SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1903 豊橋市美術博物館 吉田天王社と神主石田家

愛知県は豊橋
054
豊橋市美術博物館
056
企画展「吉田天王社と神主石田家」
期間:2月19日(火)~3月24日(日)
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千利休書状
十月十六日付、古田左介(織部)宛。天正10年(1582)10月15日に羽柴秀吉により大徳寺で執り行われた織田信長の葬儀の翌日に出されたと考えられる手紙。第四条にはその完成と「秀様」がご覧になったかを気にかけている茶室の件が記されており、「秀様」が当時山崎に滞在していた羽柴秀吉の事であるとすれば茶室は妙喜庵に移築される前の待庵原形である可能性も考えられる。
竹茶杓 古田織部作
蟻腰、節の上下に樋がある。
筒書は武者小路千家五代文叔宗守による。近衛家熈遺愛の茶杓箪笥には織部茶杓が二本収められているが、そのひとつは文叔宗守の極めによる。文叔宗守は鑑定に優れていたようで他にも多くの道具に極書を残している。
鮎籠花入
もとは多摩川の鮎を入れた籠であったものを花入に転用したもの。
箱書きによれば、12代将軍・徳川家慶が内大臣の時に白玉椿を挿れて茶会に使用したものを旗本・諏訪頼存が拝領したという。頼存より近藤健治、さらに子で吉田天王社の神主・石田秀堅に伝わった。
石田秀堅は神主であると同時に、宗徧流の茶人で偃松軒青標を名乗った人物。今回は彼の遺した茶道具がいくつも展示されていました。

今回は利休の書状を見れれば良いかと思っていましたが、思いのほか茶道具が充実していました。

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