ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

京都ウトロの春はいつ

2008年04月08日 | Weblog
 京都府宇部市伊勢田ウトロ。
日本の国に残った。最後の朝鮮人である。京都飛行場建設に集まった朝鮮人達が戦後もここに住み着いた。

多いときには、1300人の人で溢れ、戦後も飯場あとを改造しながら、そのままバラック建築を建て、住み着いてしまったのだが、20年まえ、この土地の所有者だった、日産車体がこの土地を、地元の在日に売りはらい、それが、後、ウトロ事件と強制退去の裁判に発展し、日本の戦後処理問題、人権問題とし、政治問題にまで発展したが、昨年、この土地の買い上げに、韓国政府が一部、土地資金を供出する決定を行い、現在、改良に向け、動いているが、63世帯の住民も、平均年齢が75歳をしめ、これからあと何年の歳月がたかかるのか、
今も残る、戦後の残影がここに残る。