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矢田野エジリ古墳 小松市埋蔵文化財センター

2023-10-16 | 行った所

小松市埋蔵文化財センターの呼び物は二つ、矢田野エジリ古墳出土の埴輪群と八日市地方(ようかいちじかた)遺跡出土の弥生時代を中心とした木製品を含む多彩な遺物だ。
特にエジリ古墳の北陸では珍しいとされる人物埴輪がセットで出土していることで注目を集めた。

馬とそれに乗った人物、馬を引く人がセットで2組、巫女らしいのが4体、膝まづく人1体、立っている人2体。対になって並んでいたのだろうか?立っている人の内1体は帽子をかぶっているが、もう一体の頭には王冠状のギザギザがついている。頭頂部はなく、上から中が覗き込める。このような例は他にもあるのだろうか。
埴輪祭祀・葬送儀礼を思わせる埴輪たちで、すぐ今城塚の大埴輪群を連想してしまう。今城塚の被葬者に擬されているのは継体天皇(オヲド王)だ。
*加賀国府物語館の展示
また継体の母系の祖母が加賀の江沼の出身とされることから、その関連を考えているようだ。だが、北陸にはこの古墳以外人物埴輪がない。特に江沼以上に関係が深かったであろう越前北部に埴輪祭祀を思わせる人物埴輪の出土を知らない。更に何人もの妃を出した近江の三尾野氏のいた近江湖西の高島市周辺にもない。尾張はなくもないようだが。
ただ、エジリ古墳の埴輪群の発見は偶然の要素が強い。主体部どころか墳丘まで失い、古墳と認識されていなかった場所から周濠跡が見つかり、その周濠跡に埋まっていた埴輪群だったのだ。ということはまたどこかで新たな発見の可能性はあるのかもしれないのだ。あまり可能性が大きいとは言えないだろうが。
*矢田野エジリ古墳の発見
この古墳は三湖と呼ばれる柴山潟・木場潟・今江潟に囲まれた場所であった。潟湖と呼ばれる汽水の湖が浅く海と陸をつないでいた地形だ。潟湖は縄文時代から港として利用されてきた。ここもそうだったのだろう。
 矢田野エジリ古墳の周辺地形
八日市地方遺跡もまたこの潟湖を利用してきた人々の住んだ痕跡なのだろう。環濠集落として防備を固めていた。木製品の数々は巻向もかくやで、楽浪海中の倭人たちで百余国をなしたクニは大和や北九州・瀬戸内・出雲に限らなかった、ということなのだろう。

エジリ古墳の埴輪群は埋蔵文化財センターにあるのだが、全部が展示されるのは珍しかったらしい。埴輪と地方遺跡に関する資料ももらった。加賀立国1200年に因んだサービスだったらしい。ラッキーであったのだ。

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