大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

仙谷官房長官 「日本が中国の属国になる?…今に始まったことではない」

2010-10-21 08:22:29 | Weblog
仙谷官房長官 「日本が中国の属国になる?…今に始まったことではない」

仙谷氏「APECのため船長釈放」と丸山氏暴露

 参院決算委員会が18日、行われた。自民党の丸山和也氏は、事件で逮捕した船長の釈放には、来月横浜で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)への影響を懸念したものだとし、船長の釈放直後に仙谷官房長官と電話で話した内容を“暴露”。

「判決まで拘置して強制送還すべきだった」と訴えると、
仙谷氏は「APECが吹き飛んでしまう」と答え、「日本が中国の属国になる」との懸念を伝えると、「属国化は今に始まったことではない」と応じたという。

仙谷氏は答弁で「健忘症にかかったか、今暴露された会話の記憶は全くない」と否定。18日夕の記者会見では「何らかのことを友人関係で話したとすれば、国会で質問されるのは不本意だ」と不快感を示した。

「通州事件」1937年7月29日支那の保安隊が日本人居留民約260人を虐殺。

2010-10-04 20:10:18 | Weblog
「通州事件」1937年7月29日、支那の保安隊が日本人居留民約260人を虐殺。

「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た」

支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴いた桜井文雄証人

 天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は次の如く証言した。

「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述。

「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。
帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子 2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

中村粲著『大東亜戦争への道』惨!通州事件

「私が住んでいた北支の百五十マイル以内のところに、二百名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。二十名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。
 日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛られた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。」

「中国の戦争宣伝の内幕」-日中戦争の真実ー
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ著    
田中秀雄 訳
芙蓉書房出版

60年代の中国地図、尖閣諸島は日本領と認識「ワシントン・タイムズ」

2010-10-01 06:13:29 | Weblog
60年代の中国地図、尖閣諸島は日本領と認識―米紙中国政府の主張と「矛盾」

 【ワシントン早川俊行】16日付の米紙ワシントン・タイムズは、中国政府が1960年代まで尖閣諸島は日本の領土であると認めていたことを示す地図を掲載し、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は昔から中国固有の領土」とする中国外務省の主張は「矛盾する」と指摘した。

 同紙が入手したという地図は1969年に中国政府が作成したもので、同諸島を日本名で「尖閣群島」と表記している。紙面に掲載された地図は全体の一部分だけで、境界線の位置は確認できないが、同紙は「地図には尖閣諸島が日本の領土であることを示す境界線が引かれている」と指摘している。

 クリントン米国務長官は7月に南シナ海における航行の自由は米国の「国益」であると表明するなど、米国は中国の積極的な海洋進出に警戒感を強めている。同紙は「尖閣の争いは他国の領土や国際水域を支配しようとする中国の攻撃性と取り組みに対する米国の懸念を増大させる、もう一つの事例を提供している」と指摘した。

2010/9/17 19:17

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