【寒くなってきたから、モフモフ毛布の上であそぶのだ!byまろたん】
2年前、この季節に相方さんとこの世で最後のお別れをしました。
私にとっては、その日は昨日と変わらない感覚ですが、
現実的な時間のことだけ考えると「2年なんて短いものだな」とも思うし、
「決して終わらない」そんな長い時間にも思えたりします。
誰かがいて、その人がいないとダメで、空虚になってしまうなんて
「ただの共依存じゃないの?」と言われれば其れまでですけれども(^_^;)
ヒネクレ者の私には、そういったことでショックを受けて
日常生活ができなくなってしまったりする、愛情があればこそ当たり前なことを
「それは共依存の関係だからイケナイ」なんて問題視されること自体が、
今の人間の悲しい部分じゃないのかいな?なんて思うことが多いです。
人が自分が空っぽになるまで愛せるって事が本当に少ないから
そういう風に思う人が多いだけなんじゃないんですかね?なんてね(笑)
うん、一言で言えば、それのなにが悪いねん?的な?
悔しかったら、そんな気持ちになれるくらい、人を愛してみなされや~、みたいな?
(アタシは大概、世間に挑戦的な人間です)
まあ病状的には、そこが危険な状態なのかもですが( ̄▽ ̄;)
いいんです、私はそれで。
(開き直りキタ━(゜∀゜)━!笑)
そんなこんなで、私、2年前に(も?)イロイロあって、
今は南の地におリまするが、家の中に独りでおりますと、
時間があるせいかアレコレと思ったりするものです。
【しゃむくなってくりゅとさぁ~、やっぱり日向ぼっこがいいよねぇ byふうたん】
【あったかいでちゅ……(=-ω-)zzZZ乙乙 byろまたん】
【ハムたんも一緒に日向ぼっこしますのよ(^ω^)】
時に、みなさまは、
「一生ぶんやったなぁ」
なんて思うことはありますか?
私は結構ありますのデス。
いわゆる「共依存的」(しつこい・笑)性質なせいでしょうか、
大概、一緒に生きてる人とどう幸せに過ごすのか?
どう、相手に幸せになってもらうのか?に尽きる生き方をするタイプなので、
ライフスタイルが自然とその人よりになる訳です。
オイラ、まじで自分が好きなものを食べるよりも、
その人が好きなものを食べて嬉しい方が嬉しいし、
自分が行きたい所に行くよりも、
その人が行きたい所に行ける方が嬉しいのです。
中には、そういう私に「自分のしたいことをしないなんて幸せじゃないよ」
という人もいますがううん、それが幸せなのよー、だってそれがしたいんだもん。
そんな感じですね(笑)
そんなの嫌だ、ウザイ、重い、という人もいるのでしょうけれども、
それが、自分の幸せで一番楽しいわけだから、仕方ないのです(^_^;)
無理してるわけでもないし、楽しくてやってるんだし。
逆にそれを否定されたら、それこそ、自分を消さなきゃいけなくなります。
まあ何より、それを良しとしてくれる人が隣にいるわけなので
相互でそれが「メリットなわけですからして、一体なんの問題が?
と、なるわけでーーー(ーー゛)
あ、脱線した(⌒-⌒; )
いや、もちろんね。人様にしてもらうことももちろん嬉しいのですよ。
してもらうことは、するより全然好きではないのは本当ですが…( ̄▽ ̄;)
それでも、やっぱり嬉しいものです(^ω^)
【ピロシキとスパイスコーヒー。最高の組み合わせです!ヽ(*´∀`)ノ】
先日も実家のシェアメイトさんがお休みで、お食事作ってもてなしてくれました。
私の好きなパン(ピロシキ)とクラムチャウダー。
こう言うひと様の愛情には、もちろん常に深く感謝しています(´∀`)
【ひなたぼっこだいしゅき~ by南国チワワンず】
ということで~
その人と居るからこその出来事が多く起きやすいタイプでしてね。
過去を振り返ると、必然的に自分一人でいたら絶対にやらないだろうな、
っていうようなことを、たーくさんさせてもらったな、と思うのです。
私は基本的に、自分の好きな事、というのがガッツリと決まってる人間です。
ぶっちゃけて言えば、一人で生きるのであれば、それだけあればいいのです。
それ以外は必要なし。マジで?って言われるけどマヂです(`・ω・´)
だから、一人で生きてる時は特にですが、自分の身の周りには、
自分の好きなもの、大切なものしかなかったですね。
だって、好きなことは、全くよそ見しなくてイイくらい好きだから。
だから、テレビとか、娯楽とか、全くいらなかったのです。
その時間に自分の好きなことやりたいから、一分でも惜しかった。
だから単純に好きなことの為に働いて、その為にご飯食べて、その為に生きていました。
好きなことの為に生きない人生って、生きてるっていうのか?的な感覚でしたね~。
そのくらい、好きがガッツリ決まってるってことです。
そのせいでしょうか、いろいろ周りを見渡して気づいたんですが、
私は他の人より「好き」を自分で精査することに長けている気はしますのデス。
そりゃあ、世の中には天が二物も三物をも与えた方もおられますんですが
大抵の方は、良いも悪いも得手も不得手も同時に持っていますので、
「アタシこれが好き!」っつっても、それが全部できるわけじゃゴザイマセンよね。
私も全くもって類にもれずでゴザイマス(⌒-⌒; )
そうなんですけれども、どうやら私は、その「好き」の中から、
自分に確実に出来ることは何かを探すのが人様より上手いんでしょうね。
後は、自分にどうやったらそれが出来るようになるか、その方法を探すのも得意。
ついでにそれをやる事が楽しいと思えるこの性格が幸いしています。
まあ、究極のMと親友をして言わせる人間ですから、
逆境にたてばたつほど、燃えるし、頑張れるのも確かかも。
そういうものを見つけて、まっすぐ突き進むので、
あんまり失敗することもないのが大きいのかもしれないです。
【ここが(*´∀`*)アッタカーイ byまろ】
ここまで読むと、結局は自分の本当にやりたいことを我慢して、
自分の出来ることだけ選んでるってことでしょ?
と、捉える方もいらしゃるかもしれませんが、それは違います。
これは、全然、やりたいことを諦めてるとかじゃないですよ。
なんてったって、前提が「自分が好きなこと・やりたいこと」ですから。
好きだけど、できないものを諦めるのではなく、
好きだから、如何にして自分の目標を叶えるのか?の探求そのものです。
だから、生活の中に、自分の大事なもの以外のものが少ないのだと思います。
そんなですから、外の風が自分に吹き込むと言うことは、
多分において、自分以外の存在のそばにある時が多くなります。
その風の吹き込み口は相方さんだったり、心友や仲間たちだったり
仕事先や生きる先々で出会う人々の存在です。
私は基本的に自分の許容できるものは、ほとんど否定しません。
許容できない…と思うものはお相手してくださる方々にも
大変に失礼になるので最初から手を付けませんタイプです。
そんな中でも、やはり隣に生きる人とは調和する事が何よりも大切ですし、
大切な人の、大切なものは、やはり自分の大切にしたい、
というのが、ワタクシの切なる心情でゴザイマスんですよ。
私の隣や周りにいる方々は、とっても自分のある人たちです。
なので、好き嫌いがとってもはっきりしているので、
一緒にいると、その人の世界観をものすごく身近に感じられます。
信念、生き方、食、趣味、どれもシッカリした世界があります。
そう言う人は、誰かと居るからといって、そういうものを消したりしませんし、
共有できるものはしてくれるし、自分が好きだからといって他人に強要もしませんし。
本当の世界観のある人は、その世界を大切にしますから、
他人との距離感も良く良くわかってるのだと思います。
なのでそういう方に「一緒にどう?」って言ってもらえる大抵のことは、
一緒にやらせてもらったり、食べさせてもらったり、経験させてもらいます。
私は基本、必要な物以外はいらないな、と判断する人ですし、
家庭が金銭的に厳しかったので、ほかの方が普通してきた事を
やりたいとも思わなかったり、状況的にやってなかったりします。
カラダ的な問題や、金銭的な問題で遠足とか修学旅行とか殆どいけませんでしたし。
なので、もう結構長きを生きてきてますが、知らない事がいっぱいでゴザイマス。
【ぬくぬくだよ byピピ&ろま】
先日、ネガティヴモデルと言われてらっしゃる栗原類さんのトークを聞いていましたら
若き日の私、現在の私と同じような感覚の持ち主でいらっしゃいました。
ゴーイングマイウェイつーか、人から見たら「強引にマイウェイ」なのか?(⌒-⌒; )
まあ、アタクシ、見た目からは驚かれるほど、人当たりは良いらしく
実際、知らない人とも、絡むのは3秒あればOKな人なんでございますが、
実はこれは表向きな性格というんでございましょうか、
確かに自分でもあるんですが、本当は人と絡むのが非常に苦手です。
うん、人見知り、そういう事かもしれないですね。
まず人と話すのが苦手。会うのも苦手だし。
相手に心許すまでには、相当な時間がかかります。
信じるところから始めていくんで、そこまでに到達するのがね。
一緒に行動できるのは家族かパートナーか心友か本当に親しい仲間のみなんです。
ですから、ソウルメイトを天国に送って、三十代半ば過ぎて、北海道に行くまで、
私、友人の車に乗ったことすらございませんでしたし、
ドライブも、旅行もしたことありませんでした。
自分の仕事が生きがいだし、趣味でも遊びでもあるので、
それに関係することをすることがとても大事で、それに時間を使いたいから
友人とどこか行こうと思ったこともないし、
仕事を辞めて、どこか遊びに行きたいと思ったこともないのです。
仕事で全国公演とかしてますと、どうしたってみんなと一緒になりますが
大概、一人で座って、移動中は本を読んだり、手仕事をしたりしていましたし、
飲めないので飲みにもいかないし、一人で別路で移動することもありました。
(でも、カンパニーのみんなとは仲いいんですけどね^^)
だからといって、敢えて一人で喫茶店や食事に行くこともしません。
どこか、一人で出かけるという事もまずありません。
どっちかって言えば、家にこもって好きな事をしていたいのです。
完全にインドア派な人ですね。
そんな人ですから、パートナーの見せてくれる世界は驚く程に新鮮な世界です。
そして、基本、その人の流れに乗るという形が幸せになるので
その人の好きなものが生活の大半を占めてきます。
食べ物とか特にそうだったりするものですね。
相手がこの世から居なくなりますとね、つくづく感じるものなのです。
ああ、あれを食べたかったのは、あの人が食べたかったからなんだなぁ、って。
もともと、そういう欲求が薄いから余計なのかもしれません。
私はいろんなものを知ることや追求する事、分析する事がものすごく好きなんですが、
だからといって、自分の為にそれをする、という人では無いようです。
そう言う感覚で、これまでの人生がありましたので、
隣にいた人が不意に消えてしまったりしますとね、
この先、もうやらないだろうなぁ、って事が多いんですよ。
そんな事が2回もあったので、ものすごく多いですね。
もうやらない、っていうよりも「一生分やったなー」って思うことが多いですね。
18で東京に出てからも、それまでに増して波乱万丈な人生でしたが
とにかく、俳優になったので、それまでに全く経験したことがなかった、
旅と引越しのとにかく多い人生になりました。
相方さんとは毎週と言っていいほど車で自然の中に出かけました。
生活の中ではお芝居と二人のあいだのぴーちゃん存在がとても大きかったですね。
それを真ん中に据えた生活でした。
実は相方さんとまだハッキリと未来を決めていなかった頃、
私は人生の基本生活を「祈りの生活にしたい」と考えていました。
将来の選択の中で、出家とか修道院に入るとか、
もしくはどこかで自然と共に暮らすとかいろいろあって、
俗世を捨てるという様な道を真剣に考えていたのです(⌒-⌒; )
実際に信者でない私を受け入れてくださるという修道院もありました。
でもですね、親しくしていただいたおばあちゃんシスターのお友達がですね、
「あなたはもう一度、現世で頑張って見られた方がいい」
と、いろんな方面から考えてみての未来を
真剣に相談に乗ってくださって言ってくださってですね。
いろいろ考えました。簡単な選択ではなかったので。
実家のようなバックグラウンドがあり、それに沿った過去もあれば、
自分のことだけではない、超えていかねばならないものもあります。
そういう自分には、人といるってのは、そう言う事を真剣に考えねばなりません。
単に自分たちのことではないからです。
人と歩むということは、本当に覚悟が必要なことですから。
それから葛藤の末、相方さんとの人生に踏み出す決心をしたのです。
ですから、道の途中の選択というよりは、永遠の選択と思って選んだし、
永遠であるからには精一杯のチカラで生きなくてはと思い過ごしました。
そんな気持ちで暮らしていたので、一つ一つが大切な日々でした。
出来事の一つ一つが大切な時間でした。
多分ですが、このままでいけば、よっぽどのことがない限りは
今まであったようなことは、もうあまり経験しないと思います。
実際に今も本当に完全引きこもりといっていいほど人には合わないし。
(マヂで実家の家族と、買い物先ですれ違う人と、役所の人と医者だけ^_^;)
多分、独りでは、どうしても行かなければならない時だけしか
行ける範囲のお店にしかいかないだろうし(徒歩五分以内)
電車もバスも乗れないし、知らない人の人のいる乗り物に乗りたくもないし
父か本当に親しい友人の車にしか同乗できないから、
父の年齢では、もう長距離ドライブもしないだろうし、
うちは私を始め、誰も免許を持ってないし、運転向いてないし、
他に男手もないから、あと数年で車にも乗らなくなるんじゃないかな、と思う。
一人だと、食事もチビ達の分だけ気にしていればいいし、
あまり、食に強い欲求がないので、なになにを食べてみたい、
とかって気持ちにもならないだろうなぁ、と思う。
目の前にあるものを、おいしく食べようとは思うと思うけど(^-^)
第一、相方さんといるときに、いろんなものを一生分食べたな、とも思う。
一人だったら、きっとそういうものは食べてない。
だから全然、そういうものに未練がない。
家族がいれば、誘ってくれるし、行きたがったりもするので
一緒にファミレスとか、ショッピングモールとかイベントにも行くことはある。
だけど実際、実家の事情で家族全員と合わなくなってから2ヶ月、
私は外食にも全く出かけていないし、何か出前を取ることもない。
週に一度くらいのペースで買出しに連れて行ってもらって終わり。
でも、何も困らないし、嫌だな、おかしくなっちゃいそうとかも思わない。
淋しいからって誰かと特別会いたいとも思わないから出かけていくこともないだろうな。
でも、そう言った事は無ければないで、それでいいと本気で思える。
いろんな事を一生分堪能したな、やり尽くしたのだな、と思うのだよね。
もともと私は家の中にいることが、なによりの幸せなので
家の中で、好きなことできたら、ほんと、それで良かったり。
今までだって、アタシが外で何かをすると言うのは、
自分のチカラが誰かの役に立てると思うからだし。
そう言う意味では、人様の役に立てることならば
外で何かお手伝いすることもあるかもわからないけれど。
それでもこれまでは、仕事が仕事だし、生きていかねばならないし、
後半には人の後ろで支える役目でもあったから、必死に頑張ってました。
傷ついても、ボロボロになっても、周りに守るものがあったから。
そう思うにはまだ早いだろ、と言われるとは思うのだけど( ̄▽ ̄;)
今は自分でも、既にやりたいことは「人生一生分」やったのではないか、
と素直に感じたりするのです。
周りにも度々「10年で人の50年分」「濃い人生」とか言われるけど
確かに、何事も精一杯やってたからかもしれないけど。
おかげで、その人なしには成し得ない世界ということにかけては、
やりきった感が強くて後悔がないからかもしれないです。
しかも、今は少し、人と関わって暮らしていく生活に疲れてしまったので、
人と関わる気力がね、全然起きてこないのですわね…(⌒-⌒; )
それで、こんな感じになっちゃってるわけなんですが…。
こういう状態はきっと世間的にはまずいんだろうな~とは思うんですよ。
だから、いろいろ考えるし、なんとかしなきゃと思うのだし。
でも正直、何がまずいのか、自分にはよくわかんないと言うのが本音かもしれない。
多分だけど、今までしてきた仕事以外でしたかった事というのが
「今のような暮らし」であって、究極、仕事と生活のその先に
自分たちが目標としておいていたのが、こう言う生き方だったので
今はそういう道を思ったよりも早く歩んでいると言った所なのかもしれない。
なんというのかな、一生分、自分には思いがけないことをさせてもらった、と思う。
とても楽しかったし、有意義だったなとココロから思う。
そして、多分、もうきっとないな、と思う。
あれらは、彼らとともにいたからこそ、在ったものなのだと思う。
今は満ち足りた後の、また満ちていく時間。
ゆっくりと時を過ごしていく時間に入った気がする。
多分、人よりも全速力で走った時間が早く、そして長かった分、そうなのかもしれない。
でも、いま現在の年齢が非常に微妙な年齢だけに、
この生き方はまだ早いと言われてしまうのだよね(⌒-⌒; )
あと10年遅かったら、多分、こうは言われてなかったろうなって思うのだけど。
確かに、これからなんとか、一人で生きてゆかねばならない。
それらが今はちょっと苦しかったりする。
【ろまたんは自分でフードをかぶってアザラシになります。今日は茶色アザラシ(笑)】
病院の先生は、会うたびに「何も残ってませんか?」というのだが
本当に具体的に「これ」というやりたいことは「無い」のよね。
本当に今は会える人にしか会えないと思うし、
誰ともふれあいたいと思わないのだもの、仕方ない。
そう言う付き合いが大切だとも思えない。
相方さんがいれば、人とも触れ合ったのかもしれないけど。
相方さんの、という訳でなく、友達とか仲間とか
いろんな意味での別れには、もうちょっと出会いたくない。
もうそれも一生分体験した気がする。
だから、思いが生まれる様な人との付き合いが今はとても嫌なんだと思う。
将来は孤独死ではなく、自然死でいいじゃないか、と思うが、
あとが大変なので、そこだけは迷惑かけないようなシステムを
自分で抑えておかねばならないのだろうな、とは思うけどね。
希望的なものがあるとしたら、未来に予定していたような、
自然と向き合い、自分のできる事をしながら生きていく
という様な生き方なんだろうな、とは思う。
事実、そう思ってるから、悔いのない毎日なんだろうと思うし。
私の目標とする生き方は日々を丁寧に重ねていくことが全てだから、
特にこれをしなくちゃというのはない。
まあ、今はその入口的な感じだろうか?
社会に後ろ向きであることは確かなのかもしれない。
否定的なわけでなく、そばに居たくないだけなのだが。
だってねぇ、相方さんが天国に行ったから、とはいえ、
住んでる場所が変わったから、友達と遠く離れてしまったから、とはいえ
あたしの中の「好き」はまったくもって変わらないし、
そこに向かう意識も信念も何ら変わることは無いし。
ただ、歩み方が、予定していたものと違うだけで。
誰かに会いたくないのも、単純に人に会いたくない、ってそれだけの理由。
ぜんぜん、全くもって、相手が嫌いだとかではない。
多分、大好きな人に対して、私はどこにいても、
愛情も友情も、これっぽっちも変わらない人間だと思う。
10年前に亡くなったソウルメイトの鎧くんが、よく言ってくれたことだが、
「福ちゃんは相手が思うより、強く強くその人を愛して思ってる。
だけど、ほとんどの人はそれを知らない。それが本当に切なく思う時がある」
(ガイちゃんはマッチョでアクションミュージカル俳優だったけど
童謡で涙する人ような繊細な男でしたゆえのう。
あ、それは「ざわわ」で泣く相方さんも同じか・笑)
私はこれを「褒め言葉」と受け取ってます。
一度、決めた人への気持ちは変わりません。
ただ今はこちらから会いにいくのが本当に嫌なだけ。
会えばあったで、楽しく過ごせるのだとおもうが、
多分、そのあとに疲れてしまって熱が出ちゃったりすると思うし。
それに、なんというか、切なく、悲しくなるのだ、別れたあとに。
だから今は親しい人にも、こちらから会いにいく気もしない。
私には何もかも、ただそれだけのことなんだよなぁ。
多分、いま、お金でも降ってきて、すべてが自由になるならば、
私は家族と住むこともなく、独りで生きていくというのならば、
多分、もっともっと人と触れ合うことのない田舎に行くだろうなぁ。
周りを家に囲まれていない、庭のできるだけ広い、緑の見える家を借りて
チビ達を自由に駆け回らせて、その隣でボケっとして過すのだろうな。
仕事は、そうねぇ、何か家でできる事を考えるかな。
多分、これ以上、外では無理でしょうな。
おうちで店でも始めない限りはね。
そうなれば、またガッツリ動いて働くとは思うけどね。
まあ、基本は「家」だね(笑)
正直な話、今は近所の人と顔を合わせるのが苦痛。嫌いなわけでなく嫌なだけ。
コンビニに行くのに、人とすれ違うのすら、嫌だし、変な緊張がある。
そのくらい、今は一人でいたいと思う。
まあ、実際、それが実生活を脅かしているということなのだから問題なのだろうけど。
まともな社会生活を遅れてないのは確かだし、その気持ちにもならないわけだし。
ただ理由はわからないけれど、今は静かなところから、そっと世界を見ていたい感じ。
ストイックに自然とともに他者の幸せを祈る生活でも全然いいと思ったりしてます。
自分でもわからないけど、これから一体どうなっていくものなんだろねー(⌒-⌒; )
10年先はどうなっているだろうか?
多分、私のことだから10年後も人生を振り返りながら
「一生分やったなぁ」と思うような気がしていますが(笑)
まあ、蓋は開けてみんとわからんわね
またここまで書くのに5日もかかりました。
まあ、これからは、そんなペースで行くってことは確かだな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます