
04.11.1に神戸の長田から支援物資を山古志村の人たちが避難していた、長岡高校に行ったのが出会いで、神戸との共感、協働の集いということで座談会を持った。
その後、神戸に復興対策本部神戸事務所を韓国民団に開設。神戸からも山古志の状況を全国に発信しようと、願いでたのがきっかけで彼の住所地の虫亀に住所移転。
仮設住宅を与えてもらい、長岡市に合併するまでの間、神戸と山古志をいったり来たり、長島村長とともに震災初動に於いては、復興に向け不眠不休の活動を展開。
木材の伐採業が本職で当時村議も勤め、山古志村内では人望の厚い人である。
現在は虫亀の自宅に戻った。
思えば、私のようなエセ村民を快く受け入れてくれて、周囲の人からはどうなったのかといぶしがられたと今になって申し分けなく思ったりするが、今も神戸との交流は続き、今後どのような関係とし交流と付き合いができるかといつも思っている。
当時長岡市内で復興住宅の協力してくれた、地元建築士との写真
右 田中 仁氏 左 地元 建築士
その後、神戸に復興対策本部神戸事務所を韓国民団に開設。神戸からも山古志の状況を全国に発信しようと、願いでたのがきっかけで彼の住所地の虫亀に住所移転。
仮設住宅を与えてもらい、長岡市に合併するまでの間、神戸と山古志をいったり来たり、長島村長とともに震災初動に於いては、復興に向け不眠不休の活動を展開。
木材の伐採業が本職で当時村議も勤め、山古志村内では人望の厚い人である。
現在は虫亀の自宅に戻った。
思えば、私のようなエセ村民を快く受け入れてくれて、周囲の人からはどうなったのかといぶしがられたと今になって申し分けなく思ったりするが、今も神戸との交流は続き、今後どのような関係とし交流と付き合いができるかといつも思っている。
当時長岡市内で復興住宅の協力してくれた、地元建築士との写真
右 田中 仁氏 左 地元 建築士
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