作文小論文講座

苦手な作文を得意に。小学生から受験生まで、文章上達のコツを項目別に解説。作文検定試験にも対応。

合格おめでとう!

2016-02-10 | コラム
 日曜個別作文教室では、3人の生徒が中学受験に挑戦していましたが、3人とも志望校に合格することができました。

 受験は、目的ではなく、通過点に過ぎません。でも、合格の知らせを受け取るのは本当にうれしいものです。

 3人とも最後の最後までよくがんばった結果だと思います。おめでとう!

 合格した人がいるということは、当然ながら不合格だった人もいるということ。

 以下、数年前のこの時期に書いた記事を再掲します。

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 先ほど、合格情報をアップしましたが、当然のことながら、合格者がいるということは、不合格だった人もいるということです。長い人生、たった一度の試験ですべてが決まってしまうわけではありません。合格した人にとっても、合格しなかった人にとっても、その結果を今後に生かしていかれるかどうかが、本当の意味での分かれ道になるような気がします。

 私は、これまでの受験経験の中で、何度か不合格の辛さを味わっているので、不合格だったときの気持ちは痛いほどわかります。そのときは、目の前につきつけられた結果だけで頭の中がいっぱいになってしまい、すぐに一歩を踏み出す気持ちにはなれないものです。でも、まだまだ先は長いのです。自分の人生が、たった一度の試験に振り回されてしまうことなど、絶対にありません。すべては自分次第です。言うまでもないことですが、試験の合否によって、自分らしい人生を歩んでいくことができなくなってしまうなどということはないのです。

 合格した人は、その合格を十分に生かせるように、不合格だった人は、その結果を大きなバネにできるように、これから前向きにがんばっていかれるかどうかが本当の試験の結果と言えるでしょう。

 失敗のない人生はありません。でも、失敗が失敗のままで終わる人生もありません。一見マイナスに見える経験こそが人を育ててくれるのだと思います。

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片言の日本語?

2015-10-21 | コラム
 先日見かけたお母さんと子供。見かけたというより、後ろから声が聞こえてきただけなのですが……。お母さんが発している言葉は、「こら」「邪魔」「どけ」「ほら」「まったく」など、細切れの単語だけ。うろうろする子供を叱っている場面なので、仕方がないのかもしれませんが、もしかしたら、家の中でもこの調子なのかなあと少し心配になりました。

 どんなときも主語述語のある理路整然とした文で話すべきとは言いませんが、日常的に、なるべく筋の通った文で話すということは必要なのではないでしょうか。

 国語力(日本語力)は、日常生活の中で培われます。国語(日本語)を駆使できる力は、その子の将来を大きく左右すると言っても過言ではないと思います。



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幸せであることを知ること--教育の目的としての幸福

2012-09-11 | コラム
 幸せになるためのいちばん簡単でいちばん確実な方法は、今の自分がすでに幸せであることを知ることだと思います。たくさんの愛情を注がれて今の自分があること、そして、自分の内にある大きな可能性などなど。ほかの誰でもない自分自身を信頼し、自分に期待すること、それが生きがいにもつながる、本当の幸せではないでしょうか。

 自分の外側に期待するとあてがはずれたときに大きな失望を味わうことになります。たとえ、一時的に欲求が満たされたとしても、その満足感が永遠に続くわけではありません。ほしか...った物がやっと手に入ったとき、そんなときは確かにうれしいけれど、そのうれしさはいつか色あせるものです。

 私たちは、一人一人が自ら光を発する太陽のような存在なのだと思います。自分で明るさやあたたかさを発信できるにもかかわらず、他人に照らしてもらうこと、あたためてもらうことばかり考えていると、いつしか自分自身の輝きを失ってしまいます。また、自分から周囲を照らすことは、自分の内にある不安や恐れを消すことにもつながります。

 自分の幸せは自分で作り出すものです。他の人や外側の世界にそれを求めていてはいつまでたっても本当の幸せをつかめません。また、先のことを思いわずらったり、他人と比較したりしていると、今ある幸せさえも逃げていってしまいます。自分を信頼し、自分に期待すること、これができていれば現実に一喜一憂することもなくなるはずです。どんなことがあっても乗り越えていかれるという覚悟を決めて進んでいくと、不思議といいことが魔法のように振りかかるものです。うそだと思ったらやってみてください。(笑)


 以下、言葉の森ホームページからの引用です。

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 教育の目的は、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献と結びついています。

 第一は、幸福に生きるための教育です。

 この前提として、幸福とは外的な環境によってもたらされるものでなく、内的な決心によって得られるものだという考える必要があります。

 もちろん、これは、自分の置かれた状況に対する変革を否定するものではありません。しかし、変革は自分の幸福のために行うのではなく、社会に対する貢献のために行うものだと区別して考える必要があるのです。

 幸福とは、いつも自然に元気で明るくいることです。単純ですが。

 これを、各人が試行錯誤の中で獲得するものだと考える人もいるでしょう。しかし、同じように、数学の公式(例えば三角形の面積の求め方など)を試行錯誤の中で獲得するべきだと考える人はいません。過去の人類の知識や経験の蓄積を生かして、その蓄積を土台にしてより進んだ試行錯誤をするというのが人間らしい試行錯誤です。

 また、幸福は主観的なものだと考える人もいるでしょう。しかし、教育における幸福とは、人間に幸福を押しつけるものではありません。幸福の理論と方法を伝え、その理論と方法を選択できるようにすることです。

 人間は、幸福が選択できる状況であっても、あえて不幸を選ぶ場合があります。芸術の場合は更に不幸の昇華がその芸術の価値になっている場合もあります。だから、大事なことは、幸福になることではなく、幸福を自由に選択できるようになることです。

 この幸福のための教育が、未来の教育のひとつの分野になります。

 現代では、幸福のような主観的な価値観に左右されるものは教育が取り上げるべきではないという考えがあります。しかし、人類の長い歴史の中で、幸福に生きることはだれにとっても大きな関心事でした。そして、その関心に応えていたものが宗教でした。

 宗教の問題点は、論証できない架空の前提も含めてすべてを丸ごと信仰することが要求されることです。教育が宗教と異なる点は、選択の自由があることです。

 幸福に生きるための教育の教材は、プラスのシミュレーションとマイナスのシミュレーションになるでしょう。小説や実話の例をもとに、いかに人間が幸福に生きたか、あるいは不幸を克服したかを追体験する練習です。

 そして、幸福に生きる方法の基本は、感謝の反復と、幸福であることを決心する勇気だと思います。

 幸福とは、弱々しい生き方ではありません。どんな場面でも幸福に生きるというたくましい生き方です。

 幸福の教育は、まだ研究途上です。これから、さまざまな理論や方法が生まれていくでしょう。そして、やがて幸福の教育が広がるにつれて、世の中は次第に明るくなり、その社会を土台にして更に進んだ幸福の教育が発展していくのだと思います。

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求めない

2012-08-30 | コラム
求めない  すると簡素な暮しになる

求めない  するといまじゅうぶんに持っていると気づく

求めない  するといま持っているものがいきいきとしてくる

求めない  それでも案外生きてゆけると知る

求めない  すると改めて人間は求めるものだと知る

求めない  すると心が静かになる

求めない  すると楽な呼吸になるよ

求めない  すると体ばかりか心もゆったりしてくる

求めない  すると心が広くなる

求めない  するとひとに気がねしなくなる

求めない  すると自分の好きなことができるようになる

求めない  すると恐怖感が消えてゆく

求めない  すると心が澄んでくる

求めない  すると悲しみが消えてゆく

求めない  すると時はゆっくり流れはじめる

求めない  すると心に平和がひろがる

「求めない」(加島祥造)より抜粋


 人が、常に求める存在であることは当然のことです。決して求めることが悪というわけではありません。求めて得ることは、人間にとって大きな喜びであることは事実です。でも、それ以上に、求めることによって、自ら不幸を作り出していることもまた事実だと思います。

 自分の内側ではなく、自分の外側に何かを求め、それが満たされないとき、人は絶望します。それは、ただ空しい絶望です。なぜなら、自分の努力ではどうにもならない絶望だからです。なぜ、そのようなことが起こるのでしょう。それは、そもそも自分の外側に何かを求めたからなのです。

 求めるのをやめてみると、自分がただいるだけで、非常に満たされた存在であることがわかります。これまで外側に向いていた目が内側に向くようになります。そして、本当に大切なものが見えてきます。

 もちろん、求めるのことを完全にやめてしまうことはむずかしいでしょう。でも、求めようとしたときに、ふと立ち止まって、求めずに済むことではないかと考えてみるだけでも心の在り様は大きく変わってくると思います。


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謙虚さ

2012-08-24 | コラム
 日本人は、謙虚な国民だとよく言われます。みなさんの周囲にも、何に対しても積極的で、ときには傲慢だと思われるような人より、もっと自信を持ってもいいのにと思うような謙虚すぎるくらいの人の方が多いのではないでしょうか。確かに、謙虚であることはよいことです。しかし、自分から一歩を踏み出さない限り、進歩がないということも事実だと思います。誰かが率先して何かをしなければ、新しいことは生まれません。いつも引っ込んでばかりいては、自分自身も成長しないでしょう。また、過度の謙虚さは、他人に不快感を与えることもあります。

 言葉の森の中学生の課題長文に、香港の会社の求人の話が出てきます。「日本語のできる人を求む」という広告に、あいさつ程度しか日本語を話すことのできない香港人が殺到したというのです。もし、日本で、「英語のできる人を求む」という広告が出されたら、応募するのは、流暢に英語を話すことのできる、英語にはかなりの自信がある人だけでしょう。あいさつ程度の英語では、「英語ができる」とは言えないというのが日本人の認識だからです。そんな日本人に比べると、香港人は、非常に果敢であると言えます。

 もちろん、この香港人の行動には、賛否両論あるでしょうが、見習うべき点も大きいと思います。「あいさつしかできないのに、万が一採用されたら大変なことになってしまう。だから、当然、応募なんてできない。それに、他人から、あいつは傲慢な奴だと思われるに違いない。」というのが日本人の感覚でしょう。一方、香港の人は、「今は、あいさつしかできないけれど、もし採用されたら、どうにかなるものさ。話をせざるを得ない立場に置かれたら、勉強して話せるようになればいいのだ。」という大きな気持ちを持っているのではないでしょうか。そう考えると、香港の人の方が前向きで、この先の成長が期待できます。

 「謙譲の美徳」という盾の陰で、自分の殻にこもることは自分の可能性を狭めてしまいます。自分の良い点は素直に認め、良い点を前面に押し出していくことも必要ではないでしょうか。もともと謙虚さが身についている日本人なら、きっとスマートにさりげなく自己アピールすることができるでしょう。まずは、自分の良い点を認め、自分を成長させていこうという前向きな気持ちを持つことが大切だと思います。そうすれば、自ずと積極的な態度が身につき、少しずつ世界が広がっていくでしょう。謙虚さとは、自己を押しとどめるものではなく、自己を押し出すバネになるものなのです。


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現実

2012-08-09 | コラム
 「マインド(創造的思考力)なくしては宇宙は存在し得ないことが量子物理学によって発見されています。さらに、マインドが、実際に知覚するすべてのものを形作っているのです。」

 量子物理学者アランウォルフの言葉です。人間の思考がすべてのもの、宇宙をも形成していると言っています。にわかには信じがたいことですが、私たちの思考が現実のものに作用することは、科学的に確認されているのです。1927年、ハイゼンベルクという学者は、素粒子の研究で、対象を観察すること自体が粒子の状態に影響を与えてしまうことを発見しました。観察者の意識によって、粒子の状態が変わってしまうというわけです。

 私たちは、一日に十万回思考すると言われています。その思考がどの程度現実に影響を与えているかは定かではありませんが、影響を与えていること自体は事実だと思います。一つ一つの思考を細かく確認し、コントロールするのは不可能でしょうが、大雑把に考えて、プラスの影響を与えているか、マイナスの影響を与えているかを判断することはできそうです。

 そのものさしになるのは、感情です。それが強い感情ではなくても、なんとなくいい気分でいるときには、ちょっとした幸せをいくつも発見できるものです。逆に、ぱっとしない気分でいるときには、ついていないことが重なったりします。もちろん、すべてが簡単にそう言い切れるわけではありません。表面の感情とは裏腹の潜在意識の力が働いたり、他者の感情の影響を受けたりすることもあるからです。

 しかし、少なくとも、現実を創造しているのは自分の思考なのだという認識を持つことは重要です。思いも寄らないことが起きてしまったとき、目の前の現実になすすべもないとあきらめるか、自分の力で切り開けると信じるかによって、人生は大きく変わってきます。人間の感情は絶えず揺れ動いているので、それをすべていい方向にコントロールするのは難しいでしょうが、ここぞというときに、前向きになれるかなれないかは、自分の決心次第なのです。冒頭に紹介したアランウォルフの言葉は、そんな前向きな決心を下すための後押しになるのではないでしょうか。

 思考が現実を作っているのだとしたら、漫然と毎日を過ごすことは実にもったいないことだと思います。創造したい現実を思い、なりたい自分を心に描いていたら、そして、それを深く信じ、わくわくした気持ちでいれば現実は動き出します。自分の行動も変わっていくはずです。目の前の現実は、自分の心の内の反映に過ぎません。現実とは、自分の外側にあるものではなく、自分の内側にあるものなのです。


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意識

2012-07-31 | コラム
 言葉の森の中学2年生の課題長文に、地球交響曲(ガイアシンフォニー)でおなじみの龍村仁さんの文章があります。龍村さんは、アポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカートの話を紹介し、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士たちはみな、「私」という個体意識から「我々」という地球意識への脱皮を体験していると綴っています。

 私たちの意識は、通常、自分に関わる狭い範囲に向けられていることが多いのではないでしょうか。その枠を越えて、外に出たとき、初めて自分の意識がいかに小さなものだったかに気づかされるのでしょう。そして、意識を外の世界へと広げていくと、新しい世界が見えてきて、いくつもの新しい発見をすることができるのだと思います。

 たとえば、狭い部屋の中で、その部屋の中にある物だけに意識を向けていると、視野が狭くなり、新しい考え方をすることができなくなります。この部屋の外はどうなっているのだろうと意識を...外側に向けると、想像が広がり、外の世界に飛び出してみたいという意欲も生まれます。まずは、意識をどこに向けるかがキーポイントになると言えるでしょう。

 また、何か一つの問題について、同じ視点からあれこれ考えているだけでは、たいした解決策は浮かばないものです。視点を変えて、その問題を外側から見てみると、異なる次元から、思わぬ解決策を思いつくことは少なくありません。

 確かに、ときには、一つのことを深く掘り下げて考えることも必要です。しかし、その考えが、独りよがりの狭い視野に限られていたのでは、自分を成長させることはできません。自分の意識の方向と広さに気を配ったり、どこに視点が置かれているかを確認することは、自分の世界、自分の可能性を広げるためには不可欠だと思います。

 ちょっとしたトラブルがあって、宇宙空間に一人取り残されたとき、ラッセル・シュワイカートは、「今、ここにいるのは『私』であって『私』でなく、すべての生きとし生ける者としての『我々』なんだ。それも、今、この瞬間に、眼下に拡がる、青い地球に生きるすべての生命、過去に生きたすべての生命、そして、これから生まれてくるであろうすべての生命を含んだ『我々』なんだ。」と、確信したそうです。

 また、龍村さんは、「シュワイカートが宇宙空間で体験したこの『私』という個体意識から『我々』という地球意識への脱皮は、今、この地球に住むすべての人々に求められている。」と書いています。

 私たち一人一人は小さな存在ですが、意識は無限です。意識の持ち様によっては、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士たちが体験した感覚を、地球にいながら味わうことも不可能ではないかもしれません。そして、今、地球が抱えている問題も、視点を変えて、誰もが「我々」という意識で考えたなら、新しい解決法が次々に生み出されるに違いありません。


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道草

2012-07-25 | コラム
 バス通学をしていた小学校低学年のころ、バスに乗らずに友達と歩いて帰ったことがありました。何か特別な事情があったわけではなく、ただいつもと違うことをしてみたかったのです。毎日バスの窓から眺める歩道を、友達と二人、てくてくと歩きます。歩道の片隅に咲いているタンポポ、桜の花びらを乗せてゆっくりと流れる川、ペット屋さんに並べられた籠の中でさえずる小鳥たち、あちこち寄り道をしながら歩き続けます。いつもならバスであっという間に通り過ぎてしまう場所ですが、子供の足でゆっくり歩くといろいろな発見があるものです。

 最初のうちは元気よく歩いていた二人も、予想以上に遠い道のりに少し疲れてきました。背中のランドセルがずしりと重く肩にのしかかります。そんなとき、一軒のお店が目に入りました。それはお茶屋さんでした。お茶の芳(かぐわ)しい香りにさそわれて、お店の中をのぞき見ると、お店のおばさんが出てきて、にこにこしながら「一杯お茶でも飲んでいきなさい。」と冷たいお茶を飲ませてくれました。優しいおばさんのおかげで、二人は元気を取り戻し、またてくてくと歩き始めるのでした。

 不思議なもので、毎日バスに乗って帰っていたにもかかわらず、バスでの帰り道のことは、ほとんど覚えていません。一方、たった一度歩いて帰った帰り道のことは、今でもときどき思い出します。日常を越えた新たな世界との遭遇と呼ぶのは大袈裟かもしれませんが、今、振り返ってみても、道草をしながら歩いた時間は、どこか別の世界の時計の針が時を刻んでいたように思えるのです。

 誰でも、ときには冒険をしてみたくなることがあります。日常の枠を飛び出して、未知の世界に触れてみたくなることがあります。また、のんびりと休みたくなることもあるでしょう。そんな道草をすることによって、ものの見方が変わったり、新しい発見があったり、人の気持ちが分かるようになったりすることも少なくないと思います。目的地にいち早く着くことだけを目指す必要はないのです。

 長い人生、先頭を歩こうと焦る必要もありませんし、遅れを取ってはいけないと慌てる必要もありません。決められたレールの上をただまっすぐに進もうと必死になる必要もありません。そもそも、レールなど存在しません。そのときどきを楽しみつつ、ときには寄り道をしながら自分自身の心の声と相談しながら歩いていくことが充実した人生につながるのだと思います。

 あのとき歩いた道沿いに並ぶお店も、今ではずいぶん変わってしまいました。でも、その辺りを通りかかると、お茶屋さんの椅子に腰かけて、おいしそうにお茶を飲む二人の姿がよみがえり、心の中でくすりと笑ってしまうのです。


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感情

2012-07-10 | コラム
 先日読んだ『「読む、書く、話す」脳活用術』(茂木健一郎著)の中に、「人生において正しい判断や決断を下そうと思うのならば、理性で考えることも大事ですが、その前提として感情を豊かに活性化させなければならないのです。」という一文がありました。

 行動の基盤となるのは感情です。熱烈な思いあってこその行動です。行動の部分だけに目を向けても本末転倒です。その行動が、本当にその人の感情に基づいたものなのかが重要だからです。そう考えると、子育てで大切なことは、行動の基盤となる感情を育てる...ことではないかと思います。

 確証はありませんが、私たちは、誰もが魂の目的を持ってこの世に生まれてきたのだと思います。何が目的なのかはその人にしかわかりません。その人自身が感じ取るしかないのです。たぶん、魂の目的にそって生きるときがいちばん充実していて、いちばん輝いているはずです。

 子供たちは純粋なので、潜在的にはそのことを知っています。でも、この世では、純粋に生きることがとてもむずかしいのです。社会の枠組みの中で、いかにうまく生きるかに重点が置かれているために悪意のない干渉が多いからです。

 知らず知らずのうちに自分たちが決めたルールの中で勝負を決めようとしているのが今の社会です。でも、その枠組みをいったんはずしたら、もっと自由で、もっと自然な世界が現れ、自分の心の真実にそって生きる人は、誰もが勝者になり得るのです。誰もが勝者なので、勝者という言葉さえ意味を成しません。

 絵空事のようなことを書いてしまいましたが、今の社会の中でも、大事なことは子供たちの心の声をきちんと聞くように努力することだと思います。自分の心の声を自分で聞き取れるように促す子育てをすることだと思います。そうすることによって、徐々に社会も変わっていくはずです。

 そのためには、親自身が目先のことにとらわれず、子供の持つ潜在的な力を信じることが必要だと思います。

 計算が速くできることも難しい漢字が書けることもテストで100点が取れることもマイナスではないかもしれません。でも、その能力を使うときの基盤となる感情が育っていなかったら、行動だけが空回りして、新しいものを生み出すことはできないでしょう。

 上記の本には、「単に「お金持ちになりたいから」「社長になりたいから」といった動機だけでは、絶対に長持ちはしません。自分が動くことで、世の中の何が変わるのかを意識すること。」とも書かれています。ほんものの心の声は、個人的な欲望を越えたもので、ときには世の中を動かすくらいのパワーを秘めたものなのだと思います。

 もちろん、これは子供たちに対してだけ言えることではありません。大人でも同じことです。何歳になっても、自分の魂の声に気づいて、その声に従って行動している人は幸せです。

 確かに回り道にも意味があります。紆余曲折があるのが人生です。でも、私たち大人が、子供たちの本当の思いを感じ取りながら、その個性を大事に育てていくことができたら、この世界はますます素晴らしいものになるに違いありません。


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未来記憶

2012-04-17 | コラム
 池田貴将さんの『未来記憶』という本を読みました。まず、印象に残ったのは、人間には「未来記憶」「現在記憶」「過去記憶」の三つの記憶があり、目的を達成する際に重要なのは未来記憶だという点です。「これをやることが楽しい未来につながる」と考えると、つまり、未来記憶に集中すると、感情がポジティブになり、物事に対して積極的に、しかも楽しい気持ちで取り組むことができるというわけです。

 まだ人生を長く生きていない子供は、過去記憶よりも未来記憶の方が多いはずです。しかし、「これをやっても...あまりいいことがなかった」という経験が重なると、物事に消極的になり、集中力や判断力も鈍っていってしまいます。確かに、過去の記憶から学ぶことも必要ですが、周囲の大人は、子供が、本来持っている未来記憶を基盤として行動できるように促していくことが大切だと思います。

 ここで思い出したのは、言葉の森のホームページに載っている「集中できる子に育てる」という記事です。予定より早く勉強が終わったとき、親は、つい、追加の勉強をさせてしまいたくなるものです。でも、それは、長い目で見るとマイナスなのです。子供の頭の中に「勉強を早く終わらせると、ろくなことがない」という記憶を作り上げてしまうからです。同様に、がんばって書き上げた作文を注意された記憶を持つ子供が作文嫌いになってしまうのも自然なことと言えるでしょう。

 もちろん、大人にとっても未来記憶をもとに行動することは大切です。たとえば、片づけが苦手なのは、「片づけるのは時間がかかって大変」「片づけてもどうせすぐに散らかってしまう」などといった過去記憶がブロックになっているからです。それなら、「片づけると居心地の良い部屋になる」「片づけると気持ちもすっきりする」など、片づけをするとどんなにいいことがあるかという未来記憶を過去記憶よりも増やせばよいのです。子育てにも、この未来記憶を上手に使いながら、親子共に充実した時間を重ねていきたいものです。


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言葉の森・小6の長文を読んで思ったこと

2012-03-17 | コラム
 言葉の森の小6の感想文課題に「勉強」に関する長文があります。

 「「勉強」を訓読みにすると「つとめしいる」となり、無理じいするニュアンスがふくまれる。しかし、「勉強」は人から強制されるものではない。自分の勉強する目的をはっきりさせ、勉強する中で自分の生きがいを見出すことができたら、「勉強」は苦痛ではなく、充実したものになるだろう。「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、手段にすぎない。手段を目的と勘違いするときに「勉強」は単なる苦痛の種になってしまう。」という内容です。

 「教育」にも同じようなことがあてはまると思いました。「教育」は目的ではなく、手段です。子供が幸せな人生を送れるようにするための手段です。教育が手段であることを忘れ、目的と勘違いしてしまうとき、教育は誤った方向に向かうのではないでしょうか。親や先生という立場で、躾をしたり、知識を身につけさせたりすることも必要ではありますが、ときには、子供に寄り添うこと、またときには、後ろからそっと見守ることが大切なのだと思います。

 「作文」を通して「教育」を考えるとわかりやすいです(笑)。表記ミスを直したり、表現を工夫するように指導するだけではなく、作文に書く内容について子供と対話をすることや子供が書き上げた作文を読んで、ほめてあげることはそれ以上に大切なことです。子供が安心して作文を書けるように、そっとバックアップし、子供の成長を見守ることこそが、本当に子供のためになるような気がします。

 入試など、目の前の目的のために必死でがんばらなければならないときもあるでしょう。でも、そんなときも、その先のもっと大きな目的を忘れずにいたいものです。教育の目的は、試験で百点を取ることでもなく、ましてや、教える人が満足することでもなく、子供が幸せな人生を送ることだからです。


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本当の試験結果

2012-03-02 | コラム
 先ほど、合格情報をアップしましたが、当然のことながら、合格者がいるということは、不合格だった人もいるということです。長い人生、たった一度の試験ですべてが決まってしまうわけではありません。合格した人にとっても、合格しなかった人にとっても、その結果を今後に生かしていかれるかどうかが、本当の意味での分かれ道になるような気がします。

 私は、これまでの受験経験の中で、何度か不合格の辛さを味わっているので、不合格だったときの気持ちは痛いほどわかります。そのときは、目の前につきつけられた結果だけで頭の中がいっぱいになってしまい、すぐに一歩を踏み出す気持ちにはなれないものです。でも、まだまだ先は長いのです。自分の人生が、たった一度の試験に振り回されてしまうことなど、絶対にありません。すべては自分次第です。言うまでもないことですが、試験の合否によって、自分らしい人生を歩んでいくことができなくなってしまうなどということはないのです。

 合格した人は、その合格を十分に生かせるように、不合格だった人は、その結果を大きなバネにできるように、これから前向きにがんばっていかれるかどうかが本当の試験の結果と言えるでしょう。

 以下、言葉の森HPの昨年の記事です。

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 今年、中学入試を作文試験で受けた子から不合格の連絡がありました。よく書ける子でしたし、教科の成績もよかったはずで、勉強もよくがんばっていましたから、本人も納得できない気持ちがあったと思います。

 しかし、試験とはそういうものです。実力があっても、運が悪くて不合格になることもあります。大事なのはそれからです。

 不合格になったとき、勉強をやっていて自信があった子ほどくやしい思いをします。そのくやしさがばねになって、これからの勉強に生きてきます。すると、早い子では1年もたたないうちに、第一志望に不合格になっていてかえってよかったと思えるようになってきます。そして、ほとんどの子は、3年後、又は6年後の次の入試のときにはすっかり、その最初の不合格を克服して、逆に、「あそこで不合格になっていたから、それをばねにして自分が成長したんだ」と思うようになってくるのです。

 そして、そのように自分が成長するだけでなく、不合格になったことの痛みを知っているので、自分よりも弱い人に対しても優しい気持ちを持てるようになります。

 また、いつか、自分が大人になり、人の上に立つようになったり親になったりしたときに、部下や子供の失敗をより大きな視野で見てあげられるようになるのです。

 ですから、合格不合格の結果は、ただ第一ラウンドが終わったということに過ぎません。不合格になった人が、いつまでもその不合格をひきずって、「あそこで合格していれば、もっといい人生だったかもしれない」などと思っていては、第二ラウンドでも不合格です。

 たとえ、第二ラウンドではまだすぐに立ち直れなくても、第三ラウンド、第四ラウンドで、「あそこで不合格になっていたから、かえっていい人生になった」と素直に思える日が必ず来ます。

 本当の合格不合格は、何年もたってからわかってきます。そして、あとからわかった合格が、本物の合格なのです。

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「言葉の森作文ネットワーク」

2011-05-26 | コラム
 おかげさまで、facebookの「言葉の森作文ネットワーク」の会員数は、約500名となりました。ご登録くださったみなさま、ありがとうございます。(明日には、もっと増えていると思います。)

 これからも、作文、読解、国語に関する情報はもちろん、教育全般に関する有益な情報をシェアしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 まだ会員になっていらっしゃらない方は、今、すぐどうぞ! もちろん無料です(笑)。

 6月27日(日)には、東京でオフ会も開催予定です。

 言葉の森作文ネットワーク

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facebook 「言葉の森作文ネットワーク」

2011-05-23 | コラム
 facebookに「言葉の森作文ネットワーク」のページがオープンしました。

 作文・感想文の書き方、国語(読解・記述)の勉強法、受験作文小論文対策、授業の渚(言葉の森の生徒たちが実際に見ているヒントの動画です)など、ためになる情報が満載です。もちろん、みなさまからのご質問も受け付けています。

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 言葉の森作文ネットワーク

言葉の森からのお知らせ

2011-01-25 | コラム
 現在、言葉の森の通学教室(横浜市港南区港南台)は、満員のため、新規の募集を行っておりませんが、2月より、ヨークカルチャーセンター大船教室で、小学生のための作文講座を開講することになりました。受講を希望される方は、お早めにお申込みください。
 言葉の森通学教室で講師をしている宮崎みどり先生が優しく指導してくれます。

 詳細は、下記のページをご覧ください。
 ヨークカルチャーセンター大船教室

※言葉の森の通信コース(月~土・電話指導あり)は、無料体験学習受付中です。
 言葉の森


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