子は白人だった?

宮崎正弘先生の話。

「孔子の生きた時代の、山東省の遺骨を全部集めてDNA解析をしたところ、
 その時代の山東省には白人が住んでいたことが分かった。
 もしかしたら、孔子は白人だったのかも知れない」

(秦は白人の始皇帝が興した国であるし、隋も唐も本当はアーリア系のソグド人が築いた王朝で、元は蒙古人による国、清にしてもも満州人〈大興嶺山脈を越えて東方進出した蒙古人でモンゴル文字と満州・女真文字がソックリである事からルーツが明らかである〉による国である)

そう考えると、孔子が白人であっても何の不思議もないですね。
孔子が本当に白人だったとしたら、最近現れた孔子の子孫だという人物のDNAを鑑定すれば、ホンモノかどうかがはっきりするかも。

悲惨な漢民族の歴史

2011-03-05 22:23:04 | Weblog
悲惨な漢民族の歴史

遣隋使で知られている隋は、漢民族国家ではない。隋と唐は鮮卑族の国家で、鮮卑は現在のトルコ人である。
後唐、後晋、後漢もトルコ人王朝。宋は漢民族国家だが、それまで600年にわたってトルコ人によって漢民族は支配された。

漢や秦より以前の殷は女真族国家だった。
漢字のルーツは殷の甲骨文字である。
漢字は漢民族ではなく、後に清を建国する女真民族が生み出した。

孔子は自ら殷の末裔であると名乗っている。儒教の開祖的存在である孔子も漢民族ではなく女真民族だったようである。

金と清(1616~1912)も女真族の国家。
モンゴル帝国、元の時代はもちろん漢民族はモンゴル民族に支配されたが、
何故か中国の歴史教科書には、チンギス・ハンは中国の英雄として登場する。

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