7月13日(水)、霧雨模様の中を出発しましたが、午後には快晴となり当会の移動教室が無事に終了しました。
午前は、古代ハス公園での自由散策、埼玉県立さきたま史跡の博物館ではさきたま古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣を、さきたま古墳群では丸墓山古墳と稲荷山古墳を、午後は、忍城と関東の石舞台といわれた八幡山古墳を見学してきました。
参加された35名の皆様、それぞれに収穫があったようでした。
古代ハス公園
やや時期が遅い感じでしたが、広い蓮園に浄土の世界を堪能する思いでした。車中では、国語の教科書に載っていた「巨椋池の蓮」(和辻哲郎作)のなかにある「早朝に花開く音」が話題となり、話に花が咲きました。以前よりは池全体の勢いがやや弱まった感があり、保護の難しさを感じました。
さきたま古墳群
水運・交通の要衝および氾濫原の肥沃地などからか、巨大な古墳の集中に驚きました。また、戦国時代、石田三成が忍城を水攻めするために築いた石田堤の存在から、よく古墳を崩さずに残してくれたと、三成への感謝の念が湧きました。墳丘上から忍城が遠望できるとのことから、懸命に探し求め確認できて、往時の水攻めに思いを馳せ感慨新たなものがありました。
稲荷山古墳の墳丘上に竪穴式埋葬の模型があり、石室の作り方が話題となりました。また、鉄剣に自家の歴史を象嵌(ぞうがん)したオワケノキミの誇りにも感嘆するとともに、その保存に最新の技術を用いて現物を常設展示していることに、則ち日本の文化財保護力の高さに驚嘆しました。現在、関係者はこの公園の世界遺産を目指して奮闘中です。
忍城
復元された美しい三階櫓は郷土博物館の展示場となっています。後北条氏に就いていた忍城主成田氏長は、豊臣秀吉軍勢への対応をめぐって小田原で評定中、留守を担った夫人と家臣団および領民たちの見事な団結に、城主成田氏の治世ぶりが表れています。戦国時代、激しい攻撃を受けながらも、堪えて堪えて滅亡を免れた城として称えられています。中世の歴史と近代産業の「足袋(たび)」の歴史が展示の特徴となっていますが、近世の城主松平氏は、彦根藩などと並んで江戸城内の「溜間詰」の譜代大名として、幕政に参画し重要な役割を果たしていました。
八幡山古墳
やはり古墳群であった中の一つで、周辺の干拓事業の土取りの過程で現れてきたものですが、三つに区分されたおおきな石室は、巨大な緑泥岩・岩板等で築造されています。巨大石室がむき出しであり、その壮大さを目の前にして、これまた往時の技術力の高さに目を見張るものがありました。平常日でしたが、担当課長様自らが案内・説明してくださいました事に感謝申し上げま す。
今回も、結果的にはたくさん歩いた一日となりました。
お疲れさまでした。