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PTA?ってなぁに??って考える”おやじ”のブログ (随時更新中!?)

PTA活動に関わりを持ってみる皆さん・・好きな方も嫌いな方も・・お父さんもお母さんも・・ちょっとPTA談義しませんか?

20130313 今日は、中学校の卒業式の日・・・また新しい旅立ちが♪

2013-03-13 06:18:32 | イチローのつぶやき

心に思えば言い、

 胸に悟れば行う

 

思ったことを、あっさり口にし、

ハッと気づけば、サッと行う。

それが人生の好転のコツ。

 

 

人生好転のコツ

このコツ・・・

書くのは簡単

言うのも簡単

大変なのは実践!?

 

ハッと

サッと

たったそれだけなんですけどね・・・

それができる人間になりたいです。(*^_^*)

何事に対しても・・・

好きなことには、すぐ取り掛かれるんですがねぇ(苦笑)

 

今日は、中学校の卒業式・・・

ここ数年ずぅ~っと祝辞でお世話になっていました。

何もない今日・・・

一抹の寂しさを覚えます(苦笑)

旅立ちの日・・・

感動の場面・・・

そんな機会?空間?って

“こころ”を豊かにしてくれますね。

あの涙は、いろいろなものを洗い流してくれますね(*^_^*)

 

昨日の言葉・・・

人生という教科♪

みんな頑張れェ!!

今日も一日よろしくお願いします。

では今日のつぶやきです。

イチローのつぶやき part25

 

『埼玉県立KN高校のお話』

 

今日はいつも通りの終業式。いつも通り最初は校歌斉唱。いつも生徒はあまり声を出さない。でも、今日はいつもと違っていた。

全校生徒の中で、一人だけ、叫ぶぐらいの大きさで歌ってる生徒がいた。姿は見えなかったが、私にはそれが誰なのか、すぐにわかった。サッカー部三年の応援団のリーダーだ。

今年うちのサッカー部は快進撃を続け、かの武南高校さえも破り、その名を全国に知らしめた。(大袈裟かな…)

そして、ベスト4を決める試合で、うちの吹奏楽部はサッカー応援に加わった。

毎日寒空の下練習し、彼らのリクエストにも応えて、メンバーの思い出の曲「空も飛べるはず」の楽譜も用意した。

そして試合当日は、他の部の生徒も加わり、大応援団全員で大合唱。

惜しくも負けてしまったが、感動的な試合、そして応援だった。

今日のあの歌は、きっと時、あの時私が彼らの為に一生懸命やった事への彼の「気持ち」なんだろうと思った。そして指揮を振りながら涙が出そうだった。

「気持ち」って思っていても、なかなか伝わらないものだ。

彼の様に行動を起こしてこそ、はじめて相手に伝わる。

昨今、思っていても、気持ちを伝える為に行動を起こす人は少ない。

私自身も、これから、どんどん気持ちを行動で表していこうと思った出来事でした。

そして、ここに投稿するのも、その行動の一つです。

この投稿を見てる人で、彼と繋がってる人は、是非伝えて下さい。

「気持ち」確かに受け取ったよと…。

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20130310 「私は最高に運がいい人間だ」!!・・・本当にそう思います。(*^_^*)

2013-03-10 23:59:59 | イチローのつぶやき

短所の裏から長所がのぞく

 

良い所は、隠れていることが多い。

少し、角度を変えると、

その良さがわかってくる。

 

よく褒めて伸ばすとかって言いますよね

それって自分自身にも??

今日のつぶやきはそんな感じ??の意味??(*^_^*)

イチローのつぶやき part24

『幸せのコツ』

慣れないうちは嫌なことがあっても「よかったね」なんて言えないかもしれない。

でも、ここが気合いを入れるべきところです。

昨日の自分は何か問題が起こると「嫌だな、もう・・・」と言っていた。

でも、今日の自分は「今、自分の目の前にあるこの問題は自分の魂のステージをひとつ上に上げてくれるプレゼント。チャンスがきたんだ」と言っている。

小さな一歩だけど、しあわせに向かっての前進。

その「うれしい」を積み重ねていくと、やがては自然と「うれしい」を求めて心が肯定的になってきます。

そうしたらもうこっちのものです。

「あっ、こんなことで感謝できるんだ」と気付いたとき、小さな幸せがあなたのポケットに入ってきます。

その積み重ねで、人はもっともっと永遠に幸せになり続けることができるのです。

世界には戦争で爆弾が落ちてくる国もあるというのに、三食ご飯が食べられて、お風呂に入って、あったかい布団があって、人と出会って、仕事もできる。

「明日のご飯はどうやって食べようか?」

「寝ているうちに爆弾が飛んできたらどうしよう」

とかって考えなくていいんだもの。

それだけで十分しあわせ。

今、ここにいるあなたも運がいい人間です。

だったら一緒に言いましょう。

「私は最高に運がいい人間だ」

これであなたの成功者の人生が始まりました。

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

出典「斎藤一人 あっ!と驚くしあわせのコツ」小俣和美著三笠書房

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20130309 感謝といえば・・・『ありがとう』の気持ちが大事ですね(*^_^*)

2013-03-09 23:59:59 | イチローのつぶやき

感謝はまず食物から

 

食前食後に挨拶を。――――『天地の恵と、

多くの人々の働きに感謝して、生命のもとを

つつしんでいただきます(いただきました)』。

 

 

感謝・・・

食前食後・・・

食中もいろいろある??

食という人間が生きていくための一つの場面

そこで学ぶことって多いですね。まさに食育!?

 

イチローのつぶやきその23です。

この本のタイトルを知りたいぃ~って

思ったのは私だけではなかったようです・・・

わかればまたお伝えさせていただきます(*^_^*)

 

イチローのつぶやき part23

 

ネガティブ病

 

高校1年の途中からネガティブ病になった。

何か環境が変わった訳でもなかったが、

自分が悲劇のヒーローになって、暗い顔して…

周りから大丈夫?って言われると、もっと沈んで…

 

ある時期は、授業中も休み時間もずっと机にうっぷしていた。すると、休み時間には友達が、「どうしたの?」って声をかけて来てくれる。授業中には「何かあったの?」って手紙が回って来る。

 

勿論、男が「大丈夫?」なんて言ってくれる筈もなく、心配してくれるのは周りの異性。

そうやってみんなを心配させて、周りがなびく…それが、自分が周りに認められてる証拠であり、みんなから愛されている証なんだと思っていたのかもしれない。

むしろ最高に気持ち良かったのだと思う。

 

当時の仲間には、俺より大変な境遇の子がたくさんいた。

それでも、みんな声をかけてくれた。

 

いま、考えると、どれだけ甘ったれた奴だったのかと恥ずかしくなる。

よく、友達から嫌われなかった物だと…

 

でも、そうやってネガティブ病を続けていても、それ以上は何も変わらなかった。

 

 

高校三年生の冬、古本屋である1冊の本に出会った。

その埃を被った古ぼけた本は、どう考えても、自分が開くのを待っている感じに見えた。

まるでアラジンと魔法のランプの様な話だが…(笑)

 

その本のタイトルについては今回は話さないが、その本を読んでからというもの、すべてが上手くまわり始めた。

 

物語の主人公の様に、全て自分の思い通りに事が進み、人生が薔薇色になった。

 

勿論、辛い事や悲しい事、悔しい事などもたくさんあったのだろうけど、いつも最後には自分の思い通りになった。

 

身の回りの幸せに気づき、自分はいつも運がいいと思っている。いつも何かに守られてる気がしているし、その事に対して、いつも感謝している。

そして物事は全て上手くいくと信じている。

 

そうしようと心がけている訳でもなく、漠然とそう感じているのだ。

 

今もその本を持っているが、その本を開く事も本棚から出す事もない。

でも、毎日が幸せで、全て上手く行く気がしている。

 

自分はたくさんお金を稼いでいる訳でも、大成功をおさめている訳でもない。特に大きな夢や野望があるわけでもない。

でも、毎日ワクワクして、楽しくて仕方がない。

 

でも、もしそれが、ポジティブシンキングという事なら、是非みなさんにもお勧めしたい。

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20130307 イチローのつぶやきその22 日々一喜一憂?しています。今日は涙・・・

2013-03-07 06:16:12 | イチローのつぶやき

努力とは『反復』である

 

一度にはできないことが多い。

忍耐強く、繰り返し行なえば、

飛躍の時が近づく。

 

日々精進!ってことですかねぇ、今日も一日よろしくお願いします。

イチローのつぶやき part22

『ありがとう』

ネットにあったお話です。

俺には母親がいない。

俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。

産まれたときから耳が聞こえなかった俺は、物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。

普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。

耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害があるということがその理由だとわかると、俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。

自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。

そして死んだ母親すら憎んだ。

なぜこんな身体に産んだのか。

なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。

ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。

俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。

俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。

俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。

仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。

内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、多分「死にたい」 という事を手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。

俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。

検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。

俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。

君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを」 たしかにそうだった。

俺は特別に手話を習った覚えはない。

じゃあなぜ・・・

君の父親は僕にこう言ったんだ。

 『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか?』

驚いたよ。

確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。

小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。

だが声と同じように手話が使えるのなら、

もしかしたら・・・

でもそれは決して簡単な事じゃない。

その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。

健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。

全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。

不可能だ。僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は、君が一番良く知ってるはずだ。

君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。

だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。

聞きながら涙が止まらなかった。

父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだった。

俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。

父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。

誰よりも俺の悲しみを知っていた。

そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。

そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。

なんて馬鹿なことをしたのだろう。

あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。

父さんが負けなかったように。

幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。

そして春には結婚も決まった。

俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。

でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。

そして遺影を見たまま話し始めた。

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。

俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。

運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。

俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。

母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。

「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」

父さんは強くうなずいて、約束した。

でもしばらくして俺に異常が見つかったそうだ。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、約束を守れないんじゃないかってなぁ。でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。

でも俺には何て言っているか伝わってきた。

俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。

でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。

ありがとう。

俺、いま幸せだよ。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

号泣です。。

目に見えていないもの、気づいていないもの

実はその中にも、たくさんの愛があるのかもしれませんね。

号泣、そして感動しました。

親の愛…感謝です。

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20130306 どうして最初から!?って・・・思ってしまう私がいました。

2013-03-06 23:59:59 | イチローのつぶやき

悩みは己を

   守ることにより起こる

 

わがままのバリアーをはずすと、

楽になる。問題解決の知恵が、

どこからともなく、湧いてくる。

 

イチローのつぶやき part21

母の弁当

(ネットにあったお話です。)

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに

「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」

と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に

「今日の弁当美味しかった?」

としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」

とつい、きつく言ってしまった。

母は悲しそうに

「気付かなくてごめんね…」

と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。

私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。

中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」

日記はあの日で終わっていた。

_______

 自分が知らない所で、自分のことを思ってくれている人がいる・・・

人知れず、全てを受け入れ愛すことのできる人になりたいものです。

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