想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

麗らかな春の日差しの中で。

2023-04-11 18:37:00 | 日記
庭にまたアスパラが生えてきた…
もっと早く気づいていればなあ。


 とにかく、巨大です。食べられるかどうか。

 朝起きたら、理由もなく絶望していて、生きる気力も勇気も全部、昨日の夢の中に置き忘れてきてしまったようで、トイレに立つことすらしんどいということがよくある。
 生きるのが、辛い。行動するのが怖い。変化が怖い。未来に立ち向かえない。

 今日もそんな日で、幸せホルモン出そうと、お日様の下に出ることにした。近所のドラストまでだけど歩いて。外は暖かい。この時期にいつも思い出すことがある。20代の頃、東京の国立市で設備設計の仕事していた時。会社の先輩が、
春は良いよね、トレーナー一枚で通勤できる季節が一番好きよ、と言っていた。冬の寒さが緩んで暖かくなり、国立駅構内の桜が咲いて、トレーナーで通勤できる時期になると、本当に気持ちが良くて、先輩と一緒に、いやもう最高の季節だね、ずっと春なら良いのにと話しをした。春が来るたび、姉の様な存在だった先輩を思い出す。元気でいるかな。何故、連絡が途絶えてしまったんだろう。きっともう二度と会うこともないと思う。でも、毎年この時期必ず思い出す。

 ドラストまで行ったけど、何も買わなかった。思考停止状態。家にあるもので食べようと、家に戻った。
そして午後からまたお腹を壊す。身体に力が入らない。溜め息ばかり。辛いな。

 昨夜は久しぶりに埼玉のおかーさんと電話で話した。いつも待っていてくれるおかーさん。離婚したけど、未だに親切にしてくれるおかーさん。本当の母の様で、甘えてしまう。嫁ぎ先では、おとーさんがそうだったように、鬱から自死を選んでしまう人間が続くのは何かの因縁なのかと心配している。それに対して、私の家系は大病しても生きながらえようと、最期まで戦って、特に父方は長生きだ。母は若すぎたが最期まで、生きたいと願った。だから私は自ら断とうとは思わない。そりゃ○にたいとか年中言うけど、最終的にその選択はしない。どんなに辛くても、哀しくても、独りで沢山泣いたとしても、絶対に選ばない。懸命に抗っても死を選ぶしかなかった人への恩、独りになっても常に優しく接してくれる人への恩、私に生命を与えてくれて、若くして去った母への恩、大病しても闘い続ける父の生き様、そういうものが、私を支えてくれている。だから、選択は間違えない。

 でも、今日も一日泣いてしまったな。人生なんでこんなに辛いんだろう?
コメント
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