モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

啓示を受ける

2021-12-19 06:06:13 | 福音について
どうすれば啓示を受けられますか?


モルモン書を開くのは日課です。
楽しみは‟啓示を受ける”ことです。

啓示を受けられない時期がありました。
何も得られるものはなく、忍耐しかありませんでした。

それでも啓示を受けたい一心で読み続けました。
今は啓示の助けを受けて喜んでいます。


「啓示を受けている」というのは高慢でしょうか。
「啓示に頼らず、自分の力で…」と言う方が高慢に思えます。

「啓示を受けるためにどうすれば」ではなく、
「啓示を受けていることに気付いていただきたい」と思います。

モルモン書の理解、福音の理解は啓示によるものです。
祈りの答えは啓示です。
キリストを信じる証は啓示です。

啓示を受けなければ、誰も‟キリストの教会”を信じることはできません。
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心を備え

2021-12-19 05:57:41 | モルモン書
「主の御言葉を受け入れるように…心を備え」アルマ13:24


「主の教えを自分勝手に解釈していないだろうか」
よく考えます。
しょっちゅう‟誤解”を見つけるからです。

福音の理解が壁に突き当たるとき、そこには誤解があるようです。
人の理解は不完全なので誤解はやむを得ないことかもしれません。

問題は‟誤解を認めようとしない”ことにあるようです。
その信仰は主の方向を向いていないかもしれません。


バプテスマのヨハネは言いました。
「主の道を備えよ」マタイ3:3

‟主の道を備える”とは、自分の過ちを認めて主の教えを受け入れるための
‟心の備え”ではないのでしょうか。

ヨハネは言いました。
「悔い改めよ、天国は近づいた」マタイ3:2

「主の訪れは近づいた、心を備えよ」
今まさにそう呼びかけられています。
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