KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

左手

2014-06-14 | KOFUKU日記



〈ちびたちは愛の存在そのもの価値を教えてくれます〉


5月の10日くらいだったでしょうか。
一年に何度かある坐骨神経痛のような強い痛みに襲われ、
それは数日でなんとか痛みは和らいできたものの、
その痛みが右の背中と腕に移行して5月22日動けなくなりました…。

私は周りならず、医者も驚く程、痛みに強いのです。
なんせ骨折した時ですら、その足で立ち上がって歩いて帰ろうとした人だから。
その私が?と思うほどの激痛でした。
それでも2日間は家にある痛み止めを飲んでみたり、
薬局で強い薬を買って飲んでみたりしたけれど、一向に効かないのです。
その内、どんどん、どんどんひどくなってきて…。
痛みで救急車呼ぶか考えたのは本当に初めてでした(^_^;)

あまりのことに病院に駆け込ませていただいて調べたところ、
もともと良くない頚椎と腰椎の神経根症による神経疼痛が原因ではないかと。
そこから治療が始まりましたが、やはり薬が効かない。
そこで心因性の痛みもあるかもしれないとメンクリでも診療を受け、
お薬を両面から出してもらって、さらに治療。
この薬嫌いの私がたくさんの薬を飲むという事態に(;^ω^)
さすがに起き上がることもできないほどだと、家事も難しく…。
本気で寝たきりになるかもしれないと考えるほどでした。




〈澄んだ瞳で生きたい〉



そこから一週間、痛みに慣れてきたのと、痛みにムラがで初めて、
痛みが和らぐ瞬間を捉えて動けるようになりました。
今は当初の痛みも引いてきて、時々、瞬間的に強い痛みがぶり返すものの
なんとか日常の生活もできるには出来るというところまできました。

そんなこんなでやっと痛みからの解放にやっとホッとしたのですが、
痛かったところが今度は強いしびれに変わってしまいました。
特に肘から下の腕と手のひらのしびれが尋常じゃなく、
常に足のしびれが切れているようなジーンとしびれて痛いのです。
モノを握り離すと痺れと痛みが一層ひどくなって固まってしまいます。
当然、ものがギュッと握れないし、長時間作業ができません。

なかなか効果の出ない薬、しびれの薬も増え、治療も増え、
知らない人にはできるだけ接触したくない私には整形外科の治療はかなりの負担。
先生が仰るには、神経痛は長くかかるんだそうな…。
しかも悪化はするかもしれないが、治らないそうで…。
今の状況を軽くして、維持することが大事ですー、みたいな。
しかも私の場合、骨格自体に問題があって、普通に生活していても
ほかの人には比べ物にならない負担が体にかかるそうで…。
マッサージの先生曰く、
「(凝りすぎていて)異常です。こんな人めったにいない。一体仕事はなんですか?」
………(ーー;)は、俳優デス……
どうもね、若き日の無理がね、蓄積されていたのが、出てきているらしい。


それにしたって…、
引きこもりの今、僅かに庭仕事や家仕事とかしながら、
対外的には頭と手を使う仕事しかできず、
手しごとが主に日々の救いや人の手助けの手段だった私には
どんどん、どんどん、できなくなっていくことが増えてきて…。
死ぬまでこのままだったらどうしようかなぁと、ため息の日々。
モチベーションも気持ちもどんどん下がっていく。

そんな時に限って、悪いことは重なったりする。
甥っ子もヘルニアで入院の方向、父も神経痛がひどくなってきた…。
しばらく前から抱えている心配事もまだ解決してない。
せめて家の中や生活圏内だけでも穏やかに守られたいしリラックスを…
と思ったが、一番身近なところだというのに、
この状況を知りながらも思いやってもらえるわけでもなく、
逆に自分の中に残っていたり、必死に生み出した明るいものを
奪われるような現象に出くわしては落ち込む日々。
それでも、心身共に本気で病んでいる私の方が、
そうする相手にアレコレ気を遣わねばならない状況にあり…。

それが正直一番しんどかったりする。
だけど、それも相手の気持ちもあることだから仕方ないと思った。
きっと辛くて周りすら見えないのだろうから。
他の人にそうして、その人が嫌われたりするくらいなら
私にそうしてもらったほうがいいなって、思うから。




〈人生雨の日もあるけど…〉


そんなんで、さらに鬱々としたブルーな日々だったのだけど、
ありがたいことに私は人前で疲れたりすることなんてできないタイプ。
なんせ変に落ち込んだり、痛がったりして、そのオーラをガンガン出してる方が疲れる。
とはいえ今回は結構それでもだらだらしてたけども。
でもそんな風だから痛いときも出来る限り、やることはやった。
そういう性分でつくづく良かったよなーって今は思ってる。

そしてラッキーなことに私の周りには小さいイノチ達がいてくれる。
彼らは私に起きてるそんな痛みなんてことにはまったくお構いなしに
「抱っこして~」「なでて~」「遊んで~」とやってくる。

自分がどんな状態であれ、この子達は守ってやらねばならない。
自分がいる限りは世話をして、ご飯を食べさせねばならない。
もし私が倒れたら、家ネコ見たいに外でも生きられるニャンコさんと違って、
愛玩犬のこの子達は外では生きられない様に出来ている。
私がいなくなるということはシを意味する。

それだけは避けないと!そう思うとなんとか力が湧いてくるから不思議だ。
心から愛する存在って、本当に尊いんだなって思う。
たとえ自分が苦しみや悲しみの極限に居ても、
本当に愛を守る為なら、人は自分の限界すら超えるのだから。
おかげで私はどんな苦しい時にも自分の正気を保って生きてこられたんだろうな、って思う。

そうしみじみ思って、気づいた。
そうなんだ、私はいつも本気で愛してるヒト・コト・モノがあったんだな、って。
それがあったから、どんな辛い時もがんばれたし、生きてこれたんだな、って。
それって、なんて恵まれてて、有難いことなんだろう、って。
心から思った。





そう思いながら自分を振り返ってみる。
私が若い頃、どんなに辛い環境でも頑張ってこれたのは家族がいたからだ。
本当に極度の貧困家庭だったから、なんとかして父母を助けてあげたかった。
外に出れば大人も子供たちもが、貧しさゆえに私を馬鹿にし、いじめた。
自分に降りかかったそのことすらが「家族にはこんな思いをさせたくない」と言う思いになった。
だから小中学生から必死にバイトしていたし、
家では父の代わりに深夜まで自営業の作業をしたし、
販売で父と行商に行く母の代わりに家事をして働いた。
お金がなくて何でもすぐ買えなかったから、制服でも服でも何でもモノは大切にした。
自分のものは何一つ買えなかったし、買わなかった。
ちっとも苦にはならなかったし、それらを人が言うように不幸とも思わなかった。
そんな自分に起きているコトより、家族の方がずっと大切で愛していたから。


貧しくて、小銭を貯めてやっと見られる舞台。
たった一回しか見られない舞台だから、それは真剣に見つめた。
大人になって、演劇を目指した時も、そういう意識が自分を支えた。
他の人みたいにレッスンに通えないから、劇団での時間を惜しむようにして過ごせた。
何でも簡単にあるわけじゃないんだと思って大事にできた。
どんなに馬鹿にされても平気だった。
お芝居が出来るだけで良かった。それが本当に大切だった。命だった。
これがあるから生きているのだ、そのために生きていると思って、
芝居というものを、その世界を、心底愛してた。それは今も同じ。


母が博愛の人で、まず人を思いやる人だった。
それを尊敬していたから、どんなにひどいことをされても人を恨まずに済んだ。
人が環境や感情で良くも悪くもなることを体感してきたから
その人たちに気持ちを向けて共感しながら見つめることができたし、
人に対して、自分がされたようなことは人様には決してするまいと思えた。
母が人の悪口を決して口にせず、どんな辛い時も笑顔を絶やさず、
自分の感情で人を嫌な思いにさせることのない人だったから、
自分の気持ちで人を嫌な思いにさせることはできるだけするまいと、
私も母のようになりたいと、いまも努力することができている。
今でもまだまだきっと足りないんだけど、それでも母がいてくれたおかげで、
色んなことを自分から気づくことが大事なんだと思えるようになったのだと思う。


周りの人によってとても嫌な思いをしたからこそ、
人が優しくしてくれることは当たり前じゃない、と思える。
自分が嫌な思いをしたからこそ、人にはするまい、と思える。
でも、それら嫌な思いも、その人と出会わねばそうは思わなかった、
と思うと、どんな人にも大きな感謝が湧き上がる。
そんな人という物が、自分を愛してくれる、好いてくれるというのは凄いこと。
そして、そんな風に死んでもいいくらい好きになれる人たちがいるってなんて幸せ。
さらに言えば、そこまでじゃなくったって、周りにいる人の存在は大きい。
すれ違う人でさえ。色んなことを私に教えてくれる。それはもう奇跡だ。
そんな人たちをやっぱり愛さずにいられないじゃないか。
できたら、すべての人に自分の持ってるものを分け与えて感謝を表したい、って思う。




〈無垢なる魂に教えられる日々〉



ほら、考えれば考えるほど、私は愛するヒトコトモノにこんなにも囲まれている。
凄いな、なんてすごいことなんだろうか?
全ては本気の愛のなせる業。
私はそれで生きてこられてる。
愛って、本当にすごい魔法だなって思う。

だって周りを見ていると、私はホント最近までそれは当たり前と思ってたけど、
普通は本気で愛せるものがある人って本当に少ないらしい。
そういうものがないから、自分に降りかかるものの大変さに負けてしまう。
それに打ち勝てるだけの愛する守りたいものがないから頑張れない、ってことなのかもしれない。
それに比べたら、私はなんて恵まれていることだろう。


そんなことを思っては自分を奮い立たす。
だけど降りかかる現実。いや、でも!
…ここのところはそれの繰り返し。
人間らしいといえば、そうなのだけどね。

今日は通院日で、そんな複雑な思いを抱えてメンタルクリニックへ。
カウンセリングもだが、しびれる手を見てもらったりして、
先生と会話していたら、この先、万一右手が使えなくなったら…
と、かなり不安がる私を見ながら先生がおっしゃった。

「左手も使えるようになったらいいわね」

!!!( ゜д゜)ハッ!

目からウロコ、とはこのこと。
そうだよ、左手使えばいいんじゃん!
まだ左手、あるじゃない!
本気でそう思った。

今みたいに痛みが引いているときはまだいいが、
本当に痺れと痛みがひどいときはPCも全く打てない。
このひと月近く、右手首にタコができた。
腕を持ち上げることができないから、
PCに手首を引っ掛けて打ち込みをしていたら、すれてタコになった。
そんな状態なので、当然、ほかのことも同じように上手くできない。

でも、先生の言うとおりだ。
代わりに左手で作業(出来るように)すればいい。
気づかなかった~。
と言うことで、いま、左手の訓練絶賛実地中です~(^-^)
pcも左手だけで打ち込んだりしてます。

これ、先生に言われた時もつくづく思ったのだけれど、
こういう「気づき」って本当に与えられてるんだよなぁ、って。
自分が気づけるかどうかってことはあると思うけど、
本当に毎日こうやって与えられてるだなって。
本来はすべての人の言葉や相対する世界にあるものは、きっと全部そうなんだと思う。

なんて、なんて、広くて深い愛の海の中にいるんだろうね。
そうしみじみ思う。






〈自然も気づかなかった色んなことを教えてくれる〉




ココロやカラダがしんどい時、人っていつもよりもっと自分勝手になる。
それに囚われたらなかなか気づけないものかもしれない。
それがイイかワルイかって言ったら分からないし、
そんな時があって悪いとは思わない。

だけど。
それでもやっぱり。
悲しみとか苦しみって本来は個人的なものだから。
それで近しい人を、自分の大事な世界にいる人を苦しめるのはどうだかなって思う。
私は自分のためにも周りの人のためにもできるだけ踏ん張りたい。
やっぱり一つ一つのことを丁寧に考えたとき、
今まで生きてきて、やってきたことはこれで良かったんだって思った。

私は自分自身の悲しみや辛さに取り込まれて、
自分だけならず人にまで嫌な思いをさせるのだけはやっぱり嫌だ。
自分に起きていることを、世界や誰かのせいにするのもイヤだ。

それは自分が世界を愛してないって証明しているようなもの。
自分を取り巻くヒトコトモノを軽んじてるって教えているようなもの。
実際、そう出来てるってことは、そうなんだって思う。
だって本当に愛しているモノなら、自分が弱いと知っていたって、
悲しませることなんて決してしない、なんとか愛する相手を守ろうとする。
やっぱりそう出来るのは、自分自身のみを感じているからなんだなって思う。
私はそうはなりたくない。

そんなことをするくらいなら、もっと愛そう。
確かに愛しているものを自分の中に増やしていこう。
自分の持ってるすべてを。取り巻くすべてを、もっともっと確かなものにしたい。
そうすれば、今みたいな私だって、きっともっと頑張れるから。
だって、それこそが巡り巡って自分自身を守ってくれる。
そして愛を確かに生きることだしね。



 
〈イノチかけて守りたいもの〉



私が左手の存在に気付けなかったように近しい幸せや愛は見落としがち。
当たり前になって、感謝すら出来ず、軽んじがちになる。
でも実はそれってものすごく価値ある大きいもの。
それを忘れずにいたい。

そして、母のように自分より人の幸せを大事にできる人であろう。
父のように、自分の体が痛みでしんどくても、
自分がそうだから周りも…と自分の痛みを押してでも手助けしてあげられる、
そんな人でいたいなぁって心から思います。
(じいちゃん、いつもありがとう)




〈今日も自分がしんどいのに、私を送ってくれました〉


やっぱり、この世にある全てのヒトモノコトは本当に感謝すべきモノで間違いないな。
たとえ自分から見てマイナスなオーラを纏うものであっても、
それが本当にマイナスであるかなんて本当は分らない。
マイナスの中から与えられるものはとてつもなく多い。




〈全てに感謝〉


本当に私に与えられた全てに感謝します。
ありがとうございます<(_ _)> 


追伸:特に体が大変な時、親友や仲間たちのメールに励まされました。
一人だと、こういう時、本当に心細いし、
真剣にこのまま死んじゃうのかなと落ち込んだりします。
でもそういう言葉って本当に助けてくれるんです。
たくさんの愛をの言葉をありがとう<(_ _)> 
薬よりよっぽど効きました(*^_^*)

それから、やっと動けるようになって買い物に行けて
以前から陣中見舞いをしたいと思ってた仲間に贈り物できて嬉しかった~。
本当に体動かせるってありがたいなって思いましたし、
そうやってさせてもらえることで7、とっても気持ちが晴れました。

家でも洗い物を代わりにしてくれる人がいたり、
自分もしんどいのに送迎してくれたり、ホント感謝いたします。

ほんとうに皆様ありがとうございます<(_ _)> 


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