昨日の出来事(不意をつかれたナンパ)から、芋づる状に想い出したけど。。🍠 その本屋と一緒になってるスリーエフで19歳頃(いわば、オレンジモヒカンにハンチングの頃)、ねーちゃん遊ばないー??って、ナンパされ。。 動揺しながら、自転車🚲を漕いで逃げたら、家までの道の途中でハンドルに吊り下げてた、コンビニ袋の中の買ったばかりの芥川龍之介の「或阿呆の一生」(では、ライブでもみくしゃになった時にムースまみれになったのは、別の本かな。。??(*_*) ちなみにそのライヴってファイブサーティー)が前輪🚴♀️に巻き込まれてギタギタになっちゃったのを想い出した🙀
その、男の子って、(田舎なので、人間関係狭いので、知ってるけど。。)近所のパン屋さん🍞と駄菓子屋さん🍭🍬が一緒になったお店、“コスモス”の馬鹿息子🐴🦌
小学生の頃週一のテレビの時に楽しみにしてたキャンディ🍬さくらんぼのうた🍒とか、野苺の小道🍓とかクリームソーダを買ってたのは、実家からほど近いそのパン屋さん🥖🍞兼駄菓子屋さん🍭🍬、“コスモス”🏘🌌
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河童・或阿呆の一生 (新潮文庫) |
芥川 龍之介 | |
新潮社 |
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或阿呆の一生 (まんがで読破) |
芥川 龍之介,バラエティアートワークス | |
イースト・プレス |
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芥川龍之介 名作ベストセレクション「羅生門」「鼻」「芋粥」「蜘蛛の糸」「河童」「或阿呆の一生」など |
芥川龍之介 | |
ゴマブックス株式会社 |
暮れにダンナさんと一緒に地上波で観ました
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少年メリケンサック スタンダード・エディション[DVD] |
クリエーター情報なし | |
VAP,INC(VAP)(D) |
1980年後期~1990年前期のある日
ライブハウスの中
リュックの中に入れてあった芥川龍之介の『或る阿呆の一生』が、もみくしゃになった衝撃で、一緒に入れてあったムースまみれになったことを思い出した。。。
そんな映画(←?)
最近はピアノトリオとして活動されているRe-trick氏たちですが、私はギターのユーヤ君(今さらさん付け→君付けができるようになるなんて...この方が親しみやすい感じじゃないかしら??
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ユーヤ君がストリートに戻ってきてくれないか・・とかいろいろ妄想でぐるぐる...(これもその一貫...)
こんな人の行く道を、着物の袂を後ろから引っ張って留めようとするような考えは、まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」における地獄の亡者みたいではないか、、(←妙な比喩...)快く送り出してあげよう・・とか、ぐるぐる...そういう間にもRe-Trick logでみんなで「なんちゃって~~!!
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昨日、歯医者に行く時に(最近たいてい外出する時には持ち歩いているのですが、)持って行って電車の中で読んでいたこの本に、ウェス・モンゴメリーとコロコロピアノのウィントン・ケリーとのアルバム「Smokin' At The Harf Note/Winton Kelly Trio-Wes Mongomery(邦題:ハーフノートのウエス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ)」のことが載っていました。
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ウエス・モンゴメリー(g)
ウイントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
ジミー・コブ(ds)
ここに書かれてた内容は私にとってすごく希望の持てる内容でした。
『リーダーがケリーでもウエスでもなく、2人が双頭リーダーをつとめる新たなカルテットとして期間限定で結成された(そのカルテットによる名盤が本作)........ウエスによってケリーの潜在能力が、またウエス側からみればケリーがいたからこそウエスの魅力もまたあますことなく引き出された(本から文を抜粋)』
ダンナさんも「ジャズという音楽はそもそも“セッション性”という意味合いが強いから、バンドの固定メンバーなんてあってないようなものなんだよね。ミュージシャン同士の気分が合ったら、自然に音を合わせ始めるんじゃない?(だから、脱退、とか聞いてもそんな悲しまない方がいいよ。)」という話をしてました。
だから、Re-Trickのみんなが、いつかまた“気まぐれに”ストリートで、ライブハウスで、スタジオで4人でプレイ(セッション)をしてくれるのを私が生きてる限り、心待ちにしてます
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なかなか考えはまとまらないけど、今はこんな感じの気持ちです
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あいかわらずコメントのお返しが出来なくてごめんなさい。
ぐずぐずのろのろで、気持ちが座礁してしまってる間はどうしてもお返事ができないのです。
でも、Yoracha!さま、evergreenさま、私がこの先、生き続けるとしたら、お二方のような女性になっていたいです。感性豊かで、世界、文化、人間に対して、少女のようなときめきを持っているお二方・・・。憧れです。
今日は、私が影響を受けた少女漫画のお話をしようと思います。
私が一番好きな少女漫画家は大島弓子さんという方です。
彼女のことは、18歳の時、とあるバンドの打ち上げで出会った23歳のシャイな素敵なお姉様から教わりました。その時の私は、少年誌に連載していた、江口寿史氏の「ストップ!ひばりくん」のひばりくん(美形なオカマキャラ)になりたいと憧れる、少女趣味を否定し、中性願望のある、絶対スカートははかない(いわゆるホットパンツかベルボトム姿で60年代サイケ少女orパンク少女を気取ってました。)今みたいに気も弱くない勢いのある男気溢れる少女でした。
最初に思っていた大島弓子さんのイメージは、“チビ猫”という名の、擬人化された子猫が主人公の作品「綿の国星」のほわほわのメルヘンの少女趣味な世界でした。
確かに、大島弓子さんの初期作品(1968年「ポーラの涙」でデビュー)は、そうした一面も持っているのですが、80年代に入ってからの彼女の作品は、昔から時々顔を見せていた彼女のブラックでビターでシニカルなセンスが色濃く頭角を現してきました。昔からの少女漫画の定型だった、過剰な装飾、とにかくありえないくらいの登場人物の瞳の大きさ、そういったものがなくなり、登場人物も、背景も、何もかも、無味乾燥に思えるくらいシンプルです。それだからこそ後期の彼女の描いていた、人間の心の残酷さ、美しさが読むものの心にぐさりとめりこんでくるのです。
私が今回取り上げたいのは、大島弓子さんの1985年の作品「ダリアの帯」です。
この作品は、ある本で作家の吉本ばななさんが、敬愛していて、自作への影響も与えた存在であるという、大島弓子さんの作品の中でも特に一番好きな作品であると語ってました。
(私事をお話ししますと、1987年に「キッチン」でデビューした吉本ばななさんは、私にとって同時代、リアルタイムの作家だったと言えるのですが、元々、国内だと夏目漱石、芥川龍之介を始めとする、明治、大正、昭和初期の文豪。近代だとかろうじて安部公房氏が好きだった私は、つまり、現代とシンクロした気分になることをあえて拒否していたので、まったく読んでいませんでした。少し世の中への態度が軟化した時に、一作品程度読んだくらいです。その時期に夢中になって読んだのは、「スバラ式世界」「優しくって少しばか」「我輩は苦手である」などの作品を書いた原田宗典さんです^_^;原田さーん!!!早く元気になってくださーい!!!T_T優れたものなんか書かなくていいので、私は原田さんがご家族と幸せで心健やかに暮らしている情報が聞きたいのです・・・!!!話は戻って、吉本ばななさんの良さは私は解らない〈知らない〉のですが、世界的にも、多世代に渡って支持されている吉本ばななさんも「ダリアの帯」は好きな作品だというのがとても感慨深かったのです。大島弓子さんもいろいろな人〈世代〉に知られるようになってほしい・・・。)
また話が脱線してしまいましたが、「ダリアの帯」は、(ベタないい方をしてしまいますが)夫と妻の究極的な愛の物語です。子供を自分の不注意で流産し、狂気にとらわれてしまった妻の姿に直面した時に、夫は何を考えるか、どういう試みをするか。奇行を繰り返す妻と、それでも会社に通い日常生活を送らなければならない現実。
この物語を読んで、今思い返して、私は、愛とは、「覚悟するものなのだ」と思いました。
夫は、いわゆる現実生活=一般的な日常生活、親族、社会的なていさい。すべてを捨てて、妻と共に生きることを選びました。
精神病院から妻を連れ出し逃げる時の、
「どちらが患者(狂気にとらわれている)なのかはわからない」
「ふたりとも患者なのかもしれない」
とのセリフは本当に名言だと思います。
読み返して、涙が出てしまいました・・・。
ラストはお話ししません。是非、みなさん、読んでみて下さい。
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ダリアの帯 (白泉社文庫) |
クリエーター情報なし | |
白泉社 |
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大島弓子が選んだ大島弓子選集 5 ダリアの帯 (MFコミックス) |
クリエーター情報なし | |
メディアファクトリー |
この話は、フェアリーテイル(おとぎばなし)だとは思います。
でも、「人生はおとぎばなし」(J・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」より。小人症の少女で作家になったリリーの言った言葉。)なのだと思います。
それとも、「人生は祭りだ」(フェデリコ・フェリーニの言葉)なのかもしれません。
次は大島弓子さんの「ロングロングケーキ」について書きたいです。