難民の女性たちは男女不平等と貧困に対抗するため、一念発起していくつかの事業グループを作ったが、現在、こうした起業心がNGOの支持不足のために消滅しかかっている。
亡命中の難民は自分達が新しい土地にいることに気づきながらも、昔ながらの伝統文化からなかなか離れられない。カクマ・キャンプで暮らしている女性にとっては、伝統的な女性の役割が男女平等や自己開発を困難にしている場合が多々ある。女性の自立のためのあがきは、貧困と失業によってさらに苦しいものになる。2001年、ある難民女性のグループが、自分達の家族のために収入を産み出す革新的なビジネスモデルを作った。残念なことに、この計画は立ち消えになったが、どのNGOからも切り捨てに対する説明がない。
男女平等への文化的、経済的挑戦
人々は自国から逃げ出すとき、自国の文化で身につけた技術、信仰、文化、価値を携えて逃げる。過去には、キャンプの女性は家事しかできないと思われていた。男さえいれば、女性はそれでいいだろうというわけだ。こういう土壌のせいで、女性は自分の人生に影響を及ぼすような問題に発言などできまいと決めつけられていた。
カクマにいるルワンダ出身の難民女性は、女性としての自分のかつての状態を思い出し、「私たち女性は、『女は、いつも間違っている』と言う諺で苦しんだものだ」と言っている。「つい2~3年前まで、女性は自分の家庭の重要問題について意見を聞かれることなどなかった」
それでもまだ、女性達の多くは、今日のキャンプ生活について、多くのコミュニティーで昔ながらの男女不平等が残っていると言う。「大きな差がある。女性は、たとえ技術や教育を身につけていても、自宅に留まり、夫が稼いでくるものに依存しているからだ」と言うのは、6人の子どもを持つブルンジ難民の母親だ。
しかし、こういう状況を変えなければと彼女は言う。「夫たちはこういう状況では十分に家族を養えない。だから私たちが夫を手助けしなければ」
しかし多くの女性は、カクマ・キャンプの女性に突きつけられている最も重要な問題は、夫の理解を得ることではなく、貧困と失業なのだと言う。「私たちは仕事がないから貧しく、貧しいと家庭の中で自分たちの立場もなくなり、声も出せなくなる」と、ルワンダの女性は言う。
収入手助けが変化をもたらす
KANEREに話をしてくれた大半の女性が繰り返し強調したのは、家庭の収入の手助けについてだった。女性が働いて毎月または時々、わずかなお金を家に入れるだけで、夫たちの怒りはいくらか収まるし、ムードが変わるというのだ。
「隣の奥さんはしょっちゅう叩かれていた。でも彼女が私たちのケータリング・グループに加わってからは、今日まで、彼らの家で開けっぴろげな喧嘩を聞いたことがない」と、カクマ3の母親は言った。
女性は仕事に就くにしろ自営業をするにしろ、いくつかの恩恵を得る。稼げば、肉やミルク、衣類など、配給されないがその家庭で欲しいものを買うことができる。
そういう女性は他の女性に会う機会もあり、互いに影響を与え合う。「会うことで話し合いの場ができる。様々なアイディアが話題になり、良い計画を思いつく。私たちにはこういう機会が必要なのだ」と言うのは、女性のケータリング・グループの前メンバーだ。ケータリング・グループ委員会の前リーダーは次のように言っている。「ぜひ伝えたいのは、ここでトレーニングを受けた女性の多くが、自分たちのコミュニティーでは決して身につけられなかった、おいしい料理の作り方を学んだということだ。予算の組み方も覚えた。こういう手腕はみんな、ケータリング・グループの恩恵だ」
カクマ・キャンプの男女間のアンバランスと戦う必要を認め、様々な女性グループがNGOによる「助力の申し出」の恩恵を受けている。「助力の申し出」とは、同意された価格で定められた仕事をするという、NGOと女性団体の間で交わされる公式合意のことだ。
女性の権利拡大グループ
女性難民はまず仕事のグループを一緒につくろうと考えたが、始めるための資金がなかった。 そこでUNHCRコミュニティー・サービスの当時の職員だったアグネス・サイモン氏に接触し、願いは受け入れられた。UNHCRは1999年に女性たちに多国籍レストランと呼ばれる建物を提供し、商売を始めるための若干の資金も与えた。
女性たちは自分たちの文化と知識を頼りに、昔ながらのおいしい料理を提供するグループを作った。レストランには、スーダン人、ヌエル族、コンゴ人、ルワンダ人、ブルンジ人、エチオピア人の各コミュニティーからの女性が集まった。これらの料理はNGOスタッフに提供され、スタッフは女性たちの新しい試みを励まそうとレストランをひいきにした。
ところがこの計画は4ヵ月しかもたず、結局は失敗した。間違った管理が原因だった。グループの解散後もコンゴ人コミュニティーの女性たちが最小限のサービスを提供し続けた。
2001年、同じコンゴ女性の積極的なグループが、あることに気づいた。多くのNGO職員は、おいしいエチオピア料理で人気のあるフランコホテルのような個人のホテルでお金を使っている。しかし彼らは、レストランで^一緒に食事をするために、集団で移動してこなければならない。
女性のケータリング・グループに、このニッチを埋めさせない手はないだろう。 そのグループは女性の権利を拡げるために新しいアイディアを展開した。コミュニティーの権利拡大の精神に基づき、人道支援組織の公式会合の際に料理を提供するケータリング・グループを始めようというのだ。女性達は、UNCHRとLWF コミュニティー・サービスに話を持ちかけた。アイディアはUNHCRとLWFで支持され、プログラムが始まった。
4人の女性でグループを作り、プログラムに登録するように呼びかけた。UNHCRとLWFは、共同でプログラムをサポートした。人道支援組織がワークショップを開く際に、キャンプ内であろうと地元のコミュニティーであろうとワークショップが開かれている場所に、食事と飲み物を提供するよう名簿順に呼ばれる。申し込みがあると、各グループは自分たちのお金で食事を用意し、人道支援組織は利息を加えた料金を支払う。
女性のケータリング・グループはいくつかの問題を体験した。リーダーの1人はこう言っている。 「私たちの一番の問題は、プログラムを担当している職員が自分たち自身のグループを作ってしまうことだった。難民に出すべき助力の申し出が職員たちのグループに出されてしまう。LIMAの例がこれに当たる。職員たちが自分たちのグループに助力を申し出る場合、そのグループには、私たちに支払うより高額が支払われる。でも難民はどこにも不平を持ち込めない。そういうことをされても黙っているしかない」
LIMAというのは、以前、数人のLWF職員によって個人的に所有されていたケータリング・グループだ。支援団体の職員が所有するグループには、より高い値段でより多くの「助力」が出されるかの可能性がある
ケータリング・グループで働いていたある女性は、LWFの集会ではケータリング・グループに対し、客一人につき250ケニアシリングが支払われたと言っている。朝食、昼食、飲み物を含んだ値段である。ケータリング・グループが食事を提供したのがワークショップに出席していた50人とすると、彼女たちには12,500ケニアシリングが支払われる計算だ。この女性によると、IRCは同じサービスで客一人につき300ケニアシリング支払ったという。
しかし、この支払い計画は、食材の価格がかなり高騰しているにもかかわらず、2001年にグループが結成された当時から変わっていない。女性ケータリング・グル-プ委員会のメンバーは、支払額の値上げを要請したが、LWFの当事者はこの提案を受け入れなかった。
ケータリング・グループの解散
過去3年間、25の女性のケータリング・グループが活動していたが、この一月に、LWFはグループを解散してしまった。解散の理由は女性たちには知らされていない。しかし、IRCとNCCKはその後も、自分たちのプログラムにグループを登録させている。
「私たちが始めたプロジェクトが、プロジェクトがどのようにスタートしたかも知らない人たちによってやめさせられるのを見るのは、不愉快だ」と、ある女性は言う。
このプログラムに加入していなかった別の女性たちが、現在自分たちのグループを作ろうとしている。彼女たちの何人かは新しく作られたグループに受け入れられている。
LWFの当事者にこの問題についての説明を求めたが、コメントを断られた。LWF プログラム・コーディネーターのウィリアム テムブによると、「支援組織交流委員会が作られる予定で、ここが報道関係者に今後どう説明するかを待っているところだ」という。
亡命中の難民は自分達が新しい土地にいることに気づきながらも、昔ながらの伝統文化からなかなか離れられない。カクマ・キャンプで暮らしている女性にとっては、伝統的な女性の役割が男女平等や自己開発を困難にしている場合が多々ある。女性の自立のためのあがきは、貧困と失業によってさらに苦しいものになる。2001年、ある難民女性のグループが、自分達の家族のために収入を産み出す革新的なビジネスモデルを作った。残念なことに、この計画は立ち消えになったが、どのNGOからも切り捨てに対する説明がない。
男女平等への文化的、経済的挑戦
人々は自国から逃げ出すとき、自国の文化で身につけた技術、信仰、文化、価値を携えて逃げる。過去には、キャンプの女性は家事しかできないと思われていた。男さえいれば、女性はそれでいいだろうというわけだ。こういう土壌のせいで、女性は自分の人生に影響を及ぼすような問題に発言などできまいと決めつけられていた。
カクマにいるルワンダ出身の難民女性は、女性としての自分のかつての状態を思い出し、「私たち女性は、『女は、いつも間違っている』と言う諺で苦しんだものだ」と言っている。「つい2~3年前まで、女性は自分の家庭の重要問題について意見を聞かれることなどなかった」
それでもまだ、女性達の多くは、今日のキャンプ生活について、多くのコミュニティーで昔ながらの男女不平等が残っていると言う。「大きな差がある。女性は、たとえ技術や教育を身につけていても、自宅に留まり、夫が稼いでくるものに依存しているからだ」と言うのは、6人の子どもを持つブルンジ難民の母親だ。
しかし、こういう状況を変えなければと彼女は言う。「夫たちはこういう状況では十分に家族を養えない。だから私たちが夫を手助けしなければ」
しかし多くの女性は、カクマ・キャンプの女性に突きつけられている最も重要な問題は、夫の理解を得ることではなく、貧困と失業なのだと言う。「私たちは仕事がないから貧しく、貧しいと家庭の中で自分たちの立場もなくなり、声も出せなくなる」と、ルワンダの女性は言う。
収入手助けが変化をもたらす
KANEREに話をしてくれた大半の女性が繰り返し強調したのは、家庭の収入の手助けについてだった。女性が働いて毎月または時々、わずかなお金を家に入れるだけで、夫たちの怒りはいくらか収まるし、ムードが変わるというのだ。
「隣の奥さんはしょっちゅう叩かれていた。でも彼女が私たちのケータリング・グループに加わってからは、今日まで、彼らの家で開けっぴろげな喧嘩を聞いたことがない」と、カクマ3の母親は言った。
女性は仕事に就くにしろ自営業をするにしろ、いくつかの恩恵を得る。稼げば、肉やミルク、衣類など、配給されないがその家庭で欲しいものを買うことができる。
そういう女性は他の女性に会う機会もあり、互いに影響を与え合う。「会うことで話し合いの場ができる。様々なアイディアが話題になり、良い計画を思いつく。私たちにはこういう機会が必要なのだ」と言うのは、女性のケータリング・グループの前メンバーだ。ケータリング・グループ委員会の前リーダーは次のように言っている。「ぜひ伝えたいのは、ここでトレーニングを受けた女性の多くが、自分たちのコミュニティーでは決して身につけられなかった、おいしい料理の作り方を学んだということだ。予算の組み方も覚えた。こういう手腕はみんな、ケータリング・グループの恩恵だ」
カクマ・キャンプの男女間のアンバランスと戦う必要を認め、様々な女性グループがNGOによる「助力の申し出」の恩恵を受けている。「助力の申し出」とは、同意された価格で定められた仕事をするという、NGOと女性団体の間で交わされる公式合意のことだ。
女性の権利拡大グループ
女性難民はまず仕事のグループを一緒につくろうと考えたが、始めるための資金がなかった。 そこでUNHCRコミュニティー・サービスの当時の職員だったアグネス・サイモン氏に接触し、願いは受け入れられた。UNHCRは1999年に女性たちに多国籍レストランと呼ばれる建物を提供し、商売を始めるための若干の資金も与えた。
女性たちは自分たちの文化と知識を頼りに、昔ながらのおいしい料理を提供するグループを作った。レストランには、スーダン人、ヌエル族、コンゴ人、ルワンダ人、ブルンジ人、エチオピア人の各コミュニティーからの女性が集まった。これらの料理はNGOスタッフに提供され、スタッフは女性たちの新しい試みを励まそうとレストランをひいきにした。
ところがこの計画は4ヵ月しかもたず、結局は失敗した。間違った管理が原因だった。グループの解散後もコンゴ人コミュニティーの女性たちが最小限のサービスを提供し続けた。
2001年、同じコンゴ女性の積極的なグループが、あることに気づいた。多くのNGO職員は、おいしいエチオピア料理で人気のあるフランコホテルのような個人のホテルでお金を使っている。しかし彼らは、レストランで^一緒に食事をするために、集団で移動してこなければならない。
女性のケータリング・グループに、このニッチを埋めさせない手はないだろう。 そのグループは女性の権利を拡げるために新しいアイディアを展開した。コミュニティーの権利拡大の精神に基づき、人道支援組織の公式会合の際に料理を提供するケータリング・グループを始めようというのだ。女性達は、UNCHRとLWF コミュニティー・サービスに話を持ちかけた。アイディアはUNHCRとLWFで支持され、プログラムが始まった。
4人の女性でグループを作り、プログラムに登録するように呼びかけた。UNHCRとLWFは、共同でプログラムをサポートした。人道支援組織がワークショップを開く際に、キャンプ内であろうと地元のコミュニティーであろうとワークショップが開かれている場所に、食事と飲み物を提供するよう名簿順に呼ばれる。申し込みがあると、各グループは自分たちのお金で食事を用意し、人道支援組織は利息を加えた料金を支払う。
女性のケータリング・グループはいくつかの問題を体験した。リーダーの1人はこう言っている。 「私たちの一番の問題は、プログラムを担当している職員が自分たち自身のグループを作ってしまうことだった。難民に出すべき助力の申し出が職員たちのグループに出されてしまう。LIMAの例がこれに当たる。職員たちが自分たちのグループに助力を申し出る場合、そのグループには、私たちに支払うより高額が支払われる。でも難民はどこにも不平を持ち込めない。そういうことをされても黙っているしかない」
LIMAというのは、以前、数人のLWF職員によって個人的に所有されていたケータリング・グループだ。支援団体の職員が所有するグループには、より高い値段でより多くの「助力」が出されるかの可能性がある
ケータリング・グループで働いていたある女性は、LWFの集会ではケータリング・グループに対し、客一人につき250ケニアシリングが支払われたと言っている。朝食、昼食、飲み物を含んだ値段である。ケータリング・グループが食事を提供したのがワークショップに出席していた50人とすると、彼女たちには12,500ケニアシリングが支払われる計算だ。この女性によると、IRCは同じサービスで客一人につき300ケニアシリング支払ったという。
しかし、この支払い計画は、食材の価格がかなり高騰しているにもかかわらず、2001年にグループが結成された当時から変わっていない。女性ケータリング・グル-プ委員会のメンバーは、支払額の値上げを要請したが、LWFの当事者はこの提案を受け入れなかった。
ケータリング・グループの解散
過去3年間、25の女性のケータリング・グループが活動していたが、この一月に、LWFはグループを解散してしまった。解散の理由は女性たちには知らされていない。しかし、IRCとNCCKはその後も、自分たちのプログラムにグループを登録させている。
「私たちが始めたプロジェクトが、プロジェクトがどのようにスタートしたかも知らない人たちによってやめさせられるのを見るのは、不愉快だ」と、ある女性は言う。
このプログラムに加入していなかった別の女性たちが、現在自分たちのグループを作ろうとしている。彼女たちの何人かは新しく作られたグループに受け入れられている。
LWFの当事者にこの問題についての説明を求めたが、コメントを断られた。LWF プログラム・コーディネーターのウィリアム テムブによると、「支援組織交流委員会が作られる予定で、ここが報道関係者に今後どう説明するかを待っているところだ」という。
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