ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

イラン・アフガン紀行 学校を建てよう

2009年04月28日 | Weblog
 さて何ゆえに見知らぬ国、イラン、アフガンに学校を
などと、大それた考えをもったのか。
私はNPOでもNGOのメンバーでもないし、特段裕福な
篤志家でもない。
その当時、阪神大震災から6年目を向かえた時、
事務所が全焼し、すべてをなくして閉まったが
思いきって借金もできたので、一日も早い事務所の
復興をめざし、がむしゃらにつき進んだ。
元は建築設計事務所が本来の仕事だが、いつしか
震災後は工事にも手を染めて、建築業者になっていた。
業界のジンクスで設計事務所が請負をすれば必ずつぶれる
との先輩たちの忠告が日に日に身にしみる状況になって
もうすでに、自転車操業そのものになり、支払いと
収入の見合いがつかなく、仕事は一生懸命にやるのだが
経営としてはまったくなっていなかった。
従業員が帰ったあと、事務所に残り、いつ事務所をたたもうか
などと、悶々とした日が続いており、このまま消えてしまいたい
など、鬱的な状況にもなっていたのである。
そういった人間が突如、イラン、アフガンに学校を建てようと
現地にいくきっかけとなったのは、新聞の記事を見たことが
きっかけとなった。  次号