大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

慰安婦賠償問題…韓国メディアを圧倒した橋下市長の主張

2013-05-29 19:37:14 | Weblog

「今日の面会は中止です」。5月24日朝、大阪市役所に内外のメディアが殺到。「間違いなく過去最高」(市職員)の記者が集まったのは、従軍慰安婦問題で注目を浴びる橋下徹大阪市長(43)と2人の韓国人元従軍慰安婦の面会に立ち会うためだった。ところが彼女たちは突然のドタキャンである。

予定は何度も変更され、午後4時半、ようやく橋下氏の会見が始まった。ほどなく橋下氏に「強制連行はなかったという思いは変わらないんですか?」という大声が飛んだ。質問の主は韓国人記者。橋下氏はよどみなく答える。

「日本軍が施設の管理をしたり関与していたとは思いますが、国家の意志として女性を強制的に拉致したり、売買したという事実はなかったというのが日本政府の見解です」

約1時間半の記者会見は、日本の官憲による強制連行を認めさせ、あわよくば失言を引き出したい内外の新聞記者が執拗に突っ込み、橋下氏が冷静に反論する場面の繰り返しだった。

この後も韓国人記者はしつこく質問を繰り返すが、風向きが変わったのは、慰安婦に対する賠償問題に話が及んだときだった。日本政府は’65年の日韓基本条約で賠償問題は解決済みという立場だが、韓国は賠償責任は残っているとの立場。橋下氏が答える。

「賠償問題について解釈が違うというなら、これは条約の問題なので国際司法裁判所でやればいい。日本は民間募金による償い金も出しているが、あくまで日本政府が賠償責任をという話になってしまうと、結局は日韓基本条約に戻る。でも、これは国際法ですから動かすことはできない。もし日韓基本条約がだめというなら、あとは国際司法裁判所しかないでしょうね」

この発言に対して反論はいっさいなく、韓国人記者も沈黙したまま…。「竹島問題でもそうだったように、韓国が国際司法裁判所への提訴に乗ってくるとはとても思えない。その意味で私は賛成しかねますが、堂々と日本の立場を主張した点で橋下さんは正しいと思います」(拓殖大学国際学部・下條正男教授)

そのまま会見は終了。橋下氏の驚異的な粘り腰で、図らずも韓国側の主張の欠陥が明らかになったのだ。


自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言

2013-05-29 19:21:52 | Weblog

慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。
NYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」
などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。

橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、
大阪市内で開かれた集会には参加した。
朝鮮新報によれば、
「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。
彼女の証言は次のようなものだ。
最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、
私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。
日本政府は『自分たちがやったことではない』と言っているが、
民間人がどうやって軍人相手のための慰安所を作ることができるのか」
 
まず彼女が最初に送られたのが南洋群島(パラオ・サイパンなど)なのか広東なのかという事実が、
同じ記事の中で食い違っている。

さらに金は「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」という。
日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない。

金は87歳というから、「14歳の時」というのは1939年か40年だ。
そのころ朝鮮半島に徴用令は出ていないので、「軍需工場に連れて行くと騙した」のは民間人だろう。
軍医が身体検査をするのは当然で、衛生管理のためである。
「民間人が軍人相手のための慰安所を作る」のはもうけるためで、何の不思議もない。
要するに、彼女は民間人にだまされて民間の慰安所で働いたと言っているのだ。
どこにも「強制連行」は出てこない。

他方、沖縄タイムスによると、金は「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。
慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。
各地の(民間の)売春宿を渡り歩いていたのではないか。

もう一人の吉元玉は、毎日新聞によれば「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられた」という。
11歳というのは小学5年生で、当時は初潮もなかっただろう。
これは現在の年齢と辻褄を合わせるための嘘だと思われるが、
集会でも慰安婦としての体験は具体的に何も話していない。

田渕記者の信じる慰安婦の「証言」は、みんなこんなものだ。
このように二転三転し、歴史的事実と矛盾する「証言」をいくら集めても、証拠能力はゼロである。
今回、彼らが橋下氏との面会をドタキャンしたのも、
事前の市当局との話し合いの中で反対尋問に耐えられないと支援団体が判断したためだろう。
慰安婦なるものはこういう詐欺師であり、橋下氏が謝罪するような相手ではない。


アメリカ軍の残虐行為

2013-05-18 19:21:30 | Weblog

アメリカ軍の残虐行為、リンドバーグの日記より。

各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。


捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。

日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。


リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。



1944年5月22日号のライフ・マガジンには「ボーイフレンドの海軍大尉から送られた、日本兵の頭蓋骨を眺めながら、手紙を書くナタリー」という写真も掲載されている


【読売新聞】従軍慰安婦問題、朝日新聞の誤報道が日韓の外交問題となり河野談話で曲解広まる

2013-05-14 19:11:09 | Weblog

【読売新聞】従軍慰安婦問題、朝日新聞の誤報道が日韓の外交問題となり河野談話で曲解広まる

従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞が


「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」

と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。

記事中には「主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した」などと、
戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を“慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり、
強制連行の有無が最大の争点となった。

宮沢内閣は同年7月、軍による強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を発表した。
しかし、韓国国内の日本批判は収まらず、政治決着を図る狙いから、翌93年8月、河野洋平官房長官(当時)が、
慰安所の設置、管理、慰安婦の移送について軍の関与を認め「おわびと反省」を表明する談話を発表した。

ところが、河野談話によりかえって「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という曲解が広まったため、

第1次安倍内閣は2007年3月、

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」

とする政府答弁書を閣議決定している。


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