作文小論文講座

苦手な作文を得意に。小学生から受験生まで、文章上達のコツを項目別に解説。作文検定試験にも対応。

要約

2005-03-16 | 感想文
 1000字程度の長文を読んで要約をするのは、子供にとってはかなり負担となる作業です。長文の内容をしっかり理解できていても、自分の言葉で簡潔にまとめるのは非常に難しいことです。最初から、自分の言葉でまとめようとせずに、まずは長文中の文をそのまま抜き出すことから始めてみましょう。
 長文を大きく三つくらいに分けます。それぞれのかたまりの中から、一つずつ中心となる文を選んでいくのです。もちろん、中心となる文を一つだけ選ぶのは無理がありますし、中心となる文がわかりにくい場合も多いと思います。そんなときは、自分の好きな文を選んでもいいでしょう。選び出した三つの文がうまくつながらないこともあるはずです。でも、それでいいのです。三分の一ずつのかたまりの中から一文を選ぼうとするその作業に意味があるのです。
 三つの文をつなげただけの要約は、もちろん、不十分なものですが、この練習を何度も繰り返すことによって、足りないところを補ったり、自然なつながりになるように工夫したりできるようになります。時間はかかりますが、要約の基本は、ポイントとなる文をさがすこと。この訓練の積み重ねでだんだと上手になります。

文章を書くということ

2005-03-10 | コラム
 文章を書くときには、自分の内側を深く探ることと、自分から離れることの両方が必要とされると思います。他人とは違う自分、そんな自分の個性的な体験や内側から湧き出る感情を素直に表すことは大事なことです。しかし、一方、自分の枠を抜け出して、外の世界との関わりを記すことも大切です。小学生低学年なら、友達との会話を書いたり、誰かの気持ちを推測して書いたりすること、高学年なら「人間にとって」などという言葉を使いながら一般化することがこれにあたります。中学生以上では、自分の問題から離れて人間全体、社会全体の問題として意見を示すことがこれにあたるわけです。

 そもそも人間は、自分の内側の世界と外側の世界とのバランスを取りながら生きていると言えるでしょう。必ずしも境界線のはっきりしない二つの世界を行ったり来たりしながら成長していくのが人間なのかもしれません。文章を書くという作業は、そんな二つの世界のバランスを取るにはとてもいい方法だと思います。私たちは、さまざまな体験からいろいろなことを学んでいます。それらの学びの成果を自分の中に積み重ねていくだけでなく、外の世界に照らし合わせることで、その学びはより深いものとなって刻まれます。

 人間は、誰もが自己中心的であると言えるでしょう。自分のことをいちばん大切に思うのは当然のことです。自分の存在を主張し、幸せに生きていこうという意志を持てるのは自分しかいません。しかし、誰もが自分のことしか考えなかったら、社会の秩序は成り立ちませんし、もちろん、自分も幸せになれません。人は他人との関わりの中で生きています。また、自分という存在も大きな宇宙からみたらほんの小さなものに過ぎません。そこで、他の人々に目を向けること、大きな社会の流れを把握することが必要になってきます。すると、この世の中に普遍的な何かがあることに気づかされます。そんな気づきを文字にするとき、たぶん、自己というものの幅が広がっているのだと思います。

 自分の内側で起こった具体的な出来事を抽象的な考えにまとめていく、自分の感情を主体的に発信するだけでなく、客観的にとらえる、そんな作業を繰り返していると、それまで見えなかったものが見えてきます。そして、自分という「とりで」の周囲に引いた境界線が少しずつ広がっていくことに気づくでしょう。文章を書くという作業を通して、人間的にも成長できたらこんなにすばらしいことはありません。私たちは、歩幅の差はあっても書くたびに必ず前進しているのです。

作文指導の現場から ~もう一歩進もう~

2005-03-05 | 作文
 出来事が順番に書けるようになったら、「たとえ」「会話」「思いました」「どうしてかというと」などを加えていきます。もちろん、一度に全部というわけではありません。一つずつ増やしていけばよいのですが、選択肢を多くした方が子供はやりやすいと思います。その中から自分ができそうなものだけ選んで取り入れればよいのですから。
 意外と簡単に入るのが「どうしてかというと」です。「どうしておいしかったの?」「どうしてけんた君やさきちゃんといっしょに学校に行くの?」と聞いて、答えが返ってきたものをそのまま文にすればいいわけです。「どうしてかというとお母さんが一生けんめい作ってくれたからです。」「どうしてかというと家が近くだからです。」などといった具合です。
 たとえは、最初のうちは、ありきたりのものでも、「まるで○○○のよう(みたい)」という形を使うことが大事です。一度でも使えると、だんだん中身を工夫するようになっていきます。「たまごやきはまるで菜の花のような黄色でした。」「目玉焼きはまるでお月さまみたいでした。」など、色や形に使うと使いやすいかもしれません。
 会話は、子供によってはむずかしく感じるようです。特に、男の子にその傾向が強いような気もするのですが、まずは、「おはよう。」「さようなら。」など、あいさつの会話を入れるように指導すると、すんなりと入ることが多いです。
 思ったことも、慣れるまでは「うれしいと思いました。」「楽しいと思いました。」というような単純な気持ちが書ければOKです。心の中のひとりごとを書くように指導すると、だんだんと自分の気持ちをくわしく書けるようになります。

作文指導の現場から ~はじめの一歩~

2005-03-05 | 作文
 作文を書くのは初めて、とにかく書くことが苦手で何から書いたらいいのかわからないなどという場合も少なくはありません。そんなときは、まず「今日のこと」という題名で書くように勧めます。
 書き出しは簡単です。「ぼくは今朝、7時に起きました。朝ごはんはパンと目玉焼きでした。8時にけんた君とさきちゃんと3人で学校に行きました。学校ではまず、なわとびをして遊びました。」といった感じです。とりあえず、今日あったことを朝から順番に思い出せる範囲で書いていくのです。もちろん、自分ではなかなか書き出せないときは、全部こちらで文を言ってあげます。字数も50字から100字くらいを目標にします。最初のうちは、無理なく書ける字数を目標にする方が気楽に取り組めるからです。
 大事なポイントは、たとえこちらが考えた文であっても、書いたものをほめることです。ほめるところはたくさんあります。「7時」、「3人」と、時間や人数を表す数字がくわしく書けています。また、朝ごはんのメニューもくわしく書けてました。さらに、「けんじ君」、「さきちゃん」というように友達の名前をくわしく書いたところもほめるポイントです。これだけで大きな花丸です。
 これで、文を書くことに対する抵抗はかなりなくなると思います。

五感と自己確立

2005-03-03 | コラム
 五感とは、目、耳、舌、鼻、皮膚を通して生じる五つの感覚のことです。つまり、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五つの感覚です。これらの感覚は、いつも外界と自分とをつなぐ役割をしています。私たちは、五感によって、外の世界を内へと取り入れ、自分なりに消化しているのです。五感こそが自分というものを認識し、確立する基盤になっていると言っても過言ではないかもしれません。というのは、私たちの心は、何かを感じ取ることによって反応するからです。もし、五つの感覚が何の役割も果たさなくなったら、私は私でなくなってしまいます。つまり、五感がなかったら、自分は無になってしまうということです。逆に考えると、自分の五感をより強く意識することによって、より確かな自分を築き上げることができるということになります。

 今、目に映っているものは何か、どんな音が聞こえてくるか、そんなことを一つ一つ意識し、五感を研ぎ澄ませることによって、自分の内側の世界も変わってくるはずです。それは、ありのままの現実を素直に取り入れる作業でもあります。一つ一つの感覚をフル活用してみると、私たちがいかに先入観にとらわれたものの見方をしていたかに気づくかもしれません。また、いかにおおざっぱなものの見方をしていたかに驚くかもしれません。そして、普段、五感をほとんど活用していなかったということを認めざるを得なくなるのではないでしょうか。今、あなたの目、耳、舌、鼻、皮膚が何を感じているか少しだけ意識してみてください。道端に咲く可憐な花の色、夕方の町の喧騒、ツツジの花の蜜の味、雨上がりの公園に漂う木の葉の香り、吹き抜けていった風の冷たさ、そんな感覚を一度じっくりと味わってみてください。

 自分で感じたことを自分の言葉で表現する、それが作文を書くということで、自分で感じていないことを言葉にしても読む人の心に響くような作文にはなりません。自分の五感で得たことを精一杯表現しようとした作文からは、その生きた感覚が伝わってきて、読む人は心を動かされます。もちろん、年齢によって表現力や語彙力には差がありますが、幼い言葉で書かれていても、それが書き手の実感なのだということがありありとわかる文章に人は心を打たれるものです。感想文に体験実例(似た話)を入れるのも、長文の内容をいったん自分の問題として自分の内に取り込み、自分自身の生の体験を書くことで、自分の感じ方を直接表現したインパクトのある作品に仕上げることができるからです。

 そして、五感を大切にしながら作文を繰り返し書くことは、自己を確立していくことでもあります。先にも書いたように、人は何も感じなければその存在すら意味のないものになってしまいます。外とのつながりによって初めて自分の存在を確認していくものなのです。外の世界を知り、それを受け入れ、自分の内で考えることにより、人は、自分というものを少しずつ確立していくのです。感じ取ることが多ければ多いほど、私たちは心豊かに自己を充実させていくことができます。確かに、いつも何かを感じ取ろうとぴりぴりしていてはとても疲れてしまいます。でも、そんなときは、五感の喜ぶ環境に身を置くこともできるわけです。好きな絵を見たり、好きな音楽を聴いたり、おいしいお料理を味わったり……。そんなふうに五感をうまく活用しながら、自己を確立していくことができたら幸せではないかと思いますし、それこそが生きている意味なのではないかと思います。自己とは、内側に自然に備わっているものではなく、外側の世界との接触によって生まれてくるものなのです。だから、外側の世界にもっと敏感に、積極的に関わっていくことが大切なのではないでしょうか。もっと五感を活用して外側の世界とのつながりを強めればきっと自分の内の何かが変わってくると思います。

書き出しは五感から

2005-03-01 | 作文
 書き出しの工夫をしたいときは、五感で感じ取ったことから書き始めてみましょう。

<視覚>
 「目の前に真っ白なゲレンデが広がっている。私たちはやっとスキー場に到着した。」
 「空を見上げると、一筋の飛行機雲が東西に伸びていた。いよいよ今日は運動会。」

<聴覚>
 「「おはよう。」先生の明るい声が響いている。今日から新学期だ。」
 「ド、ドーン。大きな花火の音が聞こえてきた。河原にはもうたくさんの人が集まっていた。」

<臭覚>
 「どこからともなく甘い金木犀の香りが漂ってくる。季節はもうすっかり秋だ。」
 「おいしそうなにおい誘われて、私は台所に行ってみた。母が私の大好きなハンバーグを作っている。」

<触覚>
 「あまりの冷たさに、私は思わず手を引っ込めた。その朝、池に氷がはっていたのだ。」
 「わたあめのようにふわりとした感触。我が家に、ついに子犬がやってきた。」

<味覚>
 「口の中いっぱいにあまずっぱい味が広がった。その木の実は思ったよりずっとおいしかった。」
 「とろりととろけるようなおいしさ。僕はゆっくりとその味を楽しんだ。」