年内にもM7超えの地震が!巨大地震がおそう危ない地域
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28571
11月8日~22日の2週間、ほぼ毎日のように起きている。特に20日には茨城県日立市で震度5強、翌21日には広島県三次市で震度5弱と、2日連続で大きな地震が発生した。頻発する地震について、防災評論家の大山輝氏が分析する。
「いずれの地震も東日本大震災の余震と考えていいでしょう。震災以来、日本列島近辺のプレートはいたる所で歪みが生じ、ガタガタになっています。どこか1ヵ所(の歪み)が抜け落ちては、その隣が抜けていくということが断続的に起こっているのです。それにしても、広島という震災の震源地(宮城県沖)から遠く離れた地域にまで歪みが出ているというのは、尋常ならざる事態です」
実際、気象庁も、やがて起こるであろう巨大地震について警鐘を鳴らしていた。11月18日、同庁は「東日本大震災の震源域や周辺でM7以上の余震が今後1ヵ月間(~12月14日)に15・1%の確率で起きる」との分析結果を地震予知連絡会に報告したのだ。15・1%という数字は震災前と比べると7倍の高さである。
地震学の権威で東北大学大学院教授の長谷川昭氏が説明する。
「巨大地震の後に発生する余震というのは、ある程度、計算に基づき予測できるのです。『大森公式』という経験則に沿って、数値(本震の規模や発生パターン)を当てはめて計算するのですが、それにより、ある期間中に一定水準以上のマグニチュードの余震が起きる可能性がどれぐらいあるのかを導くことができます」
気象庁は「被災地では引き続き、大きな余震に注意が必要だ」とアナウンスしているが、危険なのは宮城県沖だけではない。目下、地震学の専門家たちの間で「近いうちに巨大地震がくる」と注目が集まっている地域があるのだ。これまでもたびたび指摘されているが、関東地方の太平洋側、すなわち房総沖と呼ばれる海域である。
日本列島は4つのプレートがぶつかり合い、かみ合った場所に形成されている(地図参照)。東日本が乗る北米プレートに太平洋プレートがぶつかる日本海溝付近が東日本大震災の震源域である。
「下に潜り込む太平洋プレートによって北米プレートが上に跳ね上げられたために震災は起こりました。2つのプレートの接触面は南北500km、東西200kmに及びます。その北端の岩手県沖と、南端の茨城県沖では既にM7クラスの余震が生じています。となると危ないのは、その延長線上にある地域。特に南側の房総沖はいまだエネルギーが解放されず、くすぶり続けているのです」(前出・長谷川氏)
言うまでもなく、房総沖という地域は首都・東京に近い。そのエリアでM7以上の規模の大地震が生じれば、どんな大惨事となるのだろうか。
「間違いなく東京湾には津波が押し寄せるでしょう。1703年には房総半島の南端を震源とする元禄大地震が発生していますが、この時も東京湾は津波に見舞われました。もしも東日本大震災クラスの地震が房総沖で起きれば、房総半島の南端が崩れる可能性があり、そうなればより大きな津波が東京湾に入ってきます。コンビナートなどは炎上し、そこから流れ出た重油や液化ガスは比重が軽いため火がついたまま津波に乗る。そのまま津波が河川を逆流して上流へと上っていくことも考えられます」(前出・大山氏)
「3・11」の際、市街を焼く尽くす業火に覆われた気仙沼(宮城県)の光景は、今も我々の目に焼きついている。それと同じことが今度は都内で起こるとすれば、まさに東京は地獄絵図と化す。
また、震源は海底ばかりとも限らない。地図を見れば分かるように、最近の余震の震源地は海底、内陸を問わないのだ。むしろ内陸を震源とするものが増加しつつある。東京大学地震研究所の都司嘉宣准教授はこう語る。
「過去には1896年にM8.5の明治三陸地震が三陸沖を震源として発生していますが、その2ヵ月半後に内陸部(秋田と岩手の県境)を震源とするM7.2の陸羽地震が起きています。そうした前例もあるだけに、内陸での直下型地震も可能性としては大いにあり得るのです」
地震学の研究は、他の諸科学と違って実験で検証することは極めて困難だ。地震は数百年、数千年単位で起きるために規則性を見極めるためのデータも不足しがちである。だが、近い将来、大地震が再び起こることだけは疑いようがなさそうだ。我々は、その現実から目を背けてはならないのである。
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地震列島日本は、大地震、大津波、大噴火が 150年ごとの周期的に起きていて、大地震はたてつづけに起きている。
原子炉時限爆弾/広瀬 隆 著に よると、
300年前の元禄時代
1703年 12月31日(元禄16年) 元禄大地震 M8.1 川崎から小田原までの宿場がほぼ全滅
1707年 10月28日(宝永4年) 東海地震、南海地震 M8.4 死者数万人
1707年 12月16日(宝永4年) 富士山宝永大噴火 一帯が壊滅
1779年 11月8日(安永8年) 桜島大噴火
1783年 5月9日(天明3年) 浅間山大噴火 ⇒ 天明の大飢饉
1792年 5月21日(寛政4年) 雲仙普賢岳大噴火 死者1万5000人
150年前の安政時代
1847年 5月8日 善光寺地震 死者 行方不明 1万人
1853年 小田原地震
1854年 7月9日 伊賀上野地震 近畿地方に大被害
1854年 12月23日 安政東海大地震 死者 行方不明 1万人
1854年 12月24日 安政南海大地震 死者 行方不明 3万人
1855年 11月11日 安政江戸大地震 死者 行方不明 1万1000人
1858年 4月9日 越中・飛騨大地震 飛騨で圧死 数千人
150年ごとに これだけ、たて続けに 大地震(大津波を伴う) 大噴火にあっている日本。
東日本大震災だけで、終わるようには思えない。 安政時代並みの地震があると、原発数か所が
大被害を受けて福島原発みたいな事になりかねない。 安政時代の被害地は広大な
地域になっていて 今の日本の経済の中心地を直撃している訳で、そういう可能性がある事を日本人なら
頭に入れて 全てを 原発を考えなければいけなかった訳だ。 歴史を見れば日本中に54も原発を作るなど恐ろしい事を
したものだ。 どう見ても脱原発しかない。 日本を破滅させない為には。 何かあっても被害が少ないエネルギーにするべき。
150年ごとというのが「災害は、忘れた頃にやってくる」という時間軸だなあと思う。 大地震の記憶が
昔話になりかけた頃、経験者の孫やひ孫の世代になって、突然やってくる。
大地震、大津波、大噴火があり、それは、たてつづけにやってくる事を前提に全ては考えていく必要があると
歴史の事実は教えている。 原発は日本には無理という事!!