ぽせいどんの今日の一枚 +

写真とかCGとかを気ままに + DIY

今回は大勢での沖縄 1994 秋  その4

2022-03-13 12:09:47 | 写真 海

                真栄田岬・ツバメウオの根

 離岸。
 午前と比較すると波が多少高くなって来た。

 時々スプレーを浴びる。
 しかしまだ外房の海ほどでは無い。
 一本目のルネッサンス前を通り過ぎてボートは更に進んだ。
 崖下。波が打ち寄せている。当然揺れる。
 「急いでブリーフィングを済ませて潜行しましょう」とSHIMA。
 ・・・・・・
 エントリー。やはり、まだもたもたしている。
 DラスがⅯ山に何かを言っている。
 「それじゃあ反対」
 「??????」
 「バルブは全開して少し戻す。今のは全部閉めて少し戻した」
 「??????」
 「それだと五メートルも潜らないうちにエアが来なくなりますよ」
 「ドジ。特別な場合を除いて右ネジだ。さっきの『大丈夫』はどうした」

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 この件は後々何度も使うことになった。
 まずはM山の結婚式の祝電。

 『Ⅿ山君。結婚おめでとうございます。タンクのバルブは全開してちょっと締めます』
  新婦には
 『M山の扱いはこれでもかと言うくらいぎゆーっと締めて、その後、ちょっとだけ緩める。
  それが結婚生活と言う長い航海のコツです』とまあこんな具合です。

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 閑話休題
 どうにか五人をSHIMAと手分けしてエントリーさせた。
 ふと甲板を視ると『潜るんです』『・・・ドジ!』

 バックロール。反転浮上。船長よりネクサスを受け取った。
 潜行。『オオッー!』 いきなりのツバメウオの群れ
 ポートキャップを外し「BC」のポケットに。
 フラッシュのアームを伸ばしてスイッチオン。
 海底に到着。底揺れが 激しい。  グローブを嵌めてネクサスを構えた。
 レンズの選択を間違えたようだ。
 水が濁っているのことを考慮して105mmのマイクロレンズを装着していた。
 画角が狭すぎた。体長四五十センチのツバメウオ(※見出し画像)には向いてなかった。
 何枚かシャッターを切ってはみたがアップばかりで全身は写せない。結果は期待できなかった。

 五分ほどして移動開始。ツバメウオに別れを告げてクレバスの中に沈んで行った。
 海の中が急に暗くなった。『雨だな』


 上うから、ツノダシ、チョウチョウウオ(中央・チョウハン)、オニハタタテダイ。


 オヤビッチャの群れ。紺と黄の斑紋がいつもより鮮やかだ。婚姻色か?。
 動きが速いので狭い画角のレンズでの撮影は困難をきわめた。
 数カットを撮影したが使える画は殆ど無いだろう。

 五人は一本目と比較すればだいぶなれてきたようだ。もともと体育会系のクラブである。
 そんなに心配する必要は無いだろう。

 MGもカメラを持っていた。時々閃光を発している。
 ちらっと視るとキヤノン製。
 『キヤノンでは水中カメラは出していなかったはずだが・・・・?』と、思い記憶を探った。
 数年前に生産中止になったキヤノンアクティだった。


 しかし防水カメラであって耐圧は保障していなかったはずだが・・・?。
 MGのダイビングの実力はビギナーをやっと卒業したところか?。
 まあ、彼ら五人よりも安心して観てはいられる。

 いつものことのように移動中、私はパーティの殆ど最後尾。
 Dラスと前後しつつ大きな根の底周辺(水深12m)をゆっくり、ぐるりと廻った。
 潜水時間は三十分を越えている。残圧は百をわずかに割ったほどだ。
 岩の裂け目にタテジマキンチャクダイ。ナイフでタンクを叩いて五人を呼ぼうかと思った。が、かなり距離がある。ヤメタ。

 マイクロレンズはこんな画は撮りやすい。105mmは被写界深度が浅いのとAF撮影だと数ミリのピント調整が難しいが。
 ウオの眼から5mmほど後ろに合焦している。

 再びツバメウオの根。SHIMAが『伏せろ』と合図をした。海面を見上げている。
 私も見あげた。海面は相当波立っている。
 『・・・・・!。船が無い?』
  パラオ遭難事故の一件が脳裏を一瞬よぎった。
 しかしこのポイントは本来ビーチエントリーでの講習ポイントだ。
 最悪の場合でも水面移動で陸に戻れるはずである。
 崖の上まで刻まれた階段を昇るのは少々しんどい気もするがサイパンのグロット程ではなさそうだ。

 SHIMAが『待て!』と合図をして一人浮上して行った。
 残圧計を視た。五十以上残っている。
 『他は?』近くにいた五人の中の一人の残圧計を覗き込んだ。
 私より僅かに少ないくらいだ。この水深(七メートル)ならば十五分は大丈夫だろう。

  エンジン音。ボートが近づいて来た。アンカーリング。
 一人づつ順にエキジット。例によって私はラスト。
 エキジット。ハウジングを預けて素早く乗船。ローリングが激しい。
 ボートはすぐに発進。うねりがだいぶ大きくなっていた。
 雨とスプレーが容赦なく降り注ぐ。
 眼を開けていられない。マスクに手を伸ばした。走行中の船の上でのシュノーケリングは私も初めてだった。
 接岸。まずはハウジングとニコノスを一番に上架。安全な場所に置きロングピースに火を点けた。
 スタッフ、学生、MGが手分けして機材をボートから揚げている。
 『サンキュー』御大?は雑用には手を貸さなくても結構なようだ。
 メッシュバックに機材を詰め込むのは五人もかなり速い。
 私がバッグに手を伸ばしたころにはファスナーを占めて車の傍に進んでいた。
 だがこの作業に関しては私はゆったりと構えている。それこそ傍目にはノロマに視えるほどに。
 しかしこれにはそれなりの計算がある。真意は自分の機材を下積みにされることを避けるためである。

  車両移動。五人はぐったりとしている。
 普通は興奮さめやらぬ面持ちで話が盛り上がるのであるが・・・まだそれまでのゆとりはないものと思える。
 そう言えば昨年もT村はダイビング後にはぐったりとしていた。
 ユンケルの瓶が部屋に転がっていた。

 スタッフを除けば起きている者は私だけであった。暇。
 車が停止した。エア充填屋だ。使用済みのタンクを下ろし充填済みのタンクを載せる。
 多少の時間が掛かりそうだ。店内へと足を運ぶ。
 ダイビング器材を展示販売している。コーナーには水中銃。
 いまのダイビング雑誌には広告は皆無であるが、まだまだ有るところには有るのである。

 乗車。
 「これからダイビングサービスに行って機材を洗うんですよね」
 「いや、たぶんそれは無いな」
 「どうしてですか?」

 「時間もだいぶ遅い。雨も降っている。ホテル直行だろうな」
 「機材は洗わないのですか?」
 「スタッフがするだろう」
 「みんなの分全部ですか?」
 「メッシュバッグごと水に漬けてその後、水を切っておくだけだ。簡単な作業だ」
 那覇市内に入った。
 「今日はこのままホテルに直行します」器材はこちらで洗っておきます」
 「ほらナ」
 船員会館前。全員が降りた後、ニコノスとハウジング。そして防水バッグを持って降りようとした。「ほら手伝って」とSHIMAが学生を促した。
 S谷がハウジングを受け取った。「明日も今日と同じ時間に」
 「分かりました。お疲れさん」

 「そこに置いてくれ」ロビーのくくりつけのソファを眼で示した。
 S谷が重そうに抱えていたハウジングを置いた。
 私もニコノスと防水バッグを置いた。
 ガッシャン!!。
 ハウジングが人造大理石の床に転がっていた。
 すぐに拾い上げた。レンズポートキャップが割れていた。
 アルミ合金製のハウジング本体には視た限りでは損傷は無さそうだ。
 スピードフラッシュは?。プラスチックのボディ故に心配したがこちらも外装には異常は無さそうだ。
 S谷は茫然として暫く声が出なかった。
 「すみません」
 「とりあえずキャップが割れただけで他には異常は無さそうだ」
 部屋のテーブルにハウジングを置いた。じっくり細部を点検。
 キャップが割れることで衝撃をだいぶ吸収したようだ。
 急いで風呂を使いバスタブに水を張った。
 ハウジングとフラッシュを着けて暫くおいてみる。
 水圧がかかっていないので仮に浸水しても僅かな量のはずである。
 淡水ならばカメラ本体には影響は出ない。
 ログブックを持って隣の部屋へ。
 「エントリーとエキジットタイムは?」
 T村とM山のダイバーズウォッチは両者のメモリーができるのだ。
 メモリーを呼び出してロギング。
 二人もログブックを取り出した。
 「今日は大丈夫か?」
 「もう大丈夫です」
 「三人も呼べよ」T村が電話を取り上げた。

 「魚の名前を教えてください」
 「まず一本目はイラブー、エラブウミヘビだ。船の下にいたのがロクセンスズメダイ、ヘラヤガラもいたな。



 ↑ ヘラヤガラ


  群れになっていた黄色の魚がヨスジフエダイ。それから・・・いいや、まず俺が書き出す。それを写せ」
 三人がやって来た。
 ダイブテーブルを書き終えてサイン交換会。私とT村、N村、S谷はスタンプ。
 W辺と丸Ⅿ山は羨ましそうである。

 空腹時になるとやはり胃が痛む。
 『早い処、飯を喰わないと』
 「そろそろ夕飯を喰いに行こうと思うのだが・・・一緒に行くか?」
 「もう行くのですか?」
 「今夜は学科の補講をするからな」胃痛の件は噯気にも出さない。
 ロビー。全員集合。
 「カメラは大丈夫でしたか」
 「うん。多分大丈夫だろう」
 「キャップは割れてしまいましたよね」
 「まあな」
 「それだけでも弁償します」
 「あれはタッパーを加工した俺の手作りだ。非買品だ。原価は二百円くらいだからいいよ」
 「じゃ夕飯代を出します」
 「頼んだ俺にも責任があるのだから気にするな」
 「でも」
 「じゃあ全損だったらどうするんだ?。百万するぞ。この件についてはおしまい」

 『さて何を喰おうか』
 通りの看板を眺めながら歩いた。
 落ち着いたところはラーメン屋。居酒屋と混然一体となっている店だった。
 「八時半まで生ビールが百円だって」流石に学生は目ざとい。
 博多ラーメン。ライス。私は飲まないが酒肴に焼き鳥盛り合わせを二皿。
 ・・・・・・
 腹が膨れたら胃痛は治まった。
 「さて、そろそろ行くか」
 「御馳走様でした」

 喫茶店。
 「珈琲でも飲んで行くか?」
 五人が顔を合わせて思案している。
 「分かった。奢ってやるよ」

 「珈琲六つ」
 テレビが日本シリーズを映していた。Ⅿ山がそれにかじりついた。

 午後八時。SCが顔を出した。
 「急いで夕飯を喰ってこい」
 「昼食が遅かったのですよ。だから補講を先に」
 「ん!。俺は構わないが」
 「では八時十五分からでいいですか?」
 「いいよ、十五分後に俺の部屋へ集合」

 「美友紀とマッキーは?」
 「声を掛けましたからもうすぐ来ると思います」
 「TY大とオバサン(直子)は?」
 「夕食に行ったようです」
 「そうか・・・・先に始めるか。そうだ、Ⅿ山にも声を掛けてやれ。復習したいそうだから」
 「はい」
 ・・・・・・・
 「すみません。遅くなりました」美友紀とマッキーが顔を出した。
 「では、始めるとするか・・・」
 ・・・・・・
 「さて科学だ。ここが一番理解しにくいようだから・・・解らなかったら訊けよ」
 「はい」返事だけはよい。
 直子が顔を出した。
 「二人は?」
 「プールで疲れたみたい。学科は大丈夫だからいいって」
 「ふーん」
 ・・・・・・・
 約二時間。学科試験対策終わり。少々眠い。
 だが遅れて来た直子のために前半部分をもう一度・・・。

 午後十一時。胃痛がしてきた。
 外に出た。T村がいた。
 「どこかへ行くんですか?」
 「少々腹が減って来たからな」
 「僕もコンビニへ行こうと思ったんですよ」
 「一緒に行くか」
 「はい」
 小雨の中を歩き出した。立ち食い蕎麦屋。
 「俺はここにするわ」
 「僕はこの先のコンビニに行きます」
 「じゃあな」
 麺を手繰るとどうにか痛みが薄らいで来た。
 『病院に行かなきゃな』

 ・・・・・・・
 バスタブからハウジングを取り出した。
 タオルで拭き上げてから裏蓋を開けた。
 嵌合部からの浸水は観られなかった。
 F4を取り外しレンズポートを外す。ここも大丈夫なようだ。
 レンズをマイクロ105mmから24~50mmズームに交換。
 Oリングをシャンプーで入念に洗浄。グリスを塗布。再び組み上げた。

 就寝。

 

 つ づ く

   ※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
  年代順となってます。

  ダイビング編目次

 

 



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