7月3日(水)は大型バス、7月11日(木)は中型バスで会津若松・猪苗代方面への移動教室を実施しました。
両日とも梅雨の最中で小雨交じりの空模様でしたが、時には晴れ間も見られ、猛暑を避けての恵まれた日となりました。
観光地として整備されているのは勿論ですが、会津精神、会津魂は心に響くものがありました。
〇白虎隊士を弔う
飯盛山へ上り、白虎隊士の墓所をお参りする。
日新館の教育を受けて忠義を貫いた少年、少女の霊に額づいた。
まさに「線香の煙が絶えない霊地」である。
〇会津松平家の墓所
2代藩主以降歴代藩主の墓が、一山墓所として整備されている。
幕末、京都守護職を務めた9代藩主容保もここに眠っている。
現在は、熊の出没があり入山は避けて、入口正面から一同揃って参拝する。
水戸徳川家の瑞龍山墓所と比較しながら藩主たちに思いを馳せた。
〇会津鶴ヶ城
蘆名家時代は黒川城と呼ばれた。
巨岩で築いた石垣と高い土塁、水を湛えた深い堀が回っている城址、その中に雄大な姿を現わす白壁と赤瓦屋根の城郭は美しい。
城は、正に外から眺めるに尽きる。
戊辰戦争で、最後まで藩主、重臣、家臣たちが団結した往時に思いを馳せると、水戸藩の混迷の無念さが一層増してくる。
〇野口英世記念館
かつての生家は、巨大な蓋いで保護されていた。
板敷の煤けた部屋の囲炉裏を見て、清作(英世)を火傷させてしまった母シカ思いを馳せる。
奮起した清作も偉大であるが、支援者となった小林、血脇両先生も偉大であった。
部屋の柱には、「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」「忍耐は苦くその実は甘い」の名訓が刻まれていた。
コロナの大流行に、細菌学者の先達野口英世に感謝する声はほとんど聞こえなかった。
清作を育んだ猪苗代湖と磐梯山は今も不変、雄大である。
〇土津神社(はにつじんじゃ)
この会だからこその参拝地である。
二代将軍徳川秀忠の子であり会津松平家の初代藩主となった保科正之公を祀る。
正之の履歴を刻んだ亀石に乗る神霊碑は、日本最大といわれる。
寄合家臣団の団結に意を用い、幕府第一を説いた「家訓十五か条」や子どもたちへの「十の訓え」、飢饉対策の社倉設置など、藩の基礎を築いた偉大な藩主である。
水戸藩の徳川光圀、岡山藩の池田光政とともに、三代名君と称される一人でもある。
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