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春日曼荼羅(春日宮曼荼羅)
南市町自治会 鎌倉時代 13世紀
この曼荼羅は浄土~春日社を描いている。
神社なのに“曼荼羅”?と思う人もいるかもしれないが、昔は神仏が融合していた時期もある。
明治の廃仏毀釈により、多くの仏閣が消滅してしまったが、所々には残っている。
近くでは、お酉さまで有名な鷲神社のお隣(同じ敷地)には鷲在山長國寺があるし、清水寺には地主神社がある。
この曼荼羅ては、春日の神様は=御釈迦様という訳?だ。
ちなみに、この曼荼羅の裏側には御釈迦様の涅槃(ねはん)図が描かれている。
ところで、
春日大社の参道は朝夕に金色になる。
それは、今でもだそうです。
見てみたいなぁ…。
http://www.narahaku.go.jp/collection/496-0.html
春日社の景観を俯瞰(ふかん)的に捉えて描く春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)は、春日の神と、その本地仏(ほんじぶつ)に対する礼拝(らいはい)のための画像として用いられた。画面最下部の一の鳥居より参道が伸び、緑深き神域が広がる。左手に東塔・西塔をみながら進むと二の鳥居、さらに進めば左手に廻廊(かいろう)に囲まれた本社、右手には若宮がある。他に描きこまれる摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)を含め、これらの位置関係は基本的には実景に則して描かれるが、二次元の制約ある画面に表現するための省略や整理はなされている。社殿の向こうには御蓋山(みかさやま)、その背後に春日山、空には丸い金色の日輪(にちりん)(あるいは月輪)(がちりん)が浮かぶ。以上のような構図は多くの春日宮曼荼羅に共通する、定型化した表現である。 本図では、画面上部に讃文を記すための色紙形が設けられており、右から「未得真覚恒所/夢中故仏説為/生死長夜由斯/未了色境唯識」「本体盧舎那/久遠成正覚/為度衆生故/示現大明神」とある。一つ目は興福寺が奉じる法相宗(ほっそうしゅう)の所依経典(しょえきょうてん)である『成唯識論(じょうゆいしきろん)』中の語句、二つ目は春日大明神の本体を盧舎那仏(るしゃなぶつ)とする、春日の講式(こうしき)等にみられる本地垂迹を表す定型語句である。また画面左下には「岩清水神宮/大□□□常住」との朱印が確認され、本図は岩清水神宮に置かれた時期のあったことがわかる。
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