ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

ハラボジの履歴書  6

2013年06月19日 | Weblog
 家は役場から歩いてすぐの場所であった。
長男夫婦とその子供3人そして母親の7人で暮らしていた。むらの中では唯一の瓦葺で
門をくぐると、すぐに牛小屋があり、一つの敷地の中に二つの建物があった。
祖父はまだ独り者だったために、兄が結婚したときに、離れを新たに建ててもらった。
離れと母屋の間に低い土塀を巡らせて、母屋の中庭を通リ抜けて離れにいけるように
なっていた。
いつもなら、母屋の門をあければ、中庭では母と兄嫁が夕飯の準備をしているのだが、この日は
始祖の墓の完成式で自分以外はすべて務安に行って留守だった。
縁側に腰を下ろした秉元は兄が明日戻ったとき、水路の整備の状況を問われた時
どう答えればいいか、そればかりが気になって。雨に濡れたことなど全く
気にもならなかった。
 そうして、また大きくため息をついた。
しばらくして、門の板戸をたたく音に気が付いた。
「ピョンウォン。いるか」。と幼馴染の金大完の声である。門によって、かんぬきを落とした。
「どうした」。と言うと。
「この間は運がなかったな、あす明後日、もう一度運試しにどうだ」。と言うと同時に
門をくぐって入ってきた。
「お前と会うと、うちの家族が嫌がるので、家には来ないでくれ」。
「まあ、そう言うな、俺様と会って損をした者はいない、福のある人間だと言われているのに
お前の家族だけが、俺を毛嫌いするのは。困ったものだ」。
「それより、この酒、面長様から今日いただいた。なにやら、日本から持ってきた清酒で
朝鮮では手に入らないものらしい、一緒に飲まんか」。
 体も疲れ、空腹でもあったこと、酒もきらいなほうでもなかったので、
先日町の博打場に誘われ、預かった水路の改修費用を使い込んでしまったことを
つい忘れたのか、台所に行って、肴になりそうなキムチとちゃぶ台を持ってきた。
「ピョンオン。まあ一杯飲め」。と杯を差し出した。

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