大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

慰安婦とは

2012-06-09 17:03:43 | Weblog

慰安婦問題

 「慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。
もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。」

 「従軍慰安婦の碑?何言ってんだか…。あの女性たちは、大変結構なお給料をいただいておってだねえ、当時は日本からもその筋の女性たちが大挙して働きに行った んだよ?朝鮮で、嫌だと言う女性をぎりぎり(無理やり)捕まえる必要なんか、全然無かったんだから。 そもそも当時は同じ日本で、日本国民で、同じ法律ですよ?そんな事をしたら大騒ぎになるだろうが(笑)」
「ただ、当時の本土と同様、親の ために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そういう女性は大変気の毒だと は思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」

半島における日本の統治

半島における日本の統治の特徴としては、
「日本には誠実な統治の姿勢があった」「日本軍の軍紀が厳正であった」

この2点が大きい。

 当時の世界情勢から見れば、外国人から見ても日本の統治は非常に誠実なものであった。
また当時の軍隊の教育を受けた者は、その事を今も誇りに思っている。私の同期は皆、武士のように立派な紳士ばかりである。

 リットン調査団が、報告書を作るのに大変苦労したという逸話がある。調べてみると、日本の植民地統治が完璧であったので慌てたのだ。
 当時、白人国家の植民地統治とは、殺人・略奪・強制的混血による民族「浄化」といった野蛮なもの。白人は、日本の完璧で誠実な統治を恐れたのである。

大東亜戦争

 私は少年兵として終戦を迎えた。戦争末期には、アメリカの物量作戦に対抗するため、日本は空襲があっても戦力温存のためにただ飛行機を別の飛行場に退避させるだけ、という事も続いた。水戸にいる時、1000機の艦載機が飛来した。東京大空襲だった。

 戦時中、昭和12年から、朝鮮半島でも志願の士官学校制度が始まった。400名の募集に対し、20倍の志願があった。自分は学校で募集を聞くや否や、真っ先に手を挙げた。日本人にさえ先駆けて最初に志願した朝鮮人の2人の内の一人で、それがとても自慢だった。
当時、半島も本土も、間違いなく一体だったのである。

 戦後マッカーサーが、「日本の戦争は自衛戦争であった」と言ったが、この証言に尽きる。資源の無い国日本が、封鎖されてやむを得ずの戦争だったのだ。


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