遺香庵に続いては国宝の石水院へ後鳥羽上皇の御学問所を賜ったものと伝えられる明恵上人時代の唯一の遺構だそう。天文十六年(1547)細川晴元の放火により、 高山寺の伽藍がほとんど失われたなかで残った。書院より石水院へ向かいます。善財童子像その上の「石水院」扁額は富岡鉄斎筆「日出先照高山之寺」勅額後鳥羽上皇から下賜された南縁からの眺め西側にある庭園紅葉が美しい書院の一室では呈茶がありました。風炉先屏風は「鳥獣戯画」 ほっこり一服して帰途につきました。