太平洋戦争についての NHKの 「証言記録 日本人の戦争 - 太平洋 絶望の戦争」 を見た。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111204.html
以前から南太平洋での戦争は悲惨極まりなく、飢えで何万人もの兵隊が亡くなったと本で読んでいたが、
例えば、大岡昇平の「野火」なんかだけど、http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6354/sakka/OHOKASYOHEI/NOBI.htm
飢えの極限状態で人肉を食べたとかあって、地獄だなあと思ったものだが、
今回のこの番組では、その事を何人もの人が証言していた。 もう、80歳を超えているので言い残す必要があると思われたのだと
思う。 特にニューギニアの戦場での話が中心だったが、20万人の兵隊のうち、生き残ったのは、2万人だけ。
ニューギニアは、食糧になるようなものが鬱蒼としたジャングルになく悲惨だったようだ。 そして、大本営が、
アメリカ軍の侵攻で援軍も補給もできなくなった中、飢えに苦しみ人肉を食べた兵隊がいた為に、連隊会報で
「人肉を食する者は厳罰に処す。 敵国人は除く」というのがあったと言う。 それで、一人で歩くのは禁止になった。 一人だと
銃で撃たれて食べられちゃうかもしれない!!という訳で、敵国人なら食べてもいい??
餓死した人やウジにまみれた人がゴロゴロしていたという事だ。 ある兵隊は、塩を缶一杯持っていたために
2人の兵隊に殺されたと憲兵だった人が証言していた。 地獄だね。
ニューブリテン島で負傷兵を置き去りにするよう命じられた元日本兵の人が、泣いていた。
ニューギニアだけではない、フィリッピン・レイテ島でも、ガダルカナルでも、そうだった。 この現実を忘れてはいけないと
思う。 戦闘で亡くなった人より、病や飢えで亡くなった人の方が多かったという現実。
沖縄では、10代の少年が青年義勇兵として戦車に爆雷を持って特攻をしている。 少女も砲弾を運んで
戦闘に参加。 最後の突撃では兵隊と一緒に10代の少女達が涙もみせずに出撃して、一人も帰ってこなかったと
妹が幼かった為に残された女性が語っていた。 集団自決では、当時18歳の少年だった証言者が 手を合わせる
母を撃ち、妹が手を合わせた時に、「お兄ちゃん、水が飲みたい」と言ったと言う。 それで、水を飲んだ後、
「お兄ちゃん、水がおいしい。 これでお母ちゃんのところに行ける」と言って手を合わせたとと涙ぐむ。
壕の中で赤ん坊の弟が泣いたために、兵隊に殺せと言われ、母がわが子を圧死させたと証言。
その母は戦後、亡くなる前、亡くなった弟の名前を叫んでいたと言う。
中には、飢えで全員亡くなるよりはと、投降した部隊もあったようで、元参謀は
「割り切れない。心を鬼にして耐えるべきだった」と言っている。 これは、補給を考えない無謀な戦闘で兵隊を飢え死にさせた
大本営や無能な参謀の責任を放棄している。 精神論だけで現実的な戦術に失敗した事実を正視していない。
日本人は、庶民が冷静で我慢強い。 そういう事にあぐらをかいて、庶民を苦しめる傾向があるのは
今も同じ。 こういう事を忘れてはいけない。
戦争の悲惨さと沖縄の犠牲の元に今の平和があり、沖縄は戦争中も戦後も苦しんできた事を
日本人と日本政府は、忘れてはいけないと改めて思う。
それが、無謀な戦争で亡くなった多くの日本人の願いでもあると思う。