『 みな恩の中に生きている 』
父母から生命を与えられた恩、愛育を受けた恩。他人や自然やものから被る恩。
大宇宙生命とつながって生かされている恩・・・・・・。
世はことごとく、恩の結集と展開によって成る。
それを思うと頭が下がる。生きる力が沸いてくる。
この“恩”こそが・・・“生”を受けてこの世に生まれた・・・
この事に対して・・本来、私たちが、平等に感じることのできる・・“もの”なのかなって
その“生”を受けた瞬間の・・・親の愛情・・喜び・・それ自体も“恩”の結集と展開
親が・・・この瞬間の喜びと愛情を子どもに向けることが出来れば“虐待”や“育児放棄”
という事はなくなるんじゃあないのかなって・どこかで何方かが・・・確かにその通り!
『 みな恩の中に生きている 』・・・・・
“生命”のつながり・・・絆はこの“恩”のまさに・・・目に見えない連鎖なのかなって
目に見える“成果”??が・・・そこに存在する“個”としての“ひと”・・・・
その“ひと”には感情が・・・・その感情が育つ過程で・・・その環境や思いが・・・
複雑に交錯して・・・ひとりの人間の“個”を築き上げてくる・・・・
生まれた時なみんな同じ・・・ある意味平等・・・その過程で違いが・・・
その違いがいい意味での“個性”なら◎・・・なんですがねぇ・・・
親の無条件の愛(子どもへ対する)・・・子どもの無条件の信頼(親へ対する)・・・・
この『 みな恩の中に生きている 』という精神みたいなものが脈々と流れていれば・・・
昨今の事件や痛ましいニュース・・・あり得ない話じゃあないのかなって思います。
・・・・と感じていますが・・・・
いろんな人がいて、いろんな考え方があって・・・特に“こころ”って複雑ですよね。
その“愛”と“信頼”があるから・・・すべて解決だと言う訳でもないんですよねぇ・・
昨日・・・打ち合わせが早く終わって・・・
10時前に家に帰って来れました・・・・思い出した様にTVを見ました。・・・・
例の『モンスターペアレント』・・・やっていました。(まさに習慣化??凄いことです。(笑))
例の三浦さん・・・・どういう展開になるのかな?って・・・
その部分にある意味一つの興味が・・・・“暴力”という禁断の行為に手を染めてしまった
この行為に対する“ジャッジ”・・・・・
“親”と言う立場なら・・・もしかして賛同??・・・する?できる?人も中には・・・
ただ、いけないことはいけない・・・『あかんもんなあかん』と言う部分・・・
全然関係ないかもしれませんが・・これから始まる裁判員制度(厳密には準備が始まった?)
裁判員の“心情”・・・と言う部分・・・こういうケースではどうなるのか???って
すみません・・・自分の感情と視点で見ているもので・・ちょっと変わっていますかねぇ??
さて・・・・
ドラマの中の教師・・・・小倉さんが(懐かしいですね)熱演!?・・・・
私が子どもの頃・・・・
先生って・・・・みんなこんな感じがしていました・・・しかも年配・・・
自身が小さい所為もあったのかもしれませんが・・イメージで今の40代50代?って
さわやか系の若い先生?・・・そういう先生っていなかった???・・・
やはり・・毅然としてある意味・・・怖いっていうイメージが残っています。
子ども心としての記憶の範疇のことなので・・・・(当時の恩師の方々すみません)
こういう先生・・・
こういう言動・・・
皆さんの目にはどう映りましたか?・・・
かたや・・・川島直美・・・(字あっている?)もうお母さん世代なんですねぇ(笑)
今回の小学校でのヘアースタイル・・・これの良し悪しは置いておいて・・・
中学に行ったら・・・無条件に・・・高崎という地では・・・議論の余地なくって(笑)
東京では私立もあり・・・そういう意味での自由奔放?選択の余地という部分の差異??
ちょっと感じました・・・(これは本題と関係ないので・・・ちゃんちゃん)
子どもに対する・・・・“思い”っていう部分・・・そして“期待”という部分・・・
まさに今の世の中の・・・その親が子どもに対する時には“プレッシャー”がそこに・・
でもこのドラマの凄かった所は・・・
最後の落とし所・・・子どもの行為が・・・“逃避”ではなく・・・
自覚を持った行動をしていた・・・まさに“個”としての自立した考えで・・・
私は、TVの作戦に(脚本家のわな?)まんまと嵌って・・・
『あーあ、ゲームセンターでやっぱり遣っていたんだ・・・・』って・・・
『あの5万円・・・高校生?に・・・かつあげ?』とまで想定して・・妄想が色々と
結果は・・・・寄付に遣っていた(恵まれない子供たちへ・・・国へ・・・)
戦う?昔堅気の教師とノンモラルペアレント(新しい造語?)・・・・
その戦いの休戦を告げるようなものの見事な落とし所だったような・・・
(ノンモラルペアレントの話は・・膨らみそうですね・・・またの機会に)
私自身・・・わなにはまったという表現をしましたが・・・
色々な場面で、子どもたちを・・・いろんな事件の中で見る・・・感じる・・・色眼鏡???
もしかしたら今回の件・・・そういう部分への警鐘も・・・って感じました。
服装や態度・・・行動・・・そういう部分で・・ややもすると“ジャッジ”してしまう?
そういう現代の風潮・・・(逆に言えば・・・そこが一番の判断材料??それも自己主張?)
厳しい校則・・・風紀という部分の縛り・・・まずは形からという部分・・・
これはこれでいいことだとは思いますが・・・やはり・・“こころ”が先なんですかねぇ・・
納得や理解があれば・・・・いいのかなぁって
今回のケース・・・双方の納得や理解という部分・・・これがなかった・・・全く・・
モンスターペアレント・・・ノンモラルペアレント・・・
いずれにしても自己主張が原点・・・その“思い”や“個”が強い分余計に・・・・
しかし・・・
現実的に歩み寄りや相互理解・・・分かってはいますが・・・
それを“ジャッジ”・・・あるいは“仲介”?橋渡しする・・・その部分の“ひと”が・・・
まぁそれが本来は・・・校長という立場の学校の長・・・何でしょうが・・・
私が関わってきた“校長”・・・そういう意味では皆さん凄い人ばかりだったようです◎
いずれにしてもキーワードは“ひと”・・・そしてコミュニケーションなんですね。・・・
最近・・・ドラマの品評会と化していますね・・・毎週水曜の朝は・・(笑)
これで視聴率が上がったら・・・・ドラマに貢献??(ははは・・ご褒美もの??)
『 みな恩の中に生きている 』・・・今日は、この“思い”で・・・改めまして
今日も1日・・・よろしくお願いします。
PCでお越しの皆様は、下の白いマークを押していただけますか?(投票になります)
毎日毎日これがカウントされているんです。最近このカウントに嵌っています??(笑)
お越しの際には是非!!ご協力のほどをよろしくお願いします。(^_^)
父母から生命を与えられた恩、愛育を受けた恩。他人や自然やものから被る恩。
大宇宙生命とつながって生かされている恩・・・・・・。
世はことごとく、恩の結集と展開によって成る。
それを思うと頭が下がる。生きる力が沸いてくる。
この“恩”こそが・・・“生”を受けてこの世に生まれた・・・
この事に対して・・本来、私たちが、平等に感じることのできる・・“もの”なのかなって
その“生”を受けた瞬間の・・・親の愛情・・喜び・・それ自体も“恩”の結集と展開
親が・・・この瞬間の喜びと愛情を子どもに向けることが出来れば“虐待”や“育児放棄”
という事はなくなるんじゃあないのかなって・どこかで何方かが・・・確かにその通り!
『 みな恩の中に生きている 』・・・・・
“生命”のつながり・・・絆はこの“恩”のまさに・・・目に見えない連鎖なのかなって
目に見える“成果”??が・・・そこに存在する“個”としての“ひと”・・・・
その“ひと”には感情が・・・・その感情が育つ過程で・・・その環境や思いが・・・
複雑に交錯して・・・ひとりの人間の“個”を築き上げてくる・・・・
生まれた時なみんな同じ・・・ある意味平等・・・その過程で違いが・・・
その違いがいい意味での“個性”なら◎・・・なんですがねぇ・・・
親の無条件の愛(子どもへ対する)・・・子どもの無条件の信頼(親へ対する)・・・・
この『 みな恩の中に生きている 』という精神みたいなものが脈々と流れていれば・・・
昨今の事件や痛ましいニュース・・・あり得ない話じゃあないのかなって思います。
・・・・と感じていますが・・・・
いろんな人がいて、いろんな考え方があって・・・特に“こころ”って複雑ですよね。
その“愛”と“信頼”があるから・・・すべて解決だと言う訳でもないんですよねぇ・・
昨日・・・打ち合わせが早く終わって・・・
10時前に家に帰って来れました・・・・思い出した様にTVを見ました。・・・・
例の『モンスターペアレント』・・・やっていました。(まさに習慣化??凄いことです。(笑))
例の三浦さん・・・・どういう展開になるのかな?って・・・
その部分にある意味一つの興味が・・・・“暴力”という禁断の行為に手を染めてしまった
この行為に対する“ジャッジ”・・・・・
“親”と言う立場なら・・・もしかして賛同??・・・する?できる?人も中には・・・
ただ、いけないことはいけない・・・『あかんもんなあかん』と言う部分・・・
全然関係ないかもしれませんが・・これから始まる裁判員制度(厳密には準備が始まった?)
裁判員の“心情”・・・と言う部分・・・こういうケースではどうなるのか???って
すみません・・・自分の感情と視点で見ているもので・・ちょっと変わっていますかねぇ??
さて・・・・
ドラマの中の教師・・・・小倉さんが(懐かしいですね)熱演!?・・・・
私が子どもの頃・・・・
先生って・・・・みんなこんな感じがしていました・・・しかも年配・・・
自身が小さい所為もあったのかもしれませんが・・イメージで今の40代50代?って
さわやか系の若い先生?・・・そういう先生っていなかった???・・・
やはり・・毅然としてある意味・・・怖いっていうイメージが残っています。
子ども心としての記憶の範疇のことなので・・・・(当時の恩師の方々すみません)
こういう先生・・・
こういう言動・・・
皆さんの目にはどう映りましたか?・・・
かたや・・・川島直美・・・(字あっている?)もうお母さん世代なんですねぇ(笑)
今回の小学校でのヘアースタイル・・・これの良し悪しは置いておいて・・・
中学に行ったら・・・無条件に・・・高崎という地では・・・議論の余地なくって(笑)
東京では私立もあり・・・そういう意味での自由奔放?選択の余地という部分の差異??
ちょっと感じました・・・(これは本題と関係ないので・・・ちゃんちゃん)
子どもに対する・・・・“思い”っていう部分・・・そして“期待”という部分・・・
まさに今の世の中の・・・その親が子どもに対する時には“プレッシャー”がそこに・・
でもこのドラマの凄かった所は・・・
最後の落とし所・・・子どもの行為が・・・“逃避”ではなく・・・
自覚を持った行動をしていた・・・まさに“個”としての自立した考えで・・・
私は、TVの作戦に(脚本家のわな?)まんまと嵌って・・・
『あーあ、ゲームセンターでやっぱり遣っていたんだ・・・・』って・・・
『あの5万円・・・高校生?に・・・かつあげ?』とまで想定して・・妄想が色々と
結果は・・・・寄付に遣っていた(恵まれない子供たちへ・・・国へ・・・)
戦う?昔堅気の教師とノンモラルペアレント(新しい造語?)・・・・
その戦いの休戦を告げるようなものの見事な落とし所だったような・・・
(ノンモラルペアレントの話は・・膨らみそうですね・・・またの機会に)
私自身・・・わなにはまったという表現をしましたが・・・
色々な場面で、子どもたちを・・・いろんな事件の中で見る・・・感じる・・・色眼鏡???
もしかしたら今回の件・・・そういう部分への警鐘も・・・って感じました。
服装や態度・・・行動・・・そういう部分で・・ややもすると“ジャッジ”してしまう?
そういう現代の風潮・・・(逆に言えば・・・そこが一番の判断材料??それも自己主張?)
厳しい校則・・・風紀という部分の縛り・・・まずは形からという部分・・・
これはこれでいいことだとは思いますが・・・やはり・・“こころ”が先なんですかねぇ・・
納得や理解があれば・・・・いいのかなぁって
今回のケース・・・双方の納得や理解という部分・・・これがなかった・・・全く・・
モンスターペアレント・・・ノンモラルペアレント・・・
いずれにしても自己主張が原点・・・その“思い”や“個”が強い分余計に・・・・
しかし・・・
現実的に歩み寄りや相互理解・・・分かってはいますが・・・
それを“ジャッジ”・・・あるいは“仲介”?橋渡しする・・・その部分の“ひと”が・・・
まぁそれが本来は・・・校長という立場の学校の長・・・何でしょうが・・・
私が関わってきた“校長”・・・そういう意味では皆さん凄い人ばかりだったようです◎
いずれにしてもキーワードは“ひと”・・・そしてコミュニケーションなんですね。・・・
最近・・・ドラマの品評会と化していますね・・・毎週水曜の朝は・・(笑)
これで視聴率が上がったら・・・・ドラマに貢献??(ははは・・ご褒美もの??)
『 みな恩の中に生きている 』・・・今日は、この“思い”で・・・改めまして
今日も1日・・・よろしくお願いします。
PCでお越しの皆様は、下の白いマークを押していただけますか?(投票になります)
毎日毎日これがカウントされているんです。最近このカウントに嵌っています??(笑)
お越しの際には是非!!ご協力のほどをよろしくお願いします。(^_^)
それが私の理想??(笑)
毎日・・・数百名の方がここをご覧になっている・・
週刊単位だと1000を軽く超えるHIT数・・・
本当は掲示板でも設ければいいのでしょうが??・・・
(これは今後の課題として・・・ですね。)
しかし・・・いつもながらコメントの視点・・・
私にとって”きづき”です。ありがとうございます。
しかし・・・
1週間の早いこと・・・年をとった証拠??(笑)
ちょと違いますよね…(。´・ω・)ん?
髪型の自由や携帯電話を取り上げた分の料金請求などは「権利主張型」ですよね。
※あっでも髪型と平日の旅行はノーモラルか…
って、そんな分析はいいとして…なぜそんな権利を主張するのでしょう?
そ・の・裏・側・には…
親が子供を守るために考えた(妄想だらけですが)からではないでしょうか?
先週の放送で三浦さんが殴っちゃいましたよね。
でもそれは私の中では当たり前!ですが・・・世間一般では罷り通らないですよね。
一時期、幼児殺害して精神鑑定で刑を免れようとしたりする犯罪者が増え
穴だらけの法律をうまく使って自分の悪戯をかき消そうとする犯罪者が増えた…
その頃からか学校の安全神話が崩壊し始めました。
…と同じくして校内ではイジメによる自殺などが実際あったのに
学校側は自殺の事実を教育委員会に報告していなかった事態が発覚。
挙句の果てに担任教師本人がいじめの犯人であった事実が発覚したりで
教職者と保護者との信頼関係をぶち壊した。
すいません。話がだいぶ脱線しましたね。(._.ゞ)ポリポリ
つまりは…不適格教師が増えたことを保護者が不安に思うがあまりの行動かと…
髪型の自由を主張するのも信頼できない学校側の言いなりにさせないため?
学校が絶対だと↑のような事件の隠蔽を恐れる抵抗の表れじゃないでしょうか?
※実際、子供本人は髪型の自由なんて求めてないでしょうし…
携帯にしても当時の現状は子供が犯罪の標的にされていたのも事実ですし
保護者は必死だったのではないでしょうかねぇ?
…で、最後の落ちなんですが・・・
子供が自分の意思で募金をしていました。ちゃんちゃん…じゃな~い!  ̄O ̄)ノ!!
募金なんていいことをしているのになぜ親に言えない?
いつも2万円のお小遣いをもらってる内の2千円ですよ。多いですか?
しかし、なんで言えなかったんだろう?どうして言えなかったんだろう?
…と、そこを考えるべきじゃないでしょうか?
やはり東京・・・
東京ってある意味田舎者の集合体?って
そこに住んで洗練?・・・
すみません・・田舎者なので・・・
でも教育環境・・・
違うなって感触ありますねぇ…
港区では、区立中学への就学比率が課題のようです。僕も四国出身なので、私立中学なんて数えるほどしか行かなかったのですが、港区では1/4しか公立中学にいかないんです。
公立中学もかなり優秀ですし、和田中(杉並区ですが)みたいに独自性を出しているところもかなりあるんですけど、ね。
中学校では1/3を目標にしているようです。